余震に備えて。


今日もまた、大きな余震。埼玉県南部の震度は「5-」。震度6が多発しているので、「4」や「5」じゃ大ニュースにはならないけれど、やはり「5」ともなると、かなり大きな揺れだ。しかも、最近の地震は1回当たりの時間がとても長い。ずいずいの下校時だったので、顔を見るまでは安心できなかった。

ずいずいが登下校の途中で、都内で電車が止まってしまった時、そして、私もヲットもすぐには迎えに行けなさそうな時は、「私が迎えに行くから」「うちに来てくれればいい」等々、都内在住の友人やマイミクさん達が声をかけてくれた。実際に迎えに行ったとき、初対面でもずいずいが不安を感じないようにと、ご自身&お子さんのお写真を送ってくださったマイミクさんも。遠くの学校に通わせている場合、地域の町内会レベルでは対応できないことがたくさんあるから本当に心強い。

地震の直後も、遠く離れた地域の友人からのメールや電話は比較的受信しやすかったので(3/11の地震の直後、兵庫県在住の友人からのケータイ電話は通じたし、今日の地震の直後も、西日本からのメールはどんどん受信できた)、私とずいずいの間で電話やメールが通じない時は、遠くに住んでいる友人やマイミクさん達が、双方への連絡役をすると言ってくれた。3/11の地震の後もmixiにはつながりやすかったので、mixiのメッセージ機能を使えば、電話やメールの復旧を待たなくてもマイミクさん達と連絡が取れるだろう。ずいずいの学校がご主人の勤務先と近いので、なにかあった時はそこを頼るようにと、詳しいアクセス方法を連絡してくださった方も。

……(皆さん、本当にありがとうございます。お勤めのお母さんたちと違って、私は比較的時間が自由に使えるし、打合せで都内にいることも少なくないので、私に何か出来ることがある時は、いくらでも動くつもりです。いざという時はお互い様なので、手が必要なときは遠慮なく連絡をしてください。その時の交通事情にもよりますが、練馬区や北区などは自宅から比較的簡単に行くことが出来るので。)………


大人たちがフレキシブルに連絡をとりあって、子どもたちを守ったり、子どもたちの不安を出来るだけ早く払拭してあげたり出来るようにしたい。もちろん、誰だって優先順位の第1位は我が子であるに決まってるけど、少しでも余力のある時は、よその子のためにも行動できる大人でありたい。

のび太を本当に傷つけているのはジャイアンじゃなくてシズカちゃんなんじゃないかという話。


ジャイアンといえば、のび太を苛めてばかりのガキ大将で、俺様系苛めっ子の代名詞のような存在……なんだけど、私は、のび太の心をさらに深く傷つけているのは、実はシズカちゃんなんじゃないかと思ったことがある。

ジャイアンがワガママで理不尽な乱暴者だというのは、周知の事実。ジャイアンに苛められた経験のある子はいっぱいいる。力(主に腕力)の関係で、表立ってジャイアンに反抗できる子はいないけど、陰ではみんなジャイアンのことをイヤなヤツだと思っている。本当は皆、“ジャイアン被害者の会”のメンバーなのだから。

…であれば、孤独なのはむしろジャイアンの方だろう。ジャイアンが風邪でもこじらせて学校を休んだ日には、みんな、ホっとして悪口三昧かもしれない。体調を心配するより、「ざまァ…」と舌を出しているかもしれない。だから、みんなが「アイツは困った乱暴者だよな」と認識している子の苛めってのは、実は、苛められっ子にとっての決定的な致命傷にはならないんじゃないかな…と思うのだ。

いつかTVで見た「ドラえもん」は、のび太1人が仲間外れになってしまうというストーリーだった。詳しいことは忘れてしまったが、皆、ジャイアンの仲間(…というか子分)になってしまっていて、のび太が孤立してしまうというストーリー。もちろん、他の子たちは、渋々ジャイアンに従っていただけなのだけど。

その中には、シズカちゃんもいた。普段、シズカちゃんはジャイアンに批判的で、のび太に対して優しい言葉をかけてくれることもある子。そして、のび太はシズカちゃんが大好き。…そのシズカちゃんが、どういう経緯だったか、「ジャイアン&その他大勢」のグループに入ってしまったのだ。もちろん、シズカちゃんが直接のび太に意地悪を言ったわけではない。ただ、ジャイアンが、「のび太なんかに構ってられない。さあ、みんな行こうぜ」と言って去っていく時に、シズカちゃんは何も言わず(多少困ったような顔をしていたけど)、ジャイアン達と一緒に行ってしまったのだった。

ジャイアンが意地悪なのはデフォルトだ。だから、ジャイアンに苛められたくらいじゃ、のび太はそれほど深く傷つかない。たぶん。でも、「シズカちゃんまでが、なぜ…?」という思いは、のび太にとってかなりダメージが大きかったんじゃないだろうか? 優しくて賢いはずのシズカちゃんのその行為は、(子ども向きマンガごときで大げさな物言いになってしまうが)、 “もの言わぬ苛め”とも言えるんじゃないだろうか? 苛められっ子が本当に孤独や絶望を感じるのは、むしろこういう苛めだろうという気がする。シズカちゃんには、自分が苛めっ子だなんていう自覚はまったくないだろうけど。

「事を荒立たせたくない」「面倒に巻き込まれたくない」「ジャイアンが正しいと思ってるわけじゃないけど、ジャイアンにたてついて頑張るほどには、のび太のことを好きじゃない」という理由で、のび太を1人にしてしまう…ってケース、会社とか組織とか、大人社会でもけっこうある。

表立ってジャイアンに抗議するとか、やっつけるとか、そこまで頑張らなくてもいいけど、せめて、ジャイアンと行動を共にしないとか、ジャイアンを恐れずのび太に近寄っていって声をかけるとか、そういう人間がいてほしいよなぁ…と思う。

世間は相変わらずなんとなくピリピリしている部分があって、自粛ファシズムだの同調圧力だのを感じて息苦しくなることもある。そういう気持ち悪いものに巻きこまれない自分でいるためには、ちゃんと1人で立っていられるようにならなくちゃいけない。「そうだよねー、のび太ってヘンだよねー、ね?」っていう“村社会の確認作業”に巻き込まれない自分でいなくちゃいけない。そして、もしも、少しの勇気と余力があれば、「ジャイアンの方こそヘンじゃね?」「知らんふりしてるみんなもずるくね?」と意思表示できるようだといいな、と思う。実際の世の中では、そこまでするのはなかなか難しくて、シズカちゃんみたいな行動をとる人のほうが多いのだけど。

原発、トイレの詰まり、豚キムチうどん、ヴァイオリン。

地震・津波から19日目。テレビをつければ、被災者の近況よりも、まずは原発のことがトップニュースになっているこの頃。

雑誌やネットで色々な情報を拾い読みしているうちに、「震災対応で政権浮揚をもくろむ菅首相が、何でもかんでも自分で仕切ろうとし、結局、事態を悪化させてしまった」というのが真実らしい…ということが分かってきた。

「3月11日に地震があって、すぐに東京消防庁は、気仙沼や、千葉で燃えた石油コンビナートに向かいました。本来は知事の要請があってから動くのですが、要請を待っていたのでは間に合わないかもしれない。そこで、とりあえず向かわせて、知事の要請を待ったのです。福島原発にも向かいました。ところが、いわき中央インター付近まで行ったところで、総務省消防庁から『来なくていい』という連絡が入った。やむなく消防隊員は引き返したのです。」「東京消防庁は自治体が管轄する。自治体同士には横の連携がある。だから、千葉や福島でも活動ができる。阪神大震災以後、取水口の口径も全国統一されて、どこでも消火活動ができるようになりました。しかし、原発は国の管理になる。そのため、まずは自衛隊や警察が出ることになったのでしょう。」…というのは、東京都副知事・猪瀬直樹氏の言葉。それだけではない。アメリカやフランスが支援を申し出てくれた時に、スピーディーに受け入れていれば別の展開があったかもしれないのに、“外国に知られたくない何か”があったのか、断ったりなんかして。(なのに、結局後から泣きつくようなこともしてみたりなんかして。)

未曾有の災害を、“総理の椅子の死守”や“縄張り争い”のために利用しようとした男。けれどもやり方があまりにも稚拙で、やることなすこと失敗し、傷口を広げてしまった男。よりによって、こんな時に、そんな器の小さい男が首相だったとは…。これじゃ、国民は命がいくつあっても足りないだろうっての。

もう、東京電力や官房長官が記者発表することなんて、たいして興味が無い。「事実と異なることを言う」ことだけが嘘じゃない。「言うべきことを言わない」のも嘘の一種だと思う。そういう意味において、彼らはちょっと嘘が過ぎると思うから。海外メディアの情報を拾ってきたほうが、よほど納得のいくことが書いてある。

このまま日本はどんどん汚染されていくのかな…と思うと、ついつい斜に構えたくなってしまっていた。ACの一連のCMが綺麗事ばかりで薄っぺらく見えて、「けっ、くだらない…」と思ったり、そのCMのせいで金子みすずの詩集がバカ売れしていると聞けば、「…とことん呑気でおめでたい国だなここは…」なんて思ったり。

自分のスタンスというか、軸足の置き方を、どんなふうにしたらいいのか、先週まではよく分からなかった。いろんな人々(特に、今回の地震の影響を受けなかった地域の人々)の物言いに、「そりゃーこのへんは被災地じゃないけど、それでも不安や不便でじわじわと弱ってる人間はいるんだから、安全で便利のいい場所から偉そうな講釈をたれないでほしいんだな…」とか、「アナタは無事で幸せでようございましたね。だけど、能天気な幸せ自慢は私たちの目につかないところでやってもらいたいのよぶっちゃけ…」などと、ナーバスになっていたこともあった。地震の日以来ずっとおなかを下したままだったし(おとといあたりから治まってきた)、地震酔いもあったので、やはりストレスが溜まっていたのだろう。

でも、2~3日前から仕事が元通りのペースで忙しくなり、それに引っ張られるかのように気持ちが開き直ってきたように思う。「結局、現実的には、ここに住んで、仕事をして、生きていくしかないんだ」と。5年先、10年先の日本がどうなっているのか、自分や家族の健康状態がどうなっているのか、そんなことは分からない。そのことばかりを考えていると、不安で悲しくなってしまいそうだ。でも、「今日、働かなければ、来月の家賃も食費も払えないのだ」ということ。それが、今の私にとって、一番確かな事実なのだ。近視眼的と言われようが、「考えるのをやめたのかなコイツ」と思われようが、そうやって日々を生きていくしかないのだ、我が家は。(もちろん、ずいずいの免疫力を多少なりとも上げておくために、栄養バランスにはこれまで以上に気をつけていくつもりだけど。)

原発のことは、もう、静かに祈りつつ推移を見守る…というスタンスで行く。TVのニュースは信用してないし(関東地区のTV局は、どこも、東電がスポンサーのニュース番組を持っているんじゃなかったかな、たぶん。それに、日本広報学会の会長は東京電力の社長だし)、ネットや専門誌で専門家さんたちが議論している内容は、理系に弱い私には難しくてよく分からないことがいっぱいある。もう、調べたり暴いたり糾弾したり…は、よく分かってる人たちに託す。私のようなド素人が気を揉んでも何の役にも立ちそうにない。

理系の有識者や現場の作業員の方々は、今、この瞬間も、原発と闘っていることだろう。自衛隊や消防や警察の方々は被災地で困難な公務にあたっている(被災地に行かない方々は、それぞれの地域で手薄になった分の業務を背負って休む間もなく働いていることだろう)。私は、そういう場で役に立つような頭脳や知識も、屈強な肉体も持ち合わせていない。だから、とりあえず今は、自分を信頼して仕事をまわしてくれる人たちに応えて、日々の仕事を誠実にこなしていこうと思う。多少なりとも消費購買活動が活発になるように、それから、心ある生産者が風評被害に傷めつけられるのを少しでも防げるように、頑張って文章を書いていこうと思う。そうやって稼いだお金で、これまで通りずいずいを育てていくのだ。少なくとも、日本が滅びないうちは。被災地には親しくしている食品メーカーや農家の方々が多いので、彼らが復興する際にお手伝いできることがあれば、労を惜しまず協力するつもり。

今日は、早朝に原稿を1本仕上げた。その後、島忠(ホームセンター)にキコキコと自転車で向かい、ラバーカップ(トイレの詰まりをカッポンと直すやつ)500円也を買ってきて、トイレの詰まりを直した。お昼には豚キムチうどんを食べた。そして午後もまた原稿を書き、おやつの時間にはずいずいと一緒に苺を食べ、さっきはずいずいのヴァイオリンの練習につきあった。……こんなふうに、ちまちまと、生きていく私。

10年先も、日本が元気でありますように。ずいずいが健康で、大学の学内オケかなんかでヴァイオリンを弾いて機嫌よく暮らしていますように。「ママ、もっといいヴァイオリン買ってよぉ」「バカ言ってんじゃないよ、バイトして自分で買いなさいっての。それがイヤならパパに頼むんだね…」などと呑気な会話が出来る毎日でありますように。「自衛隊予算使い過ぎだろ」「消防士って火事がなきゃ暇なんだろ?」「おまわりマジうざい」…なんて、一般市民が気兼ねなく公務員の悪口を言えるような日々が、またやって来ますように。

人に優しく。(Whenever you feel like criticizing any one

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停電やるって言ったり、やっぱり中止になりました…になったり。

赤ちゃんは水道水を飲んじゃダメって言ったり、翌日には「基準値以内に下がったからやっぱり飲んでもいいです」になったり。

震災から2週間もたっているのに、物資がほとんど届かず孤立している地域があると聞けば、「21世紀の日本だろここは!?」と憤ったり。

あいかわらずJCのCMはダサくて偽善っぽくて気持ち悪くて「国民を幼児扱いすんな!」みたいなものが多いけど、こんな時に文句を言ったら「そんなことでイライラするなんて料簡が狭い」と批判されそうだからと我慢して、TVにいちいち「うっさいわ!」と当たってみたり。(←それは私ですすいません…)

「なんで23区は停電まぬがれてるんだよ住宅街は停電するべきだろ」と不公平感にムカついてる人も多いみたいだし。

原子力保安院のあの人が、こんな時にも関わらず、へんなヅラをかぶっていたり。(←大きなお世話ですねすいませんもう言いません。)

「不謹慎だ」とかなんとかピリピリして他人を批判してるのは、被災地以外の人ばっかりだな、暇なのか仕事しろよ…とウンザリしたり。(あ、それも私ですすいません…)

心配のタネにもイライラのタネにも事欠かない今日このごろ。


昨日、義母のおつかいで銀行に行ったら、ものすごく混雑していて(停電中は業務が停止してしまうから)、何か心配事がある様子で窓口で要領悪くモタモタ質問している女性に、待っている人たちが聞えよがしに文句を言っていて、その場の空気がすさんでいた。(「みんな待ってるんだから早くしろよ!」「そんなことは今日じゃなくたっていいだろ!」「頭悪いんじゃないの!?」……等々) 

凹んだりパニック起こしたりしている人たちがいて。

「そんなことくらいでガタガタ騒ぐんじゃないよ」とイライラする人がいて。

そうやってイライラする人を見て、「そんな言い方ってないだろうよ」とイライラし始める人がいて。

五十歩百歩。明日は我が身。

弱ってモタモタしている人と同じくらい、それを見てイライラしちゃう人も、疲れがたまって壊れかかってるのだと思う。タンパク質・ビタミンB・カルシウムは大事。それから深呼吸と気分転換。


今日、原稿を書くために、参考資料を探してあちこちひっくり返していたら、学生時代に使っていた古いボロボロな英語の辞書が出てきた。ポケットサイズの「コンサイス英和・和英辞典」。懐かしさにパラパラとめくっていたら、余白にこんな文章が書いてあった。

「Whenever you feel like criticizing any one , just remember that all the people in this world haven't had the advantages you've had.」 ~誰かを批判したくなったら、みんなあなたほど恵まれた環境にいるわけではないことを思い出しなさい。

フィッツジェラルドの『The Great Gatsby(華麗なるギャツビー)』の中の文章。原書で読んだ時に、心に残って書き留めておいたのだった。10代の頃の汚い字で(今も相変わらず字は汚いのだが)、エンピツで書いてあった。

今日、この文章を久しぶりに見つけたのは、偶然じゃないかも。

みんなが、ちょっとずつ、弱っている。空気中のビタミンみたいなものが足りない。

だから、人に優しく。

人に優しく。

strong in the rain



定番過ぎて、わざわざUPするのが恥ずかしいくらい。

でも、世の中のあちこちが、うっすらピリピリし始めた感のある、こういう時はやはり染みる。


本当に、こういう人に、私はなりたい。



地震の記録(2)

一部の施設が壊れたり火災が発生したりしたものの、その後の報道からも分かるように、東京は、地震による直接的(物理的)なダメージはそれほど大きくなかった。東京の恐ろしさは、「どこよりも人がいっぱいいる」ってことだ。特に、「昼間東京で過ごしていた人数が、夜間も過ごせるわけではない」ってこと。昼と夜のキャパシティーが全然違う街なのだと痛感した。被災地ではないが、人の多さによって別の大きな被害がもたらされた「準被災地」だと思う。

そのことを、都内にオフィスがある企業のトップの人々は、もっと自覚するべきだと思う。「十分に注意して」「様子を見ながら」などとと言いながら、震災直後から普通に社員を出勤させている企業のなんと多いことか。自宅で仕事が片づけられる社員はしばらく在宅勤務でも良かったし、先送りしてなんとかなる会議は日程を改めても良かったんじゃ?(そもそも本当に会議をする必要があったのかどうかも謎だったりする。)電車はただでさえ本数が少なくて混雑しているし、大きな余震がたびたびあっていまだにしょっちゅう電車が止まるのだから。


【震災当日の覚え書き】

●ケータイはもちろんのこと、固定電話すらも回線がパンクして数時間使用不可能。数少ない公衆電話は優先的に回線が復旧していたし、通話料が無料になったが、使うためには数時間並ぶ覚悟が必要だった。

*私のdocomoは、時間の遅れなくメールのやりとりが出来るようになったのは地震の2時間くらい後。発信(通話の)が出来るようになったのは6~7時間後(もう少し早く開通したdocomoもあったが)。ただ、西日本から友人がかけてくれた電話は、震災直後でも受けることが出来た。

●電車が止まると帰宅難民が溢れる。ホテルはどこもあっというまに満室。タクシーもつかまらない。駅は人でごったがえしていて、トイレは大行列。デパート・スーパー・ドラッグストアなどの店舗は早じまい。外食産業も、食材の補充が出来ないこと&スタッフを早く帰らせたかったこと等からか、早々に店じまい。コンビニは大混雑。すべての食糧(誇張でなく、本当に“すべて”)と、携帯の充電器、携帯用カイロ、レジャーシート、懐中電灯や電池等々が早々に姿を消した。街の携帯電話ショップには、充電しようとする人々の行列が出来た。

●高層ビルのオフィスやホテルを使用していた場合、エレベーターもエスカレーターも使えなくなるため、お年寄りや赤ちゃん連れの方々でも、数十階分の階段を昇降しなくてはならなかった。(東京駅の目の前にあるホテルは、27階がフロントだ。)

●公共施設や大学等が帰宅難民にスペースを提供してくれたけれど、その情報がなかなか行き届かなかった。(TVが見られない場所にいるとか、ケータイの電池切れとかで。)

●「○○線が復旧した」という情報が流れると、その路線の駅に人が殺到してしまい、入場制限があったり、復旧した路線も再度ストップになったりして一晩中混乱していた。

●かろうじて開いている店舗で自転車を買って帰宅する人や、意を決して遠くの自宅まで歩いて帰る人も多かった。1人で歩いている女性も多く、警官のパトロールが大変そうだった。

●持病がある人(喘息など)は、夜や翌朝の分の薬を持っていない人も多く、体調を崩す人もいた。

●赤ちゃん連れの方は、オムツやミルクが足りなくなって困っていた。

●翌朝、復旧したJRで帰宅したが、あまりの混雑でなかなか電車に乗れず、朝9時に銀座を出て、自宅に戻ったのが午後1時半過ぎだった。(普段は1時間程度の道のり。)



【個人的な反省や課題】


●ずいずいのケータイに、私の友人の電話番号やメールアドレスも登録しておけばよかった。私とずいずいは直接連絡がとれなくても、西日本の友人からの着信は常に出来ていたから、彼女に仲介してもらえば、ずいずいともっと早く連絡がとれたはず。(ずいずいがお友だちのおうちで保護されているということを知ったのは、地震から2時間くらい後のことだった。)

●ずいずいとの連絡をケータイに頼り過ぎていて、いざという時の連絡方法や段取りを相談していなかった。

●ヲットが(職業柄&性格的に)簡単に連絡のとれる人ではないということを甘く見ていた。「ずいずいが駅に1人でいると思うから見に行ってくれる?」「ずいずいと連絡とれた?」等々、何通かヲットにメールを出したが、最初に「いま勤務中」という短い返信が来ただけで、あとは返信ナシ。このことは、軽くストレスになった。

●義父母に、ケータイのメールが使えるようにしておいてもらえばよかった。電話での通話が出来るようになるまでは何時間もかかったけど、メールは2時間弱で回復したから。(メールのおかげで、千葉の実家の両親や弟の安否確認は比較的早く出来た。) 義母は義母で、心配してずいずいを探して、ずいずいがいたであろう駅(最寄り駅でなく乗り換え駅)まで見に行ってくれていたが、ずいずいはお友達のお母さんに保護された後で、行き違いになってしまった。

●常用している薬は1~2回分多く携帯しておくべきだと思った。可能なら、水と多少の食べものも持っていた方がいいと思った。

地震の記録(1)

ケータイの着信履歴を見ると、「03/11(金)14:46」になっている。都内で会議をしていた私のケータイに、ずいずいから電話がかかってきた着信履歴。「今日、あなたが帰ってくる時、ママは留守にしているから、おばあちゃんちでお留守番しててね。とりあえず、H駅(我が家の最寄り駅の1つ隣りの駅。ずいずいはそこで別の路線に乗り換えて通学している)に着いたら、一度ママに電話して」と言っておいたのだ。(その日、ずいずいは短縮授業で、いつもよりかなり早く下校していた。)

ず「ママ、いまH駅に着いたよ~」

私「分かった。じゃあ、おばあちゃんに電話して知らせてね。あ、そうそう、今日、可愛く踊れてたよ。(←午前中、小学校で授業参観があった。ダンスの授業の発表会で、舞踊劇を披露した)」

ず「ほんと? あんまりかっこよく踊れてなかったんじゃない?」

私「ううん、なかなかよかったよ。もっと上手な子もいたのかもしれないけど、ママの目には一番可愛く見えたよ」

ず「そう? ありがと♪」

私「じゃあ、気をつけて帰るんだよ」

ず「うん、ママもお仕事頑張ってね。じゃあねー♪」

電話を切った直後、足元がぐらりと揺れた。いつもの地震とはまったく違うイヤな揺れ方で、しかも、かなり長く続いた。

尋常ではないことが起きているのだと感じた。そして、「もしかしたら、今日、ここで、自分は死ぬのかもしれない」と思った。「そうか、私の人生はこんなふうに終わる筋書きだったのか…。案外あっさりと唐突に終わるものなんだな…」と。

最初の揺れが収まったとき、すぐにずいずいのケータイに電話をしたけれど、既に通じなくなっていた。でも、「もう地下鉄を降りて、地下に閉じこめられてはいないって分かっているし、電話を切ってすぐに揺れたから、次の電車に乗って閉じこめられてもいないだろう。まだきっと駅にいるはず。…義母に電話が通じなくなっても、近くに交番もあるし、お友だちのおうちもあるから、きっとなんとかなる。あの子ってば強運。絶妙のタイミングで下校してきたんだわ。よかった…」と思えたので、動揺はしなかった。

「もしもこれが大震災の始まりで、私が今日死ぬことになるのだとすると、さっきの電話がずいずいとの最後の会話になるんだな…。ああ、良かった、会議がちょうど一段落しているところだったから、短くて素っ気ない返事をしないで済んだし、怒ったり小言を言ったりしないで、ちゃんと優しい声で会話してあげることが出来た…」とも思った。その考えが、すごく私をほっとさせてくれた。そんな状況でほっとするなんて、なんだかおかしな話かもしれないけど、そうだった。

一緒に会議をしていた人たちの中には、私の他に女性があと2人いたのだけど、1人はパニックを起こして泣き叫び、もう1人は表情が固まったまま動けなくなってしまっていた。「余震がひどいから、すぐに外に出るのは危険。しばらく様子を見よう」「非常階段へのドアを開けておこう」などという男性スタッフの声を聞きながら、私は、スケジュールノートの最後の頁に、ずいずいへの短い手紙を書き始めた。いざという時の遺書のつもりで。「最悪の場合でも、どうかこれがずいずいの手元に届きますように…」と祈りながら。繰り返しやってくる余震に、船酔いのように気分が悪くなったけど、そんなことはどうでもよかった。

その文章を書いている時、「さちさん、こんな時に仕事してるの? なんで平気なの…?」と、それまでフリーズしていた女性が泣きそうな顔で尋ねた。「どうしてだろう? きっと、かなり図太いんですねぇ…」とだけ答えたのは、結婚して長くたつのに子どもがいない彼女の気持ちを思ったから。「娘が助かると分かったから安心して死ねるの」というのが本音だった。「これっきりずいずいに会えなくなるのは淋しいし、まだ9歳なのに母親が死んじゃうなんて可哀想だけど、仕方ない。素直で芯の強い子に育っているから、あとのことはなんとかなるだろう。ずいずいに何かあって私が生き残るっていうよりも、こっちの方がずっといい。神様、仏様、ご先祖の皆様、ずいずいをお守りくださってどうもありがとうございます…」とも思った。

何度目かの大きな余震が過ぎた時、ふとエレベーターを見たら、エレベーター本体(?)と、ビル本体との間に隙間が出来て亀裂が入っていた。「このビル、ヤバいかも」と誰かが言い、非常階段で外に出ることになった。らせん状の階段を下りる途中も大きな揺れがあって、一瞬、ふわりとジェットコースターにのったような感覚を味わった。大勢の人たちの悲鳴が響く。

外に出て、しばらく待機している時に、ずいずいにメールをした。メールの到着も時間がかかるだろうから、これを読むのは数時間後になるかもしれないな…と思ったが、一応。「地震大丈夫だった? 地震の影響でしばらくは電話がつながらないと思うけど、落ち着いてね」と。そうこうしているうちに、神戸の友人から電話が入った。地震のニュースを見て、すぐに心配して電話をしてくれたのだ。こちらから電話の発信はまったく出来なくなっていたけれど、地震の影響がない地域からかかってきた電話の受信は出来たというわけ。「都内で仕事をしている時に地震がきたから、ずいずいとは離れている」「ずいずいは下校途中で1人でいる。かなり不安に思っているはず。電話して安心させてやりたいけど電話が通じない」と言うと、彼女が、「こちらからかければ通話出来るみたいだから、私がずいずいのケータイに電話しようか?そして、さちからの伝言を伝えてあげる」と言う。「是非そうしてもらいたいところだけど、あの子には、知らない電話番号からかかってきた電話には絶対に出るなと言ってあるのよ。でも、ありがとう」と答えて、ひとまず電話を切った。

そうこうしている間に、タクシーが1台もいなくなった。電車が止まったので、急いで移動したい人たちはタクシーをつかまえたんだろう。「とりあえず、大きなターミナル駅に行けば、情報も入りやすくなるだろう…」と思い、ひとまず東京駅まで歩くことにした。歩いている途中、ヒビが入ったビルだの、崩れたブロック塀だのを見かけた。会社に用意してあったらしいヘルメットをかぶって帰路についている会社員も多かった。救急車や消防車のサイレンがあちこちで響き、ヘリコプターが何台も飛び始めた。

たまにはくつぞこ(肉球)減らして歩き回ってみろ。

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ライオネル「君はこれから現場か」

ミハイル「そのようだな。お前と違って外回りが多いんだよ。お前もたまにはくつぞこ(肉球)減らして歩き回ってみろ」

ラ「いやいや、犯人を追っかけたりとっつかまえたりするのは性に合わないんでね。そこは体育系の君にまかせるよ」

ミ「ちっ…」


ミハイルはジャーマン・シェパード。ライオネルはラブラドール・レトリバー。

原作では、犬たちがたまに擬人化されて描かれる時があって、それがものすごくカッコいい。放映中のドラマはそこまで映像化できてなくて残念。スピンオフで、犬たちの擬人化バージョンやってくれないかなぁ…。(ミハイル役はぜひ西島秀俊でお願いします。)

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子どもにとって大事なのは、“感動すること”なんじゃないかという話。

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先週末、ずいずいのヴァイオリンの発表会があった(写真は本番直前の緊張した後ろ姿)。おととしはエルガーの「愛の挨拶」、去年はチャイコフスキーの「花のワルツ」と、明るくて甘い、どちらかというと女の子っぽい曲を弾いたずいずい。今年はガラリとイメージを変えて「情熱大陸」を弾いた。「情熱大陸」は、ずいずいが赤ちゃん時代から大好きだった曲。0~2歳くらいの頃は、夕方になるとむずかって“黄昏泣き”をすることがけっこうあったのだけど、この曲を聴かせると泣きやむことが多かった。

「聴くのは好きだけど、弾くのはちょっと…。私らしくない曲だと思う」と、最初は躊躇していたずいずいだけど、「今回はちょっとイメージを変えて、違うタイプの曲に挑戦してみない?」という先生の薦めもあって、この曲に。クラシックにはない独特のリズム感やメロディー(特にアドリブ部分の)に手こずっていたようだが、なんとか発表会までには仕上がって弾けるようになった。本番では3箇所ほど音程が怪しい箇所があったけど、前日からの緊張を思えば、まぁ、上出来だったと思う。ヴァイオリンの先生にも、伴奏のピアニストの方にも褒めていただいて、ずいずいもホッとした様子だった。

昨日、教室にレッスンに行ったら、初めてお話しする方(その方のお子さんもヴァイオリンを習っているそう。ずいずいとは別の先生だけれど)に、「ずいずいちゃんの演奏良かったです。いつもはロマンチックな曲を弾いていたのに、今年はガラリと変わりましたね。毎年ずいずいちゃんの選曲とお洋服を楽しみにしてるんです」と言っていただいた。私もそうだけれど、何度か発表会やグループレッスンを体験すると、“気になる子”が出来る。「あの子、今度は何を弾くのかな? 何を着るのかな?」と。ずいずいの成長も、そんなふうに気にしてくださっている方がいると分かって、ほっこりした気分になった。

発表会の終わりに、教室を主宰している先生が、「発表会をする上で、というより、音楽をやっていく上で、一番大切なのは、“感動する”という体験」だとおっしゃっていて、なるほどなぁと思った。「あんまり感動しない」「達成感を味わったことがない」「ものすごく嬉しいとか悔しいとか感じたことがない」「誰かの喜び・悲しみ・痛みに共感したり想像したりすることができない」……というように見える人が、大人も子どもも増えているような気がする。耕されていない、乾燥して痩せた畑の土のように。土にに鍬を入れて、耕し、水を与え、奥の方まで空気や太陽に触れさせるような、そういう体験が子どもには必要だと私は思っていて、それが音楽だったり、自然の中で遊ぶことだったり、旅行して素晴らしい景色や建物に触れることだったりするんじゃないだろうかという気がしている。


ところで、ヴァイオリンを数年習って中級クラス以上になってくると、発表会で披露する曲はコンチェルトが多くなる。「協奏曲第〇番〇短調第〇楽章」というように。せっかく腕前が上がってきたのだから、どうせ弾くならある程度難しくて長い曲を…ということで、そのへんに落ち着くのだろうか。クラシックのヴァイオリンを習っているのであれば、それが王道なのかもしれない。でも、かなりクラシック好きな方でもない限り、コンチェルトを最初から最後まで熱心に聴いてくれる人というのはそうそういない。何分間がじーっと(我慢して?)聴いていて、クライマックスになって、「あー、ここ、聴いたことあるわ!」…というのが一般的な反応なんじゃないかと思う。…となると、(我が子ならまだしも)よその子どもが何人も続けてコンチェルトを弾くのを聴き続けるというのは、あまり楽しい時間ではないような気がする。

それで私は、発表会の曲を決める時、コンチェルトを選ぶのをつい避けてしまう。多くの方が知っているメロディーで、頭の中で一緒に歌ってもらえるような曲とか、初めて聴いたとしてもすっと身体に馴染むようなキャッチーなメロディーの小品とか。前回の発表会から1年間練習してきて、今年はこれくらいの腕前になりました…という披露の場が発表会なので、「その子がいま弾ける一番難しい曲を披露する」という方向に間違いはないのだろうけど、それだけじゃなく、せっかく聴きにきてくださった方々が、(たとえ子どもの拙い演奏であったとしても)少しでも音楽を楽しんでいただけるような選曲をしていきたいなぁと思う。



「情熱大陸」で、何かに火が付いちゃった(?)様子のずいずいは、「来年はリベルタンゴを弾きたい」なんて言っている。今年ああいう曲を弾いたから、来年はベタベタにクラシックな曲がいいのではないかと私は思うのだけど…。どうなることやら。…ってゆーか、本格的な恋のひとつもしたことがない小学生女子がタンゴなんて弾きこなせるんだろーか? まあ、とにかくまずは、日々の練習をコツコツと。



http://youtu.be/nmwpR5_49uk

トロいなりに、頑張ったで賞。

昨日の午後は、球技大会観戦のため、ずいずいの学校へ。おとといあたりから、痛みや吐き気があまり気にならず、だいぶ調子が良かったので、行くことが出来た。

昨日の朝、出かける前に、ずいずいはこんなことを言っていた。「ドッジボールとポートボールをするんだけど、私たちのクラスは一番弱いっていう評判なの。熱中してくると、味方同士でボールを奪い合ったりしちゃうんだよ。そんなことじゃダメでしょ? それに、ポートボールで自分がボールを持っている時に、相手チームの子たちに取り囲まれると、パニックになっちゃって、味方が誰もいないところにボールを放り出しちゃったりもするの。それで、体育のN先生に、いつも、『こんなことじゃK組はビリになっちゃうぞー』って言われちゃうの…」

真剣に悩んでいる様子のずいずい。運動が滅茶苦茶苦手なのに、「勝ちたい」「負けたくない」と思う意地だけは強いのだ。「アタシはどうせスポーツなんか苦手なんだもの。勝ち負けはどうでもいいから早く終わらないかなぁ…面倒くさいなぁ…」というふうに流せる子ではない。

ずいずいには申し訳ないけれど、内心、「…たかが、校内の、クラス対抗の球技大会なんだからさぁ…」と思っていた私は、軽い気持ちで、「まぁ、でも、よその学校と対決するとかじゃなくて、クラス対抗の校内行事でしょ? そんなに思い詰めないで、楽しくやればいいんじゃないの? 勝ち負けはあんまり気にしなくていいと思うけどなぁ…」と言った。するとずいずいは、しばらく黙って、じーっと私の顔を見上げていた。

私「…なによ?」

ず「やっぱりママもそう言うのかー…」

私「え?」

ず「N先生がね、『おうちの方は、きっと、勝ち負けにこだわらず一生懸命やればいいから…って言うと思うけど、スポーツで勝負する以上、絶対に勝つつもりでやらなくちゃダメなんだ』って言ってたの」

私「へー。なるほどー。みんな、熱いんだね」

ず「そうなんだよ。みんな本気なんだよ。だから負けたら泣いちゃう子もいるかも…」

「よく分かった、とにかくママも必ず行って、張り切って応援するから、アナタも出来るだけのことはしなさいよ」…と言って、ずいずいを送り出した。

子どもたちの周りに、「勝ち負けなんて気にせず頑張ればいい」と言う大人と、「やるからには勝たなければ」と言う大人が両方いるというのは、なかなか良いことのような気がした。もうそろそろ3年生も終わりだから、異なる意見で混乱することのデメリットよりも、異なる意見をいろいろ聞いて、それらを自分なりに飲みこんで消化吸収していく…ということのメリットの方が大きいんじゃないかな、と。

実際の試合は、なるほど、みんな熱かった。試合に参加している子が真剣なのはもちろんのこと、応援に回っている子も観戦に集中して大きな声で応援していたし、先生方の応援も熱かった。ずいずいの担任の先生は、終始大声で子どもたちに声をかけ続けていたせいで、声がガラガラに枯れてしまっていた。自分のクラスが得点するたび、全身でガッツポーズをして喜びを表現するS先生。そんな先生を見て生徒たちも更に発奮している様子だった。いいなぁ、S先生…(笑)。上級生たちもやってきて、クラスカラーの鉢巻きを振りながら応援してくれていた(6年K組の子たちは3年K組を応援する…という具合)。なんだかタカラヅカちっくで可愛い。

ポートボールの部はU組が、ドッジボールの部ではK組(ずいずいたちのクラス)が優勝だった(ちゃんと優勝カップも授与される)。こういう大会では、体格のいい子や運動神経の良い子が、どうしても花形選手として目立つ。でも、閉会式で先生方が講評を述べた時、ずいずいの担任の先生が「何度もボールをキャッチして目立った活躍する子ももちろん素晴らしいけれど、団体競技はそれだけでは勝つことが出来ません。ボールに触っていない他の子たちがうまく走りまわったおかげで、ボールを持っている子がうまく走れたのかもしれないし、相手チームに邪魔されずに動けたのかもしれない。目立っている子だけじゃなくて、他の子もちゃんと役割を果たしているんです。それが団体競技の素晴らしさです」というようなことを話してくださって、“その他大勢”の子たちもねぎらってもらえたので、良かったと思う。

ポートボールは、ゴールマン(台の上に乗って、シュートされたボールを受け止める人)と、ガードマン(ゴールマンのすぐ手前に立って、シュートをブロックする人)と、その他のプレイヤーがいる。ずいずいはガードマンをやっていた。あまり機敏には動けないけれど、最近背が伸びたので、その役目が回ってきたのだろうか? そういえば、体育の授業でポートボールが始まった頃、ずいずいが、「みんな、『私はゴールマンをやりたい』とか『私はガードマンがいい』とか、色々言ってたんだけど、N先生が、『団体競技で勝つためには、“やりたいこと”じゃなく、“出来ること・得意なこと”を引き受けることが大事』って言って、それで役割分担をしたの」と言っていたっけ。数回きちんとブロックをして、ずいずいにしてはなかなか健闘していた(帰宅してから思い切り褒めてやったら、ちょっと照れながらも、すごく嬉しそうな顔をしていた。鼻の穴をふくらませて)。

ただし、苦手なドッジボールでは、ボールをぶつけようとする子に背中を向けて逃げるものだから、まんまと後頭部にぶつけられていた。帰宅後、「背中を向けて逃げたら、絶対にボールをキャッチできないよ」と言ったのだが、「ボールをみながら後ずさりして逃げなくちゃいけないって分かってるんだけど、それをやると、アタシ、すぐにひっくり返っちゃうの…」と言っていた(笑)。…後ずさりが出来ない、トロくて可愛い、うちのムスメ。

トリカブト始めました。

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お笑いの世界では、「冷やし中華始めました」という歌を最近よく耳にする今日このごろ、私は「トリカブト始めました」。

そう、あのトリカブト。『東海道四谷怪談』で、お岩さんが飲まされたというアレ。韓流ドラマ『チャングムの誓い』では、「附子湯(プジャタン)」という名前で登場し、毒殺刑に用いられていたアレ。和漢生薬の世界では、薬に使う時は「ブシ」、毒として使う時は「ブス」と呼ばれるそう。そもそも醜い顔を表す「ブス」という表現は、トリカブトを飲んでもがき苦しんでいる時の歪んだ顔を表したのが始まりらしいので、その深刻さを考えると、あんまり簡単にブスって言っちゃいけないんだぞ、みたいな。

トリカブトという名は、花の形が、(古来の装身具で今は民族芸能などに用いられる)鳥兜や烏帽子に似ているところから名付けられたそう。英名では「MONK'S-HOOD(修道士の頭巾)」というらしい。

首の椎間板ヘルニアは、どうやら、これといって有効な治療法はないようだ。整形外科では、痛み止め・その痛み止めが胃を荒らさないための胃薬・末梢神経障害(痛みや痺れ)を改善するためのビタミンB12なんかを処方されているのだけど、それでもまだけっこうな痛みを感じる。首を牽引するリハビリは、主治医と話し合って、やらないことになった。主治医によると、牽引の効果はさほど期待できないらしく、医師もその効果についてははっきりと言及できないようだ。「筋肉のストレッチをして気持ちが良いような場合には、首や肩の不快感がまぎれる」とか、「血流を良くすることで若干治りが早くなるかもしれない」とか、そんな程度なので、「引っ張っても気持ちよくないとか、逆に痛みが気になるとかいう場合は、わざわざ牽引のために通院するより、むしろ家で安静に寝ていたほうがいい」と言われた。私は、牽引することでなんだか痛みが増したように感じていたので、もうこれ以上やらないことに。

まだけっこう痛みや不快感は強いのに、もう何も出来ることはないのか?…と思っていたのだけど、マイミクさんのドクターとりんさんから、トリカブトを使った漢方薬に、血行を促す作用や鎮痛作用があることを教えてもらった。たまたま、今日、漢方のかかりつけ医の診察にいく日だったので、私の体質に合うかどうか相談したところ、試してみる価値大だということになり、処方してもらうことが出来たのだ。

まだ1回しか飲んでないのだけど、即効性のある薬らしく、飲んで30分くらいたったら首や肩がポカポカしてきた。そして、雪が降る少し前からひどくなってズーズーとうずいていた肩や腕の痛みが、いくぶんマイルドになった気がする。トリカブト、いいかもしれない。私は疑い深い性格なので、プラセボ効果はほとんどないと思うから、たぶん、効いてるんじゃないだろうか。いや、この際、プラセボでもいい。少しでも楽になるなら。

午前中は整形外科、午後は少し仕事をして、夕方は漢方の医院、それから調剤薬局…とまわり、夜は、しばらくご無沙汰していた鍼灸マッサージの治療院の先生(私は、今、身体の痛みに関しては、この人を一番信頼している。彼が、いつもドクターとりんと同じ意見だというところも安心度が高い)のところに、MRIの結果だの、トリカブトを飲むことになったことなどを報告に行き、メディカルな1日になった。そこで、先生自身も牽引の効果に関しては以前から懐疑的であったこと、たとえばアメリカでは牽引治療はほとんど行なわれていないこと、医師によっては「ヘルニアは、引っ張るよりも、むしろ押した方がいい効果が得られる」という説を唱えている者もいること、ヘルニアがあっても痛みを感じない人や、ヘルニアが治っても痛みが消えない人もいること等を考えると、ヘルニア部分だけの治療を考えるのではなく、血行を良くする治療を合わせて行なっていくことや、全身の状態をチェックしていくこと、長期的には食事の改善や適度な運動で筋肉の質を良くしていくこと
等が必要なのではないか…等々のお話を伺う。(その間、電位治療器の椅子に座って、だらりーんとリラックスしていた。)

そんなこんなで、「イタミちゃん(←と名付けてみた。痛みを嫌ったり恐れたりするとウンザリした気分になるので、機嫌良くフェイドアウトしてもらうために、ちょっと親しくしてみようというスタンス)」とのつきあいは、まだ当分続きそうだ。イタミちゃんのクセを把握して、少しでも楽になっていければと思っている。

トリカブトのことを先生に話した時、「本当は、漢方薬になる前のトリカブトも欲しいんですけどね。けけけ…」と言ったら、「Nさんが言うと冗談に聞こえないから止めてください」と言われてしまった。……冗談に聞こえないらしい……。

“綺麗事でメシを食う”ことのリスク。

自分が関わったことのある人が、殺されたことはありますか? 私はあります。

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バレンタインデーはチョコレート会社にとっては一番のかき入れ時。でも、今、人権活動家たちが、「原料のカカオがどのように生産されているか考えてほしい」と訴えているそう。

たとえば活動家団体「グリーン・アメリカ」は、消費者からハーシーの経営陣に直接電子メールを送り、“児童強制労働とは無縁であるというお墨付き”のカカオを使用するよう要求すべきだと訴えており、7日までに1万通以上のメールが送られたそうだし。(ハーシーの広報担当者は、同社はカカオ生産地で搾取的な労働が行われないよう手助けしており、生産技術や教育に役立つ支援も行っていると反論している。)

別の活動家団体「Avaaz」に至っては、コートジボワール産のカカオをボイコットするよう主張(同国は世界第1位のカカオ大国で、昨年は120万トンを生産)。“長年内戦の続くコートジボワールでは、昨年11月の大統領選挙で国連が認めた投票結果では敗北となったバグボ大統領が引き続き権力の座にあり、国際社会から辞任の圧力にさらされている。同国のカカオは、バグボ政権の資金源となっている”というのが、不買運動の根拠。

確かに、どんな問題でも、まずはそこに問題があるのだということを提起するのが、解決に向けての重要な第一歩なのだけど。「望ましくないやり方であっても、それでごはんを食べている罪のない人たち」のケアはどうなっているのかが気になる。

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十数年前、会社員をしていた頃、南米の珈琲豆を輸入する仕事の担当をしたことがある。当時は「フェア・トレード」なんていう言葉も概念も日本にはあまり浸透していなくて、一部の市民運動家だの、オーガニック食品に詳しい人間だのが知っているという程度だった。

輸入するのは、ペルー・メキシコ・グァテマラの3国で有機栽培された珈琲の生豆。当時、それらの国の珈琲ビジネスはすべてマフィアがからんでいて、怖ろしいほど安い価格で農民から買い取っていた。さらに、政府高官が薬品メーカーやマフィアと癒着していて、先進国では既に販売しにくくなっていた強い農薬を、「これを使わなければ虫や病気が発生するのだ」といって農民たちに買わせ、半強制的に使わせてもいた。ただでさえ利益の薄い珈琲生産者に、農薬の経費が重くのしかかる。それだけでは食べていけない農民は、大麻栽培などに手を出すしかなくなる。大麻ビジネスで、また、マフィアが潤う。

「搾取されている農民たちが正当な報酬を得られるように」「農民がマフィアの資金獲得に利用されないように」「不必要な農薬など使っていない安全な珈琲豆を手に入れるために」…等々の目的のため、アメリカの珈琲メーカーとNGOが現地に農園を持った。マフィアを通さず、農民が珈琲会社に直接珈琲を売るというビジネスを立ち上げたのだ。農薬を使わずに育てたそれらの生豆は、有機認証団体によって検査が行なわれ、「オーガニック農産物である」という承認を得て、より付加価値を増した農産物として流通される。

それに乗ったのが、当時、私が勤めていた会社だった。私の仕事は、現地に駐在しているアメリカ人スタッフ(珈琲会社やNPOの)と連絡をとり、「各生産国の生産者情報や生産履歴を入手し、フェアトレードな商品であることを日本の消費者に伝えること」「3つの生産国からいったんアメリカに集めた生豆を、1つのコンテナにして、日本に輸入すること」「その生豆を日本の珈琲メーカーに卸すこと」「それら日本のメーカーが日本人好みに焙煎した製品を、今度は自分の会社が仕入れて販売すること」だった。「輸送途中で虫などが発生し、日本の港で検疫にひっかかって薬品による燻蒸処理を受けた場合(オーガニックという付加価値を失った場合)、別のルートに安く売りさばく」という道も確保しておかなければならなかった。

「顔の見える関係」をテーマに、国内だろうが国外だろうが、生産者の名前や顔写真、人となり、生産履歴などを積極的に公開していくのが、当時私がいた会社のやり方だった。が、現地のアメリカ人スタッフたちは、「生産者は、顔も名前も公表できない」と言ってきた。「我々の農場で働いている生産者は、マフィアにとっては裏切り者だから、日常的に様々な嫌がらせを受けている。ひどい病気になって病院に行きたくても、それを邪魔されて治療が受けられず重症化した者も出た。だから今、我々は、通院や買い物の時にはクルマで送迎するようにしているし、子どもたちには我々が作った小屋で読み書きを教えている。こういう状況で、“フェア・トレードの珈琲を生産している生産者”と、ヒーローのように日本で顔や名前が出ることは、色々な意味で刺激やリスクが大きすぎると考える。顔が見える関係だということが確認できるよう、あなたには生産者の名前や顔写真を送るが、それは消費者には決して公開しないでもらいたい。念のため、あなたも記事には名前を書かないことをお薦めする」という内容の連絡だった。

それでも、一部の生産者と手紙や電話でやりとりをすることが出来たし(アメリカ人スタッフに通訳・翻訳してもらいながら)、農薬使用の有無や残留農薬等については有機認証団体が検査した際の書類で確認することが出来たから、極めて慎重にではあったけど、輸入販売をスタートさせることが出来た。

が、何度目かの輸入を控えていたある時、悲劇が起こった。いったんアメリカに向けて輸出する生豆を農園から運んでいたはずのトラックが行方不明になったのだ。捜索の結果、運転手(生産者たち)は撃たれ、たくさんの生豆を積んだトラックもろとも谷底に落ちて亡くなっていたことが分かった。

フェアトレードってのは、そういうリスクと常に隣り合わせの仕事だということ。

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マフィアだの悪徳政治家だのの息がかかっていない農産物、子どもの強制労働がない農産物、フェアトレードの農産物……というと、先進国の消費者は「いいねえ」「こういうのを選ぶべきよね」と言う。それは良いことなのだ。やはり、フェアトレードはもっともっと広がっていくべきだと思う。

ただ、なんというか、「上っ面だけ見て、フェアトレードじゃないからダメ…とかって、簡単に言ってほしくねーんだよ(←つい言葉が乱暴に…)」って気持ちが強くて、こういう記事を見るとあまり気分がよろしくない。

それは日本の農産物でも同じ。真面目に農業をやって農薬も減らしているけれど、さまざまな理由から(経済的理由、あるいは農業に対する哲学の問題)、あえて有機認証は取得していない…という生産者もたくさんいるのだ。簡単に、「うちは有機農産物じゃないと扱わないんですよね~」って一蹴するバイヤーは、「モノを知らねーなコイツ(←また言葉が乱暴に…)」と思ってしまう。

雪の日にダラダラと。



●午後、義母から、「ビーフシチューを作ったから、10分後に、(マンションの)下に、ずいずいを下りて来させて」と電話があった。朝から降っていたみぞれが雪に変わった頃だったので、申し訳ないやらありがたいやら。

ダウンジャケットを着てずいずいと一緒に外に出ようとしたら、ずいずいが、「アタシが取って来るからママはお部屋にいればいいよ」と言う。「ありがとう。でも、おばあちゃんがこの雪の中をわざわざ歩いて届けに来てくれるのに、ママだけあったかい部屋で偉そうに待っているわけにはいかないよ」と言ったら、「でも、ママ、具合が悪いんだしさ、おばあちゃんきっと、『ママはわざわざ出てこなくて良かったのに…』って言うと思うよ?」と。「気持ちの問題なんだよ。そりゃあ、ママが外で待っていたからって、おばあちゃんの大変さや寒さはなにも変わらないよ。でもママは、自分のために誰かがそうやってくれている時に、温かいお部屋で平気な顔をして待っていられるようなタイプではないんだよ」と言うと、「…そっか。そうだね…」と、ずいずいもそれは理解できた様子。

届けてくれた義母は、「うっかりして玉ねぎ焦がしちゃって、ちょっと臭くなっちゃったのよ。ハハハ…」と笑っていた。でも、こうやって作って届けてくれる心遣いが有難い。実はずいずいは焦げ臭い匂いが大嫌いなのだけど、今日はちゃんと言い聞かせて、できるだけ食べさせた。


●子どもの頃、実家は、父が仕事に行く時と帰ってくる時、母も私も弟も、必ず玄関まで行って「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と声をかけるのが当たり前の家だった。寒かったり、テレビやマンガの途中だったりして、「えーっ…」なんて声を出したら、母に怒られたものだった。私自身も、母に、そんなふうに見送られたり出迎えられたりして育ってきた。だから、いまだにそういうことが気になってしまう。特に、人を見送る時は、「その人が無事で帰ってきますように」と、まるで、自分の目から何かのビームが発射されてその人を包みこむようなイメージで(笑)、背中が見えなくなるまで見送るようにしている。

今は、そんなことは気にしない人も多いらしい。場合によっては私のようなメンタリティーは情緒過多のように思われたりもするのかもしれない。人によってはうざかったり重かったりするのかな。(…でも、情性欠如者よりはだいぶマシだよ、と自分を励ましておこう。)


●偶然かもしれないけど、一応書いておく。先週の土曜、MRIの検査中に、乗り物酔いのように気持ち悪くなってしまった。その日以来、吐いてしまうほどではないけど、うっすらとした気持ち悪さが続いている。つわりの時に似てる気持ち悪さ。それから、あの日以来、左手が痺れるようになってしまった。MRIのへんな枕に30分固定されていた間に、ほんのちょっとだけ何かがズレて、そういう症状が始まっちゃったんじゃないかという気がしているのだけど…どうだろう? 

MRIには椎間板ヘルニアがはっきりくっきりと写っていた。でも、あんなにもひどい激痛の原因になったものなのに、「痛みをもたらす敵」というふうには思えなかった。「ああ、私が全然メンテナンスをしなかったツケがたまって、こんなふうに傷んでしまったのね可哀想に…」という気分だった。痛みが落ち着いたら、ドクターとりんにも、医師や鍼灸マッサージの先生にもアドバイスされたように、少しずつ筋肉をつけて鍛えていかなくては…と思っている。


●お天気が大きく崩れると、なんとも悲しい気分になる。ずいずいは赤ちゃんの頃、気圧の変化に敏感な子で(今も少しその傾向は残っているが)、台風や大雨や雪の日に微熱を出すことが多かった。大人でも、気圧の影響を受けやすいタイプはいるのだろう。ドクターとりんがいつも教えてくれるように、凹みを、「気分の問題」と曖昧なまま放置せずに、タンパク質だの鉄分だの、自分に必要な栄養素をきちんと摂っていくことで、徐々に改善されていくのだろうと思っている。


●そういえば、今思い出したけど、2~3日前に、「ルナルナ」( http://pc.lnln.jp/PC/index.html )から、11日が生理予定日ですというお知らせメールが届いていたんだった。そうか、このどんよりした気分、ちょっとでも突つかれたら泣きたくなっちゃいそうな情けない気分は、気圧だけじゃなくてそのせいもあるのか。不快なことでも、原因が分かると少し気持ちが落ち着く。“状況を把握する”ってことは大事だね。


●雨や雪が降り始めてから、首や腕の痛みがいつもより増した。神経痛持ちのお年寄りが、「お天気が悪いとあちこち痛んでイヤだねえ」と言っていたのは、コレだったのか…と、いまさらながらに思う。あのおばあさんたちも、ここまで痛かったんだろうか? もっと優しい気持ちで聞いてあげればよかった。


●こんなふうにお天気が悪くて淋しい気分になりがちな時でも、家の中にずいずいの気配があるだけですごく救われる。ずいずいがトドのように寝っ転がって本を読んでいるのを見ながら、「こんな気分の日に、この子がいなくて、1日中1人ぼっちだったらどんなに淋しいことだろう?」と考えていた。

たまにずいずいの声を聞きたくなって、用事もないのに声をかけてみる。

私「ねぇ、大政奉還って何年だっけ?」
ず「1867年」
私「間違いない?」
ず「間違いない。“一派むなしく大政奉還”って覚えるんだよ。で、11月9日だから」
私「うん」
ず「その時の将軍は15代の慶喜だよ」
私「そのくらい知ってるよ」
ず「…そっか…」

そういうどうでもいい(ごめん、ずいずい)会話で、雪の日の淋しさが癒される。子どもって不思議な存在だと思う。そしてまた、ずいずいは黙って本の世界に戻っていく。静かな雪の日の夜。

オナラによる、“フェアな人間とは?”の考察。(嘘)


しばらく前のこと。お習字の時間、皆が集中して作品に取り組み、教室全体がしーんと静まりかえっていた時、それは起こった。

「ぷぅっ♪」という音が、教室中に響き渡ったのだという。発信源は、どうやら、真ん中の列の、一番後ろの席のあたり。つまり、ずいずいと、お隣りの席の○○○さんが座っているあたり。

くすくすくす…っと、さざ波のように、教室に女の子たちの笑い声が広がる。そして、皆がずいずい達の方を振り向く。ずいずいもその時、つい、くすくす…っと笑ってしまったのだそう。

すぐに、その音は○○○さんから出たものだと気がついた。でも、○○○さんは真面目な顔のまま、雛人形のように綺麗な顔でお習字に集中している(ように見える)。結果、皆は、「…やった?」「やったでしょ?」「やっちゃったよね?」という愉快そうな表情で、ずいずいの顔に視線を集中させたのだそう(笑)。

私「で、あなたはそれでどうしたの? 『アタシじゃないよー』って?」

ず「ううん。なにも言わないでみんなと一緒に笑ってただけ。だから、私がオナラしたって思ってる子が多いかも」

私「ふーん。どうして黙ってたの?」

ず「だって、私が『違うよ』って言ったら、『じゃあ○○○さん?』ってことになっちゃうじゃない。」

私「じゃあ、あなたは○○○さんをかばってあげたわけ?」

ず「そうじゃないの。かばってあげよう…って積極的に思ったわけじゃないの。でもね、実は私、その前の日、算数の時間に“ぶっ!”ってけっこう大きな音でオナラしちゃったんだ。だけど、先生が冗談を言って、みんながどっと笑った瞬間、まさにその瞬間に“ぶっ!”と出たから、大きい恥ずかしい音のオナラだったのに、誰にもバレなかったの~(笑)。すごい偶然、ちょーラッキーだったんだよ。だから、それで、1回得してるっていうか、ズルしてるっていうか、まあ、そういうことがあったの。前回は神様に窮地を救ってもらったから、今回は疑われても、プラスマイナスゼロかな、って。それに、“ぶっ!”じゃなくて、“ぷうっ”っていう可愛い音だったしね。」

神様、これが、我が娘が考える“フェア”なのでしょーか?

「親の祈り」

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ずいずいが幼稚園に入園した時も、小学校に入学した時も、「親の祈り」がコピーされたものを配られた。見えにくいけど、2枚目の写真の、左側の額に入っているのがそれ。

これをいつも心に留めておくのは難しい。私はバカだからすぐに忘れちゃう。だから、時々こうやって読み返す。







『親の祈り』

神様
もっと よい私にしてください
子どものいうことを よく聞いてやり
心の疑問に 親切に答え
子どもを よく理解する私にしてください。
理由なく 子どもの心を傷つけることのないように
お助けください。
子どもの失敗を 笑ったり 怒ったりせず
子どもの小さい間違いには目を閉じて
良いところを見させてください。
良いところを 心から褒めてやり
伸ばしてやることができますように。
大人の判断や習慣で
子どもを しばることのないように
子どもが自分で判断し
自分で正しく行動していけるよう
導く知恵をお与えください。
感情的に叱るのではなく
正しく注意してやれますように。
道理にかなった希望は できるかぎりかなえてやり
彼らのためにならないことは
やめさせることができますように。
どうぞ 意地悪な気持ちを取り去ってください。
不平を言わないよう助けてください。
こちらが間違った時には
きちんとあやまる勇気を与えてください。
いつも 穏やかな広い心を お与えください。
子どもといっしょに 成長させてください。
子どもが 心から私を尊敬し慕うことができるよう
子どもの愛と信頼にふさわしい者としてください。
子どもも私も 神様によって生かされ
愛されていることを知り
他の人々の祝福となることができますように。

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雪の日に。


小雨が降る中、駅に向かうずいずいのランドセルを見送った後、月刊誌の小さな記事を1つ書きあげてメールで納品。ひと休みして朝食でも食べようかと思った時、「長男登校の今、雪降ってる」「こちらも雪です」というマイミクさんたちの書き込みを見た。「ん?」と外を見ると、周りの家々の屋根が白い。いつのまにこんなに?

寒がりなくせに、厚手のオーバーコートを着てランドセルを背負うと肩が凝るからと言って、どんなに寒い日でも薄手のハーフコートで登校しているずいずい。都内はどのくらい降ったんだろう? 

子どもは(少なくとも関東の子どもは)、雪が好き。どんなに寒くても、ワクワクした顔で雪遊びをする。ずいずい達も教室の窓から外を見て、「雪だぁ!」なんてニコニコしてたに違いない。だから、子ども自身は、雪が降ったからといって悲しくなったり面倒に感じたりはしないのだと思う。

でも。

帰ってくる時、寒いだろうなぁ、可哀想に、とか。

風邪ひかなきゃいいが、とか。

あの子、トロいから、道路や駅の階段で滑って転んだりしませんように、とか。

そもそもあの学校のランドセルは、小さい割に重いから肩が凝るんだよねぇなんとかならないものか、とか。

雪の日って、私はなんとなく人恋しいような気分になるのだけど、ずいずいはどうかな、今日はちょっと頑張って、ゆっくり歩いて駅まで迎えに行ってあげたほうがいいかな、とか。

駅で出迎える時、きっとあのプニプニのほっぺが冷たくなっているから、頬をくっつけて「ひゃあ、ママあったかーい」って言わせたいな、とか。

帰ってきたらすぐにホットミルクを飲ませてあげよう、とか。

いや、まずはお風呂かな、とか。

首が痛むようになってからまともに夕食を作っていなかったけど、今夜はありあわせの材料でポトフでも作ってあげたいなぁ、とか。

そんなようなことを、色々思う。

暑ければ暑いなりに、寒ければ寒いなりに、ずいずいのことを想う。私はあまり母性の強い人間ではないような気がしていたけど、こうやってずいずいのことをいっぱい考えているところを見ると、少なくともかなりずいずいのことを好きなんだろう。

そういえば、若い頃につきあっていた人が、「今ごろ満員電車に揉まれて通勤してるんだろうなぁ、出来るなら通勤ラッシュなんかに遭わせたくないなぁ、駅の階段で押されて転んだりしてなきゃいいけど、とかって思っちゃうんだよね。なんかもう、小学生のお父さんみたいじゃない俺?」と言っていたっけ。…当時、彼はこんな気分だったんだろうか? なんとなく「ありがとう」って気持ち(笑)。

あ、雪がやんで陽が射してきた。

ずいずい早く帰ってこないかな。(まだ午前中だけど…)

ダメ母。

土曜日に学校行事があって登校したので、今日、ずいずいは代休。朝からのんびりと本やマンガを読んでいた。私は朝から、少しずつ仕事を片付けていた。〆切は待ってくれない。

お昼前、ずいずいに、「お弁当屋さんに行ってきて」と頼んだ。弁当屋はうちから徒歩1~2分のところにある。味はいまいちだけど、夜にもうちょっとちゃんとしたものを食べればいいや、お昼は無理せずそれで済ませてしまおう…と思ったのだ。

ずいずいは、「えーっ…」と不機嫌そうな声を出した。小学生におつかいを頼んだ時にはよくある反応だろう。磯野カツオだって、ちびまる子だって、みんなこんなようなものだ。だけどずいずいは、あんまりそういう反応をしたことがない。大抵、おつかいを頼むと快く引き受けてくれる。だから私は、ずいずいに断られるのに慣れていなかった。もともと今日は、ヲットに対して思うところがあり、私のコンディションは良くなかった。

「じゃあ、いい。」と、私は冷たい声で言った。それに続けて、言わなくてもいいことまで言ってしまった。「普段、ママのことを心配するようなことを言ってくれてるのは嘘だったの? いざとなったらこんなふうにイヤな顔をするなんて、結局あなたはパパの子だ。パパそっくり。自分のやりたい事だけやって、面倒臭いことはスルーして生きていくなら、そうしなさい。ママも今後はあなたに対してそうします。」

ずいずいの目にぐんぐん涙が盛り上がっていく。「…違うよ。…ちゃんと行ってくるよ…違うよ…。ごめんなさい…。」でも、私の口は止まらない。頭のどこかではひどいことをしていると分かっているのに、意地悪な気持ちが止まらない。この時には、「ずいずいは、おつかいに行くことそのものがイヤだったのではなく、そのお弁当屋がイヤだっただけなんだ。そりゃそうだろう、たいして美味しくないんだから」ってことに気づいていた。でも、「今は非常事態なんだから、そのくらい我慢しろよ」という気持ちも押さえられなかった。

「助けあえない家族なら、もうバラバラに好き勝手にやりましょ」と言って、私はずいずいに1000円札を渡した。「これでアナタは、好きなものを買ってくるなり、外で食べてくるなりしてください。ママはママで勝手にやります。助けあえない家族なんか、家族でいる意味はありません」 しゃべりながら、「これは本当は夫に言いたい言葉なんだ。それを、夫と血がつながっている娘に八つ当たりして傷つけているのだ。お使いを頼まれて、ほんの一瞬、渋っただけのことなのに、ずいずいは今、自分のパパの身代わりで私に意地悪されているのだ…」と思っていた。

ぽろっと涙をこぼして、ずいずいは部屋にこもってしまった。私が渡した1000円札はそのまま放置されている。意地悪の連鎖で、小さな娘を犠牲にする。バカな母親。

のたのたとゆっくり歩いて弁当屋に出かけ、自分の分だけお弁当を買ってきてしまおうか…。いや、それをやったら、幼くて柔らかい娘の心には深すぎる傷をつけてしまうんだろうか…? 自分がひどいことをしていると分かっているのに、心の中で振り上げた意地悪なこぶしを、どうやって下ろしたらいいのか分からないまま。

…と書いていたら、電話のベルが鳴った。「晩ご飯のおかずをちょっと作ったから、ずいずいちゃん取りにこられる?」と、義母から。「おばあちゃんが晩ご飯のおかず作ってくれたっていうから、もらってきて」と、灯りもつけず真っ暗な部屋で丸まっていたずいずいに声をかける。新たなおつかいを言い渡されたずいずいは、なにやら救われたような顔で、「うん、すぐに行ってくる!自転車で行ってくるね!」と出かけていった。飼い主が投げたフリスビーを、張り切って取りに行く時の子犬のような顔で。ぶんぶんふっているしっぽさえ見えそうな勢いで。

ずいずいに、まだお昼ご飯さえ食べさせていないと知ったら、義母はどう思うだろう? まぁ、いいや。おつかいのついでにお昼ごはんやおやつもご馳走になって、おばあちゃんに甘えてくればいい。せっかくの休日、トゲトゲして泣き虫になっている母親のところで過ごすより、ずっといい。

…と思っていたら、すぐに帰ってきた。「苺もらってきたよ。ママ、一緒に食べよう?」まったく、どうしてこの子は、さっき意地悪をしたばっかりのバカな母親に、こんなふうに優しくしてくれるんだろう。「おばあちゃんが、“ちょっと寄ってく?”って言ったけど、帰ってきた。苺一緒に食べよう?」……玄関でぎゅうっと抱きしめたら、ポロポロと涙が出てきてしまった。「意地悪言ってごめんね。あそこまで言うことはなかったのに、ひどいこと言ってごめん。ママ、ここのところ、体調が悪くて気持ちが暗くて落ち込みやすくなってたの。それで、パパに意地悪なこと言われたから、心がトゲトゲしてて、意地悪言っちゃったの。ごめんね…。子どもに八つ当たりするなんて馬鹿だよね」と謝った。ずいずいも堰を切ったようにワンワン泣き出して、「ずいずいも悪かったんだよ。ママが痛くて大変なのが分かってるのに、イヤな顔しちゃってごめんね…」と言った。

今、ずいずいはお弁当屋さんに行っている。「おばあちゃんがくれた晩ご飯を、お昼ごはんにしちゃおうか」と私は言ったのだけど、「いいよ、ちゃんとおつかいに行ってきて、それでリセットってことにするよ」と言って。

魂にランキングがあるのだとしたら、ヲットよりも、私よりも、ずいずいが一番レベルが高いのだろうと思う。私はダメ母だぁ。

“共感”とか、“寄り添う言葉”とかいうようなもの。

昨日、MRI検査を受けた。所要時間は30分強だったろうか。狭い空間にいるのも退屈するのもストレスには感じないが、枕の具合が悪かったのか、乗り物酔いのように気分が悪くなった。結果が出るのは10日。昨日からは左手(腕でなくて手先)が少し痺れるようになってしまったので、楽観的になれる状況だろうが深刻な状況だろうが、早く結果を知って、それに合わせた治療を開始したいと思っている。

以前日記に書いた治療院の先生は、独立する前に、ペインクリニックのある病院の整形外科に勤めていたのだそう。「痛み止めの注射を打っても効かなくて、なんで痛みが消えないのか、また、夜間や明け方に、あのひどい痛みに襲われるんじゃないか…と、不安に押しつぶされて、気持ちから弱っていってしまう患者さんも少なくないんです」と、話してくださったことがある。

「『注射が効かない』と、ものすごく不安そうにしている患者さんでも、たとえば僕らが、『注射は、残念ながら効く人も効かない人もいる。効かない場合は辛いだろうけど、珍しいことではないから、あまり心配しないでください。パニックを起こして過敏になると余計に痛みが強く感じられる場合もあるから、落ち着いて、薬を飲んだり座薬を使ったりしてみてくださいね』とか、『枕や抱き枕で少しでも楽な姿勢を工夫して、痛みをコントロールしていきましょう…』と話をしたり、痛みがどれほど辛いのか、どんなふうに痛むのか…に、しっかり耳を傾けてあげたりすると、それだけでかなり表情が柔らいで、安心した様子で帰って行かれる方も多いんです。激痛を一度経験してしまうと、患者さんはまず、精神的にすごく弱ってしまうんですね。そして、痛みを恐れて過敏になったり、この痛みを誰も分かってくれない、自分の苦しみを誰も気にしてくれない…と、心が固く縮まって恨みがましくなったり人嫌いになったりてしまうんです。だからリハビリは、体だけじゃなく心をほぐしてあげないと効果が出にくいものだと思うんですよね…」とも。

分かるなぁ、それ。先週の日曜日、休日当番の整形外科を調べて駆け込んだのだが、レントゲンは一応撮ったもののロクに問診もせず、「腕は上がりますか?じゃ、四十肩じゃないみたいだな…。とりあえずビタミン剤を出しておきますから、それで様子を見ましょう」…だった。痛みで消耗して気持ちがくじけていたせいか、「せめて痛み止めを出してください」と言う言葉さえ発する気にならず、「この医者じゃダメだ…」と、トボトボと帰宅し、市販の痛み止めを規定量の数倍も飲んでしまったのだった。

翌朝、別の病院に飛び込んだ私は、そこの整形外科部長の先生に、「おそらく首のヘルニア」だといわれた。「痛みが一段落したらMRIで詳しく検査してみますけど、まずはひどい痛みをなんとかしなくちゃね。首のヘルニアは、腰や背中のヘルニアより痛みが酷いことが多いんですよ。こりゃ痛かったでしょう。辛かったね。とにかく痛み止めの注射をしましょう。飲み薬も座薬も出しますからね」。“痛かったでしょう、大変だったね”なんて、こうやって書いてしまうと、平凡な言葉だ。社交辞令の一種かも、とも思える。だけどその時の私は、そう言ってもらった途端に、「あぁ、ここでならきちんと診てもらえる…」と、泣きたいほどホッとしたのだった。

実家の父は、何度も外科手術を受けている。メスの入っていない臓器を数えた方が早いくらいだ。「外科の先生はぶっきらぼうな人が多い。たまに、質問するのもためらってしまうような横柄な医者もいる。先生にとっては大勢の中の1人でしかないのかもしれないけど、患者の1人1人に心があって、ちょっとしたことで泣きたいほど不安になったり、逆に救われたりするってことが、分からないのかしらねぇ…」などと母は愚痴る。「外科医はメンタルをケアする人じゃないからね。ぶっきらぼうでも、腕が良ければなんでもいいじゃないの」「医師も看護師も人手不足で、目の前の事をこなすだけでいっぱいいっぱいなんだよ」などと、そのたびに私はなだめるのだが、実は母の気持ちもよく分かる。母は母で、鬱の治療をするのに相性の良い医師となかなか巡り会えず、ようやく出会った信頼出来る医師に「よくここまで頑張って来ましたね。もう無理しなくていいんですよ」と言われ、その場にへなへなと崩れ落ちてしまったらしい。

痛みや苦しみの量自体は、簡単には変えられないかもしれないけれど、「辛かったね」「大変だったね」という言葉や、「なにか必要なものはある?出かけるついでに買ってくるから…」「なにを遠慮してんのよ。そのくらいやったげるよ。困った時はお互い様なんだから」というざっくばらんな親切で、人の心の免疫力はかなり増すのじゃないだろうか? 少なくとも私はそうだ。

結婚して約10年、 私が繰り返し繰り返しヲットに求めてきたもの。でもそれが叶わずに、いちいち怒ったり悲しんだりして、その都度消耗し、今ではほとんど諦めつつあるもの。その正体は、きっと“そういうようなもの”なんだなぁと最近思う。ヲットは、「トラブルは専門家に任せるしかない。素人が下手に心配したり口出ししたりしてもしょうがない。気休めの言葉なんてなんの役にもたたない」という人間。ある意味、正論かもしれない。でも、人はパンだけで生きているわけじゃない…とも私は思っている。10年も夫婦をやってきて、こういう時にいたわり合うような関係が築けなかったことが残念でしょうがないが、これも自分で蒔いた種であり、選んだ道なのだ。乗り越えるしかない。

ずいずいがとても優しい子に育っていて、色々家事を手伝ってくれる。賢く優しい友人たちは、「手が必要な時はいつでも言って」と構えていてくれる。義妹も心配して電話をくれた。1人じゃない。まだ頑張れる。

ヤム・ウン・セン、千鳥屋工場アウトレット、しまむらの下着。


…というわけで、日曜日以来めっきり行動範囲が狭まってしまった私。今のところ、自宅と病院を往復するだけの毎日。激痛こそ落ち着いたものの、まだけっこう痛みはあるので、おとなしく過ごしている。(明日MRI検査することになりました。)

昨日は、友人あんこさんが、仕事がお休みだからとクルマで会いに来てくれた。私が、「なんか気分がパッとしないから、ガツンと辛いヤム・ウン・センが食べたい」と数日前から言っていたので、タイ料理ランチに一緒に行ってくれることになったのだ。上半身を極力揺らさないようにしながら慎重に移動する私を、あんこさんは、優秀な能楽者のようだと褒めて(?)くれた。

私は、「自分の前世はタイ人だったんじゃ?」と思うくらいタイ料理が好きだ。とりわけ、春雨に野菜やシーフードや豚挽肉を加え、酸っぱ辛く味付けをして香菜をあしらったサラダ「ヤム・ウン・セン」は、大きなサラダボウル山盛りでも食べられるくらい好き。

妊娠8~9ヵ月くらいまで、つまり、妊娠期間のほとんど、私は1人暮らしだった。そして経済的な理由から、出産予定日前日まで仕事も続けていた。つわりがひどかった頃は、ごはん・お味噌汁・煮物・炒め物・珈琲等々、色々なものの匂いがダメになってしまって、食べられるものを見つけるのが大変だった。「1人なのだから、倒れるわけにはいかない…。お金がないんだから、ギリギリまで働かなくちゃいけない。…だから、なんか食べなくちゃ…」と考えた時、頭に浮かんだのはヤム・ウン・センだった。食べてみたら、酸っぱさも辛さもドンピシャリ。「おおお、これぞまさしく私が必要としていたもの!」と思った。「食べられるものがあった!」と小躍りしたいような気分だった。

妊婦だから辛いものは控えたほうが…とか、温かい食べ物をとったほうが…とか、そんなことを言ってる余裕はなかった。とにかく、食べられるものが見つかったことが嬉しくて、ヤム・ウン・センを、食べて、食べて、食べまくった。レストランに行くと高いので、自宅で洗面器ほどもあるボウルに大量に作っては、むしゃむしゃと食べ続けた。ずいずいの細胞の半分くらいはヤム・ウン・センで出来上がってるんじゃないかと思う。

今思えば、大きなおなかを抱えて1人暮らししていることの不安も、経済的な不安も、すべて、「食べてさえいれば大丈夫、なんとかなる!」と、強引に組み伏せようとしていた気がする。

今回、突然の激痛に見舞われて少なからずショックを受け、同時期に偶然発生したいくつかのトラブルも加わって、ちょっと弱気になっていたのかもしれない。それが、あの、日々不安でたまらなかった妊婦時代の記憶を蘇らせて、「そうだ、ヤム・ウン・セン食べなきゃ!」…になっているんだとしたら、人の記憶や身体ってすごく単純で可愛いものよのぅ、と思う。

ヤム・ウン・セン、青菜と海老の炒めもの、きしめんみたいな太い麺にシーフードががっつり入ってる辛い焼きそばなどを食べながら、あんこさんとたくさんくだらない話をした。

あ「悪いけど私、先に大金持ちになるから。アラブの石油王の第5夫人になっちゃってさ。オホホホホっ…」

私「石油なんかそのうち無くなっちゃうよ。…ってゆーか、夫人は第4までじゃなかったっけ?」

あ「え!?Σ( ̄□ ̄)!…じゃ、第5は愛人になっちゃうの!?」

私「私はね、老い先短い大富豪を狙うよ」

あ「…って、アナタ既婚者でしょ」

私「あ、そうだったわ…。まぁいいや。」

あ「でも、実際、お金ってそんなにたくさん必要ないよね。だって、そんなにあっても、使い道ってないでしょう?」

私「あー、やだやだ、骨の髄まで貧乏性な人はやだね。アタシなんか、いくらだって使えちゃうよ。遺産がガッポリ入ったら、世界中のクラブメッドを渡り歩いて優雅に過ごすざます。悪いわね。オーッホッホッホッ…」

あ「なんだよクラブメッドって?安いじゃんかよ。金持ちはもっとずっと高いリゾートで過ごすんだよ。やだわ、貧乏性って。オーッホッホッホッ…」

私「……ぅぐっ……」

あ「なんでクラブメッドって言ったの?」

私「…の、飲み物が、ただで飲み放題だし…」

あ「貧乏くせーーっ!」

私「…飲み放題は大事だよっ!ヽ(*`Д´)ノ………って、サイゼリヤか……」

その後、貧乏くさい2人は、近所の千鳥屋の工場で規格外品のお菓子を格安で買い、しまむらで私の格安下着を買い(こういう状態になってみると、首や肩が痛くて普通の下着を身につけられない。それで、安物でゆるゆるのハーフトップみたいなのを買ったのだ)、貧乏ながらジュージツした午後を過ごしたのだった。

朝の見送り


昨夜、いつもより早めに「おやすみなさい」を言ったずいずい。少し後で部屋の前まで行ったら、「神様、早くママが元気になりますように」ということを、長い言葉で熱心にお祈りしてくれてた。鼻血が出るんじゃないか、って思うくらいの集中力で。

今朝も駅までは送ってやれず、マンションの前で送り出した。駅前交差点までの長い一本道、ランドセルの背中がどんどん小さくなっていく。

もう顔の表情なんか分からないのに、時々振り返ってはぶんぶんと手を振っていた。笑っているのか、心配に顔を曇らせているのか…。

神様、今日も1日、小さなあの子をお守りください。