昨日の続き ~たとえば、「聖☆おにいさん」

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ブッダ「私 誕生日は毎年甘茶をかけられるだけだから…」

イエス「ふふ それだって お祝いの気持ちの現れでしょ」

ブッダ「私 生まれてすぐ 『天井天下唯我独尊』って言ったでしょ?」

イエス「ああ…… でもあれ『どんな命も仏の私と同様に尊い』って意味なんでしょ?」

ブッダ「…………」

イエス「…そのままの意味だったの……?」

ブッダ「若いうちは 皆 何かしらやらかすでしょう? 中2病みたいなものだよ。だから あの甘茶に込められた思いは祝福じゃなくて… 『ちょっと頭冷やそうか?』だよ。……あんなの若気の至りじゃない……私にとっても黒歴史なのに…誕生日のたびに蒸し返されて……」


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イエス「あ、アブラハムさん 今年は下界にも送ってくれたんだ! 毎年父さんのところにハムを贈ってくれるんだよね」

ブッダ「君んちのお父さん、お中元受け取ってるんだ。大量に来ちゃって逆に大変じゃない?」

イエス「あーうん そう言ってた。本当はお祈りだけで十分なんだけど。特に高価すぎるものだね……困りすぎて受け取り拒否するものもあったみたいよ。特にアブラハムさんのとか…」

ブッダ「え ハムじゃないの?」

イエス「いや、お肉が特上すぎてさ…。息子イサク君を贈られそうになった時は さすがの父さんも言葉噛んだらしいもの……」

ブッダ「ちょ 待って! そのハム大丈夫!?」


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「最高にガッカリだ」を表す言葉が「ユダ級」「ディーバダッタ級」だったり、天地創造の時にすべての生き物に名前をつけた「大御所アダムさん」を「天界の糸井重里(代表作は「女」です。)」と呼んだり、イエスが大笑いしたら、飲んでいた六甲の水が葡萄酒になってしまったり、笑いどころ満載の『聖☆おにいさん』。

仏教とキリスト教に関する最低限の基礎知識くらいはないと、このマンガを笑い尽くすことは出来ないんだよねぇ…というのを例え話にすれば、昨日の日記のあの話を、ずいずいはもっと手っ取り早く理解できたのだろうけど、カトリックの学校に通っている小学生には、これはまだちょっと早すぎるかなぁ…というような気もして、別の例え話をしてしまった。

このマンガについて「生きるということに対する真摯さのようなものが、イエスにもブッダにもまったく感じられない。このマンガがなぜ人気があるのか分からない」と酷評している牧師さんのブログを読んだことがある。本気で神様と向かい合っている方にとっては、こういうのって最大の冒涜のように感じてしまうのだろうか? 私は、神仏を信じている人間の一人だけれど、これは“本物”のイエス様やブッダ様とはまったく別物として楽しんでいるし、他の多くの読者も「パロディ」として楽しんでいるんじゃないかと思う。これを“伝記を漫画化したもの”として真面目にとらえて、「イエスやブッダってけっこうおバカだったんだなぁ」なんて思い込んでしまう人はそうそういないと思うのだけど…。(コロッケの物真似を見て、美川憲一のファンが激怒したって話はあまり聞かないしねぇ。そもそも、こういうレベルの話に例えること自体が、叱られてしまうことなんだろうか?)


本家に敬意を払いつつ、パロディを楽しむってことは、両立できると思うんだけどなぁ。

教養ってなに? ~たとえば、ハンプティ・ダンプティ

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3ヶ月くらい前だったろうか、ずいずいが、「ママ、教養ってなに? 一般常識のこと?」と質問してきた。

改めて訊かれると、自分でも、「教養ってなんだ?」と考え込んでしまう。確かに、一般的には「一般常識がある人=教養のある人」という解釈で問題はないと思う。でも、厳密に言うと、それだけじゃないよなぁ…とも思う。

私「確かに、“一般常識がある人・知識が豊富な人”を“教養がある人”と呼ぶ場面はすごく多いから、そういう解釈で特に問題はないと思う。でも、ママは、それだけじゃないとも思うんだよね。その、身に着けた一般常識を使って、人生をより深く楽しめるっていうか、より深く味わえる力のことを、“教養”って呼ぶんじゃないかなぁ?」

ず「……?」

私「たとえば、すごく有名な人の有名な言葉をもじったセリフが、ドラマやマンガで使われていたとするでしょう? その元ネタを知っている人にとっては、そのドラマやマンガはすごく面白いものになるけど、元ネタを知らない人は、何のことだか分からないよね? キリスト教圏の国々では、聖書の言葉をアレンジした文章に多く出会うし、英語圏の国々では、マザーグースって呼ばれるイギリスの古いわらべ歌の歌詞が詩や小説の一部に登場することも多いの。でも、聖書やマザーグースを知らなかったら、それをアレンジした文章を読んでも、ピンとこないでしょう?」

ず「うんうん…」

私「古いたとえ話になっちゃうんだけど、昔ね、現職のアメリカの大統領が、政治スキャンダルで辞任に追い込まれた事件があったの。ニクソン大統領って人だったんだけど。アメリカだけじゃなく世界中が注目していたニュースで、ニクソン側も辞めなくて済むようにかなり粘ったんだけど、ついに辞めるしかなくなってしまったの。そのことが決定的になった日の翌朝、ある新聞の一面の見出しは、『All the government’s men…』とだけ、ものすごく大きな字で書かれていたの。“政府の役人全員が…大統領の側近全員が”…みたいな意味なんだけどさ。これの元ネタは、さっき言った、マザーグースの、ハンプティ・ダンプティの歌なんだよね。ハンプティ・ダンプティってのは、擬人化された卵の呼び名だって知ってるでしょ? 『ハンプティ・ダンプティ、塀の上に坐ってた。ハンプティ・ダンプティ、ぐしゃっと落っこちた。王様の馬を全部揃えても、王様の家来を全員集めても、もう、ハンプティ・ダンプティを元通りにすることはできなかったのさ』って歌詞なの。その、『all the king’s horses and all the king’s men…』っていうところをもじった表現なんだよね。たかがわらべ歌の一説なんだけど、それを知っている人は、『All the government’s men…』という一文を見ただけで、ぐしゃっと割れて元には戻らなくなった卵の様子が頭に浮かぶし、もう誰も大統領をかばってあげることが出来ないところまで大統領が追い詰められてしまったんだ、政権が崩壊したんだ…と、事態の重さを瞬時に知ることが出来るわけよ。知っている人にとっては、そのくらい、凄味のある重~い一文になるというわけ。でも、知識や、それをアレンジする思考力の無い人が読んでも、そういうことはまったく感じないわけでしょ?」 

ず「なるほど~~~…」

私「単純に、ハンプティ・ダンプティの歌詞なら知ってるよ…ってだけじゃダメなんだと思うの。その歌詞を知っていて、なおかつ、その文章がその事件の終焉を知らせる新聞のトップ記事に使われたことの凄味みたいなものを味わうくらいのアレンジ力というか、思考力がないと、人生は薄味になってしまうと思わない? だから、ママは、あなたには、教養っていうのは、“知識”だけじゃなく、“知識をアレンジして人生を深く味わう力”だと思っていてほしいんだよね。もちろん、その大前提として、一般常識がないとお話しにならないんだけどさ」

ず「うん。ちょっと難しいけど、たぶん、分かったと思う」

私「そうやって、色々味わえるようになるために、“歴史でも文学でも宗教でも音楽でも絵画でも、このくらいのことは最低限知っておいたほうがいいですよ、たぶん”っていうのが“一般常識”と呼ばれるものだと思うのよ。世界文学全集に入ってるような物語は一通り読んでおくとか、世界的に名画や名曲と言われているものは一応知っておくとか、将来、楽しい人生を過ごすために、子どものうちからやれることは色々あるよ。ママがたまに見ているモンティ・パイソンっていうのは、イギリスで昔やってたお笑い番組なんだけど、聖書とかシェイクスピアとかの知識がない人が見たら、面白さが半分くらいしか分からないネタがあったりするしさ」

ず「元ネタを知らないとパロディの面白さは分かんないもんね」

私「そういうこと。知識ってのは、いくらあっても脳に格納しておけるから、邪魔にならないもんね。時と場合によっては、知っているのに知らないふりをすることで窮地から脱出したり、誰かに恥をかかせずに済んだり…みたいなことも出来るけど、知らないくせに知ったかぶりをすると…」

ず「イタいよね」

私「うん。逆に、恥をかいたり窮地に立たされたりするかも」


……とまあ、こういうようなことを話したのだけど、主旨は伝わったかな…。これからはどんどん脳が老化して考え方も固くなっていきがちだろうから、娘に追い越されないように、私も“教養”とやらをもっと身に着けないといけないなぁ…と思っているところ。


ず「教養のない大人は、人生、なにが楽しいんだろうね? たとえば、言っちゃ悪いけど……」

私「あなたが思い浮かべてる人は想像がつくけど、そういう話題をあえて避けるのも教養ある人のたしなみだと思うな~」

ず「なるほど~…(笑)」

すごいなぁ、電子辞書。

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ずいずいには、幼稚園年長の秋に国語辞典を買い与えて、辞書の引き方を教えた。ちょうど小学校受験が済んで、時間にも気分にも余裕が出来た頃。TVを見ていても、本を読んでいても、「ママ~、●●●ってなぁに?」とすぐに質問してくる子で、いちいち相手をするのはなかなか大変だったので、「まず、自分で辞書を引いて、それでも分からなかった時だけママに訊くように」と言い聞かせたというわけ。

調べたい時、辞書がすぐ手の届くところにないと調べるのが億劫になり、結局は調べずに終わってしまうと思ったので、ずいずいの部屋に1冊、TVのあるリビング・ダイニングに1冊、合計2冊、ずいずい用の辞書を置いておくことにした。

その頃からずいずいは、電子辞書も欲しがっていたのだけど、「紙の辞書をスムーズに使いこなせるようになるのが先」「まだ電子辞書なんて必要ないでしょ」などと言い聞かせ、そのまま数年過ぎてしまった。その間も、電機店に行くたびに電子辞書のコーナーで欲しそうに眺めていたので、しばらく前にとうとう買ったのだ。

ずいずいは、うんと小さい頃から、「どうしてもあれが欲しい」というようなわがままを言ったことがない。彼女が欲しがったものは、DSと、電子辞書と、自分用のPCくらいだけれど、どれも、「まだダメ」と言うと、それ以上駄々をこねたりはしなかったのだ。(DSは高学年になるまでは買わないつもりだったのに、3年生の夏、パパとずいずいが2人で秋葉原デートをした時に、ヲットが買い与えてしまったけど。)“何度も何度もじーっと見ている”というのは、ずいずいにとっては最大限の“欲しい”という表現なのだと思う。

中学や高校では、電子辞書の機種を指定して購入させる学校もあるという。中高生用の推奨機種が4万円前後もすることに驚いた。ずいずいは、国語辞典・漢和辞典・英和辞典くらいが入っていれば十分なので、1万円程度のものを探し、シャープのPW-AM700というポケットサイズのものを選んだ。ネットで調べてみたら、市場では1万円~2万6千円くらいで売られているらしい。

「外出時に持ち歩き、分からない言葉に出会ったとき、とりいそぎ、最低限の意味を知るために使うもの。どうせ1万円だし…」くらいの認識しか持っていなかった私は、買ってきた電子辞書を自宅でいじってみてビックリした。手帳くらいのサイズに、ブリタニカ国際大百科事典、広辞苑、故事ことわざ&四字熟語辞典、言葉の作法辞典、日本語知識辞典、漢字源、パーソナルカタカナ語辞典、ジーニアス英和辞典、ジーニアス和英辞典、オックスフォード現代英英辞典、類語新辞典、英語・イタリア語・フランス語・スペイン語・ドイツ語・韓国語・中国語の旅行会話辞典、新・家庭の医学、経営用語辞典、株式用語辞典、金融用語辞典、流通用語辞典、不動産用語辞典、会計用語辞典、広告用語辞典、もっとうまいeメールの書き方、世界の料理・メニュー辞典……が入っている。これらを全部買った時の値段や、持ち歩く時の重さを考えたら、すごく安い買い物だと思った。

音声コンテンツも充実していて、英和辞典の10万語や、旅行会話辞典の文例などは、ネイティブの発音を聞くことが出来るし、広辞苑で「チャイコフスキー」と弾くと、人物の説明を読むだけでなく、代表作の有名な箇所のメロディーを耳で確認することも出来る。百科事典や広辞苑の説明を補うイラストなどの画像コンテンツも充実している。だから、たとえば広辞苑で「うぐいす」を引くと、うぐいすの説明文を読み、うぐいすのイラストで姿を確認し、うぐいすの鳴き声を聴くことが出来てしまう。びっくりだ。(こんなの常識?私が知らなかっただけ?)

この内容で1万円だなんて、中高生が使っている4万円くらいの電子辞書は、どれほど充実した内容なんだろう?重くてかさばる百科事典や辞書を何冊も買わなくても、持ち歩かなくても、ほとんどの調べものがこれ1つで済んでしまうなんて…。これじゃ、製本業界は踏んだり蹴ったりだなぁ…。製本機械の製造をしている義父の会社がしんどいのも無理はないや…。(昔は、どこの家に行っても、百科事典が何巻もズラリと並んで本棚のスペースを占領していたものだけど…。)

…というわけで、ずいずいは今、外出時には、熊のモーリーに加えて、赤い電子辞書も持ち歩くようになった。おもちゃとしても、教材としても、目いっぱい楽しんでいる様子。このヘビーユースぶりを見ていると、1万円でもすぐに元が取れそうな感じ。

「黄昏のワルツ」と「リベルタンゴ」


来年2月の発表会、ずいずいの弾く曲が決まった。「黄昏のワルツ」と「リベルタンゴ」の2曲。

本人の第一希望は「チャルダッシュ(チャールダーシュ)」だったのだけど、この曲は発表会では大人気で、毎年必ず誰かが弾く。(前回の発表会は、これを弾いた子が2人いた。) 今回も、もう、これを弾くと決めている男の子がいると聞かされて、がっかりするずいずい。ずいずいはこの曲が大好きで、ヴァイオリンを習い始めて間もない頃から、いつかは発表会でこれを弾きたいと言っていたのだ。ちょっと可哀想。でも、人気のある曲って、こうなりがちなんだよね~。

「どうする? どうしても弾きたいなら、あなたも同じ曲を弾いてもいいんじゃない? ママは反対しないよ」と訊いたら、しばらく考えた後で、「んーーーー。すごく残念だけど、誰かと同じ曲を弾くのはイヤ。その子より下手でも、その子より上手でも、どっちでもイヤな気分になりそうだから」と言う。

気持ちはよく分かるので、「そうだね。聴いている人たちも、どうせなら、今までの発表会で聴いたことのない曲を聴けるほうが楽しいかもしれないし。チャールダーシュは、発表会じゃなくても、いつかどこかで弾く機会があるでしょう、きっと」と言って、他の曲を選ぶことに。

2人で、いくつか候補を決めて、先生に相談した。シュトラウスの「こうもり序曲」は、「うん、いい曲だけど、この譜面はオーケストラ版とほとんど同じアレンジだから、けっこう長くて大変だし、難しい箇所もあるのよね~。頑張れば出来ないことはないと思うけど、これは次回でもいいかな…」、ショパンの「ノクターン(遺作)」は、「んーーーーー。これ、かな~り暗いよねぇ……」などと、先生の意見を聞きながら1曲ずつ候補から外していき、最後に残ったのが「黄昏のワルツ」と「リベルタンゴ」だった。

…ということで、練習を開始したずいずい。ずいずいみたいなボーっとした子がタンゴだなんて、大丈夫だろうか? でも、普段の自分っぽくない曲に挑戦してみるのも面白いかも。頑張れ、ずいずい。 ドレスは何色がいいかな? 


4年生の秋に。

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運動会は無事終了。あの学校の運動会はお天気に恵まれないことが多いけど、今年は暑いくらいの晴天だった。

写真は、パン食い競争ならぬ煎餅食い競争で、ずいずいがとってきたもの。「ママにあげる」と言って、持ち帰ってきた。足が遅い上、他の子が間違えてずいずいのコースにセットされていたお煎餅を狙ってピョンピョンしていたので、ずいずいは残っているお煎餅を探してモタつき、余計に遅くなってしまった。で、本人が予想していた通り、最下位。でも、投げやりにならず、頑張って走っていた。

人前で踊ったり歌ったりが大嫌いなずいずいは、去年もおととしも、ダンスの時に、いかにもやる気がなさそうな様子でチンタラと踊っていたのだけど、今年は「下手でも一生懸命やる」という私との約束通り、なかなか熱心に踊っていたように思う。

私は、こういうイベントの時に、つまらなそうな顔をして雰囲気を悪くする人が嫌い。(“苦手”とか“下手”とかいうのは気にならない。問題ナシ。) 大人でも、「俺は最初からこんなプロジェクトには反対だったんだよね~…」って気持ちがダダモレの人っているけど、団体とか組織とかに所属している以上、そして、そこから自分が抜けだす覚悟がない以上は、“それなりに(雰囲気を壊さない程度には)”やる気を見せるのがマナーってもんじゃないかと思っている。もちろん、個性とか人格を
否定されるほどの“みんなで頑張ろうファシズム”に迎合する必要なんかないけど、人と一緒に過ごす上でのマナーってのはやっぱりないがしろにしちゃいけないと思っている。

そういう意味で、今年の運動会は、去年までのずいずいよりもずっと頑張ったと思う。だから、そのことを何度も褒めてやった。ずいずいは、帰宅後、ビデオをチェックしながら、私が大勢の中からスムーズにずいずいを探し出してレンズをフォーカスさせてることに気づき、「ママ、アタシがどこにいるのか、なんでこんなにすぐに分かるの? 母親のパワーってすごいんだねぇ!」と嬉しそうにしていた。“ママがすぐに自分を見つけ出してくれたこと”だけじゃなく、“今年はちょっと頑張った自分
を、ちゃんと見ててもらえた”…ってことも嬉しかったんだろう。「運動なんて嫌い。イベントは面倒くさい。だから運動会は大嫌い」と常日頃言っているずいずいだけど、苦手で嫌いなことを頑張ったのは偉かった。

連休の間は、先週の社会のテストの点数が悪かったというので復習したり、百人一首をはじめ短歌の勉強が始まるとかで、自分が好きな歴史上の人物の辞世の句を色々と調べてみたりと、勉強もそれなりにやっていたようだ。そして今朝は、「連休明けは学校に行くのがちょっと面倒臭いなぁ…」なんてブツブツ言いながらも、学校に出かけて行った。4年生の秋を、なかなか頑張って過ごしている様子。

実は、私は、小学4年生の10月から、しばらく学校に行けなくなった(行かなくなった)時期がある。去年の11月4日に、そのいきさつを大雑把に書いたので、覚えていらっしゃる方もいるかもしれない。( http://momonga-zuizui.at.webry.info/201011/article_1.html ) 当時の担任が、一部の子たちに皮肉や意地悪を言っていたこと。でも、言われた子たちは幼すぎて、担任に苛められているという事を自覚していなかったこと。そして、そんな担任に、自分はちょっとばかり贔屓や期待をされていたこと。……そんなこんなで、行きたくなくなってしまったのだ。…いま思えば、「(当時優等生扱いされていた自分が)登校拒否をすれば、担任のことが職員会議やPTAで問題になるんじゃないか?」という計算もあったような気がする。いや、“気がする”でなく、“ありました”、確実に。

ずいずいは、あの頃の私と、ちょうど同じ季節を過ごしている。少女期特有の少々きつい物言いとか小さな意地悪や摩擦というのは日常茶飯のようで、学校の帰り道に1人で涙を流すこともたまにあるらしいが(可哀想に思う反面、優しいものばかりで純粋培養されるよりはいいとも思っている)、「それでも学校はイヤじゃない。楽しいこともあるし、好きなお友達もいるから」と言って、今のところは元気に通っている。何よりだと思う。

毎朝、駅に向かって小さくなっていくランドセルを見送りながら、「重い病気や怪我をせず、悪意に遭遇することもなく、心が深く傷つくような出来事もありませんように。誰かの心や体を傷つけることもありませんように。無事に一日を過ごして、『ママただいま!』と元気な笑顔で私のもとに帰ってきますように」と祈っている。

ヲットは私に感謝するべきだと思う。


…というわけで、運動会なのだけど、ギリギリになってからヲットが仕事で来られないということが判明。パパからの、要件のみで短く素っ気ない文面のメールを見て、どよ~んとした表情で凹むずいずい。

まったくもー。まだ小学4年生の女の子なんだから、「パパは残念ながら行けないけど、しっかり頑張れよ」くらいの言葉を付け足してくれたっていいのに。ずいずいは決して、こういう時にわがままを言うような子ではない。「そっか。じゃあ、仕方ないね…」と、すぐに諦めて、悲しい気持ちや残念な気持ちを自分の中でなんとか消化しようとする。そして、ちょっと優しい言葉をかけてフォローしてやれば、ちゃんとそういう気遣いを受け止めて、元気を出そうと頑張れる子なのだ。

私に背中を向けてTVの天気予報を見ていたずいずい。でも、それはポーズ。本当はけっこう凹んでいて、TVの内容なんか頭に入っていなくて、涙がじわーっと盛り上がってきてるのを必死で隠そうとしてるんだな……ってことが分かった。10年もあの子を育ててきたんだもの、そのくらいのことは分かる。しょうがない、私がフォローするしかない。

私「残念だったね。パパも、お仕事がなければ見に来たかっただろうと思うよ。…でも、お仕事じゃ、しょうがないよね。」

ずいずい「…………そうだね……(←涙混じりの小さな声)」

私「残念だけどさぁ、考えてみれば、大事なお仕事があるのに、娘の運動会だからって強引に休んじゃうような人が父親だったら、ちょっとイヤじゃない?パパのお仕事って、簡単に誰かに代わってもらえるようなものじゃないし。簡単に仕事を休む公務員は税金泥棒って言われちゃうしー。」

ず「……そうかなぁ? よその子のお父さんは、ちょっと無理してでもお休みをとって、都合をつけて、娘の運動会を見に来るものなんじゃないのかなぁ?(←声がちょっと震えている)」


私「そういうお父さんもいるだろうね。でもさ、大事なお仕事を無理矢理休んで、職場の他の人たちに押し付けて、ビデオカメラやデジカメを持って嬉々として娘の運動会にやって来ちゃうような人って、どう? ママは、そういうチャラい男が娘の父親だったら、ちょっとヤなんだよね~。仕事っつーのはそんなものじゃないでしょー!?って思っちゃうんだよね~」

ず「……そっか。そうかもね。お仕事を他の人に押し付けて、自分の娘のビデオを撮影するために朝早くから張り切って場所取りしてるような父親じゃ、なんかちょっと……だよね?」

私「ね?」

ず「ねっ♪」

私「日曜日か月曜日、もしもパパが休めるようだったら、どこかに遊びに連れて行ってもらったら!?」

ず「そうだ、それがいいね! どうせ私は運動が苦手で、運動会が晴れ舞台ってわけじゃないんだもん。これが、運動が得意で、リレーの選手かなんかで、運動会はぜひお父さんやお母さんに見てほしい…って子だったら、すごく悲しいだろうけど、幸か不幸か私はそんなんじゃないしね。」

ようやくずいずいの顔が明るくなった。

私「でも、ママも、おじいちゃんもおばあちゃんも見てるんだから、頑張ってね」

ず「うん、分かった。でも、たぶん本当にビリなの…。ごめんね? ガッカリしないでね?」

私「ビリでもいいよ、一生懸命走れば。ママは、1位でもビリでも、運動会の順位なんか気にしないもん。でも、どうせビリだからって、つまらなそーに、だるそーに、チンタラやるのだけはやめてね。そういうの、ママ、嫌いだからね?」

ず「うん、分かった!」



そんなこんなで、ずいずい市場におけるヲットの株価は暴落しないで済んだというわけ。……やれやれ……。ヲットは、私がこんなふうにフォローして父と娘の絆をつないであげていることなんて知らないだろう。本当なら、彼は私に感謝するべきなのだ(キッパリ)。

仕事っつーのはさぁ…。


土曜日はずいずいの運動会なのだけど、金曜の午後になって、ビデオカメラの電池がちゃんと充電できないことに気付いた。買ってからもう何年もたつので、古くなったんだろう。

なので、うちから比較的近いところにある家電量販店(ノ●マ)に電話をして在庫の確認をしてみた。

私「ビクターのビデオカメラのバッテリーで、品番はBN-VF707なんですが、在庫はありますか?」

店員「少々お待ちください……。あ~、それは生産終了になってまして、メーカーからの取り寄せも出来なくなってますねぇ。」

私「あぁ、そうなんですか…。分かりました。ありがとうございました。」

店員「すいませーん」

困った、生産終了だなんて、もう充電が出来ないってことか…どうしよう…と一瞬凹みそうになったが、もしかしたら在庫があるかもしれないと思い、ソフ●ップに電話をしてみた。…が、無い。しかも、「ソフ●ップ全店で品切れですね~」なんて言われる。がーーーん。じゃあもう、ビデオカメラを買い換えるしかないってこと?

「…な、わけ、ないじゃん」と、すぐに思い直した。その電池を使ってるビデオカメラが全部使えなくなっちゃうなんて、そんなバカなことをメーカーがやるわけがない…と。10年も20年も昔に買ったものじゃないんだもの。

ケータイでビクターのHPを見て確認してみた。すると、確かにBN-VF707は生産終了になっているが、その代わりに「BN-VF707Lがご使用いただけます。」と書いてある。ほらねー。


そりゃーね、私は、「BN-VF707はありますか?」としか訊かなかったわよ。生産終了と言われた時に、「じゃあ、その代わりに使える電池はありますか?」と、しつこく訊けば、「あ、少々お待ちください……。あ、ありますねぇ…」ってことになったかもしれないわよ。でもさ、この買い控えの時代に、客商売ってものを舐めてない? そんな、一問一答式みたいな仕事じゃダメでしょー。(私は子どもの頃、祖父に、「タバコを持ってきて…と誰かに言われたら、相手の様子を見て、タバコだけじゃなく灰皿も、場合によってはライターも、一緒に持って行くのが仕事というものだ」と教えられたぞ。)細かい商品情報をいちいち暗記しておけとは言わないけど、「よろしければ、代わりに使える電池がメーカーから出ていないかどうかお調べして、折り返しご連絡いたしますが…」くらいは言うのが商売人ってものじゃない?

もう1回、ノ●マとソフ●ップに電話をして、BN-VF707Lがあるかどうか訊いてみた。…ノ●マにはあったわ、まんまと。でも、なんだかイヤになっちゃったので、そこよりもちょっと遠いビッ●カメラまで買いに行った。ふん。

(ノ-"-)ノ~┻━┻

「最後にもう1回探しに行こう」

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日曜日、ずいずいは、3歳の頃からの仲良し、麗子ちゃん(仮名)と、公園に遊びに行った。麗子ちゃんの弟のハッちゃん(仮名)も一緒。

3人は子犬のように公園中を走り回って機嫌よく遊んでいたのだが、閉園の時間になり、アナウンスと音楽が流れ始めた時に、ずいずいが落し物をしたことに気付いた。ずいずいのお気に入りのキャラクター“みつばちバジーちゃん”のストラップから、パンケーキ部分が消えていたのだ。

それは、夏にロイヤルホストが取り扱っていたストラップで、各店30個の限定品。麗子ちゃんのお母さんのあんこさんが、バジーちゃん好きな私たち親子のために、出先で見かけた時にわざわざ確保してくれたもの。

そこの公園は、一角に小さな動物園もある、かなり広い場所。3人は鬼ごっこをしてあちこち走り回っていたから、どこから探したらいいのか見当もつかない。ずいずいは2歳の頃に、この公園でモーリー(熊のぬいぐるみ)を落としたことがあって、その時は幸い見つかったのだけど、ストラップについていたパンケーキは、モーリーよりもずっと小さい。見つけられるとは思えなかった。

「探しても見つからないんじゃない?しょうがないよ」と私は言った。こういう時、ずいずいは、泣いたりわめいたりはしない。でも、“平気そうに見えるけど、心の中ではかなり落ち込んでる…と、身近な人にだけは分かる”というような顔をしていた。スピーカーからは相変わらず、「もうすぐ閉めちゃうから、とっとと帰ってちょーだいねっ!」という旨のアナウンスが流れている。

「よし!最後にもう1回探しに行こう!」と言ったのは、麗子ちゃんだった。どこに落ちているのかまったく分からないのに、いきなり走り出した麗子ちゃんとハっちゃん。もたもたと、それに続くずいずい。見つかるわけがないよなぁ…と思いながらも、ギリギリまで探さなければ諦めがつかないのだろう…と、彼らを見送った。

ところが、ほんの2~3分で、表情が明るく変わったずいずいが戻ってきた。そして、照れたように、「あったよ…」と言う。麗子ちゃんが走っていったあたりを3人でウロウロしていたら、ずいずいが見つけたのだそう。

帰りのクルマの中で、私が、「麗子ちゃんが『もう1回探そう』と言ってくれたおかげだね」と言ったら、ずいずいは、「うん!生まれて初めて、友情に感動した!」なんて言っていた。麗子ちゃんは、「うひゃひゃひゃひゃ…」と笑った後、「アタシたちずっと前から仲良しだもんね。これからもずっと仲良しでさ、2人とも結婚して子どもが生まれて、その子ども同士も仲良しだったらいいね」と言った。

2人ともかなりマイペースだし、トロくてどんくさい(笑)ところもあるから、学校ではたまに浮いてしまう場面もあると思う。でも、もしも学校でトラブルがあって一時的に孤立するようなことがあったとしても、こういう友達が学校の外に1人いてくれれば、追い詰められ方が少しは違うんじゃないかという気がした。

ところで、この日記を書いていて思い出したのだけれど、3年前の10月、当時麗子ちゃんが通っていた小学校でバザーがあって、私とヲットとずいずいも遊びに行ったことがある。バザーが閉会になる頃、麗子ちゃんは、その日買ったばかりのキーホルダーを側溝に落としてしまった。運悪く、コンクリートの蓋に少しだけ開いていた穴から中に入ってしまったので、それを拾うことは出来ないと思われた。

麗子ちゃんのお父さんは、落ち込んでいる娘に、「お父さんがまた買ってあげるから」と声をかけていたが、麗子ちゃんが「いらない!」と言って拗ねると、「自分で落としたんだから仕方ないだろう!」と怒り、それをきっかけに麗子ちゃんは1人でどこかに走り去ってしまった。「困ったわねぇ…」「可哀想に…」「でもどうしようもないわよねぇ…」などと言いながら、周囲の大人たちは様子を見ているしかなかった。

…が、その間に、ヲットは、小学校の先生を探し出し、バールを借りる交渉をしていたらしい。そして、側溝の蓋をなんとかそれで持ち上げ、麗子ちゃんのキーホルダーを回収することが出来た。戻ってきた麗子ちゃんに、麗子ちゃんのお母さんが、「麗子、ずいずいちゃんのお父さんが拾ってくれたよ。ちゃんと御礼を言いなさい」と言うと、沈んでいた麗子ちゃんの顔がパァっと明るくなり、赤いほっぺをピカピカと光らせて、にんまりと笑った。そして、照れくさそうに、小さな声で、「ありがとうございます…」と言った。

その日の帰り道、ヲットは、「どうせ100円とか200円のものだから、新しいのを買えばいいと大人は思っちゃうんだけどさぁ、そうじゃないんだよ。オレは麗子の気持ちが分かる。あれは、モノに執着して悲しんでいたというより、自分がみんなの目の前で失敗しちゃったこととか、そのことで今日の楽しかった空気がぶち壊しになっちゃったこととかに対して、落ち込んだり腹を立てたりしてたんだよ。だから、新しいモノを買っても気持ちは戻らないんだよ。その失敗を解決しないと心が救われないんだよね」と言った。

麗子ちゃんのお父さんの対応が、特別に冷たかったというわけではない。ああいう場面では、ほとんどの親が、ああいう反応をするんじゃないかと思う。ただ、その時の子どもは、大人が感じるよりもずっと深く悲しんでるんだということを、ほとんどの大人は忘れてしまいがちなだけ。で、麗子ちゃんのように敏感で傷つきやすい子だの、ずいずいのようにやや情緒過多な子だのは、そういうことで、ごっそりとヒットポイントを失ってしまうのだろう。

あれから3年、今、麗子ちゃんは、引っ越しと転校をし、苗字も変わり、お父さんとは別々に暮らしている。引っ越し直後、大人たちは、麗子ちゃんが大きな環境の変化に対応できずに戸惑うんじゃないかとずいぶん心配したのだけど、そんな心配をよそに、麗子ちゃんはあっさりと新しい暮らしに慣れて、むしろ、引っ越し前よりも元気で健康的な女の子になった。麗子ちゃんがずいずいに「もう1回探しに行こう」と言ってくれたのは、あのバザーでの出来事を直接思い出したからというわけではないと思う。でも、あれから3年、いろんな大人や友達に接する中で、「もう1回探しに行こう」と言える強さのようなものが、麗子ちゃんの中には育っているんだなぁ…と感じた。なんだかほっこりした気持ちになった。

「欲しがっていいのよ。」

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2ヵ月近くも日記を書けなかった。その間、楽しいことや嬉しいことも色々あったし、美味しいものも食べたのだけど、気持ちの芯の部分では、「だから、なに?」と、自分にツッコミを入れる自分が常にいて、そういうことのいちいちを記録しておこうというところまでは気持ちが動かなかったから。

心の表面や中間層部分ではそれなりに楽しんでいるのだけど、深層には、5月末に見たあの瓦礫の光景がまだ残っていて、「こんなふうに能天気に楽しんでいちゃダメなんじゃないか?」という後ろめたさのようなものがあったり、「仕事の達成感とか、娘の成績とか、お気に入りの物とか、何を手に入れても、ひとたび何かあれば、一瞬のうちにすべてを失ってしまうんだ」という厭世観のようなものもあったりして。そういうものを、どこかにずっと抱えたまま夏が過ぎていったような気がする。

そんなことを、年上の友人・みつえさん(岩手県陸前高田市「八木澤商店」の会長夫人)に話したら、みつえさんはカラカラと笑って、「大丈夫。そんなの一時的なことよ~」と言った。「アタシはねぇ、まだまだいろんなことをやろうと目論んでるし、欲しいものもあるのよ。でね、『やりたいなぁ』『欲しいなぁ』って思っていると、なにかのご縁で誰かが現れてくれて、そのために力を貸してくれるの。不思議よねぇ。とりあえず今はね、土蔵を作りたいのよ。この地域の人たち、いろんなものを無くしちゃったけど、でも、そういう人たちが集って、お茶を飲んだりおしゃべりしたり、一緒に何かやったりできるようなスペースがあるといいなぁと思って。蔵を建てるって、技術も必要だし、建材の調達も大変だし、お金もかかるんだけど、何年かかってもいいのよ。『こういうものが欲しい!』って声を出せば、誰かが聞きつけて助けてくれるし、そうやってとにかく手をつけてしまえば、何年かかるか分からないけどいつかは必ず完成するだろうし。そういうふうに“あれが欲しい”“これがやりたい”って考えながら過ごしてるとワクワクするでしょ。そういう方が楽しいじゃない。だから、なにかを欲しがったり、楽しく過ごしたりすることを、後ろめたく思う必要なんかないのよ。欲しがっていいのよ。いま厭世的になっている人たちも、一時的にそうなってるだけだと思う。人は楽しいことのほうへ向かっていくものだから、大丈夫よぉ!」

いつのまにか、あれもこれも無くした被災者に、逆に励まされていた自分。でも、後からよく考えたら、それはそれでいいんだと思った。もちろん、被災地に必要なモノやコトはまだまだ色々あるだろうから、被災地以外の地域からの理解やサポートが必要なのだけど。でも、被災者は“可哀想”なだけじゃないし、色々傷を負ってもなお、心が強くてすこやかな方々はいっぱいいるし…。うまく言えないけど、あちらに住んでいようが、こちらに住んでいようが、“対等”なんだと思った。「対等なんだから、へんなふうに遠慮しあうのは不自然で、あんまり気持ちが良くないことなんだ」とか、「勝手に後ろめたさを感じて、楽しんだり喜んだり消費したりすることに躊躇してるのって、ちょっと違うんだろうな」とも。こちらはこちらで、一生懸命仕事をして、余暇を楽しんで、美味しいものも食べて、人生を楽しみつつ、経済を活性化させていくのがいいのだろう。(もっと早い時期からいろんな人がそう言っていたけど、頭でそう考えるだけじゃなくて、やっと実感・納得できたような気がする。)加えて、私は、被災地の企業が少しでも潤うように、広告宣伝というフィールドで、気持ちを込めた仕事をしていきたいと思う。


●ずいずいは、学校の林間学校で思い出をたくさん作って帰ってきた。(10歳の子ども達なりに、楽しさも、お友達と衝突した時の腹立たしさも、家を離れた淋しさも、色濃く体験してきたようだ。)

●フリーアナウンサーによる朗読セラピー「Swimmy」の朗読ライブに、ずいずいと一緒に出かけた(今夏のライブは、震災復興のためのチャリティーとして開催された)。ずいずいと1~2年生の頃に同じクラスだったMさんのお母様も出演されていて、八木澤商店のご近所で親戚でもある酔仙酒造の被災と復興のエピソードを偶然にも彼女が朗読したことに不思議なご縁を感じた。

●ずいずいが、かなり自主的に、かつ熱心に、ヴァイオリンの練習をするようになった。7月に新しく買ったヴァイオリンも、1ヶ月半ほどでずいぶん弾きこまれて良く鳴るようになり、ヴァイオリン教室の先生にも褒めていただくことが出来た。難易度の高い曲も弾けるようになってきて、今は弾いてみたい曲がたくさんあるらしく、いつも楽しそうに練習している。

●みつえさんが、震災後はじめて上京してきて、東京で一緒に食事をした。(みつえさんの希望で、“化学調味料を使ってない中華”のレストランを探して行ってみた。)またこんなふうに東京で一緒にごはんを食べられる日が来るなんて…と、感慨深かった。

●乗馬倶楽部に行くたびに、ずいずいがとびきりいい笑顔を見せてくれた。これまでも、決してつまらなそうにしている子ではなかったけれど、“80%”くらいの笑顔しか見ていなかったんだな、私は…と思った。馬に触れている時は、文句無しに100点満点の笑顔だった。

●仕事で手がけた被災地のメーカーさんたちの商品が、どれも、目標数量以上に売れた。「復旧」の時期は義援金や物資などのダイレクトな援助が大切だけれど、「復興」にあたっては、やはり、それぞれの方々の本来の仕事が評価されるのが一番なのだと思う。少しでもお手伝いが出来て良かった。

●なかなか夏休みがとれなかったヲットが、8月の終わりになってようやく連休がとれ、2泊3日でささやかながらも家族で温泉旅行に行くことが出来た。3日間、ずいずいはずっと笑顔で、「美味しい」「嬉しい」「楽しい」を連発していた。帰宅してからも、「旅行、ほんとに楽しかったね」と何度も繰り返していた。

●ずいずいはまた背が伸び、靴もサイズアップして、夏の間に歯が2本抜けた。がんがん食べて、ぐんぐん育っている。


振り返ってみれば、良い夏だった。

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誕生日

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10年前も、7月11日は暑い日だった。19時過ぎ、まだ外が暗くなる前に、ずいずいは生まれた。

9.11の年に生まれ、3.11の年に10歳になった子ども。健やかに成長して、大人になった時、世の中の人々のために、少しは役立てるような人になれますように。

ずいずいが生まれる前の私の人生よりも、生まれた後の10年間のほうが、明らかに楽しい。ずいずい、生まれて来てくれてありがとう。これからもずっと、楽しくやろうね。よろしくね。

乗馬倶楽部

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ちょっと急な階段だと、下りるのが怖い。高さのある遊具が怖い。鉄棒も跳び箱も、一輪車も怖い。

そんなずいずいが、半月前、初めてサラブレッドに乗った。ポニーに乗っていた時とは全然違う高さを、最初はものすごく怖がっているのが分かった。固くなりがちな上半身をほぐすために、馬上体操をやらされて、顔が引きつる瞬間も。

でも、「やめる」「下りる」と言わなかったのは、馬が好きで好きでしょうがないから。

サラブレッドに乗った数日後、学校の体育の時間に、ずいずいは「初めて跳び箱(5段)を飛ぶことが出来た」と、嬉しそうに帰ってきた。絶望的に体育が苦手だったずいずいが、跳び箱を跳ぶだなんて、快挙と言っていい。サラブレッドの高さを体験して、少しだけ恐怖心を飼い慣らすことが出来たのかもしれない。

馬は人間を背中に載せた瞬間、その人の乗馬の能力を判断できるという。中には「隙あらば逆らってやろう」とする挑戦的な性格の馬もいる。「馬のことが大好きだけど、馬を甘やかしたりはしない。馬と真剣に向き合う人間なのだ」ということが伝わらないと、素直にいうことを聞いてくれない。兄弟姉妹のいないずいずいだから、そういう距離感というか匙加減を学ぶ上でも、馬に接することが役立つといいなと思う。

乗馬倶楽部では、乗る技術だけじゃなくて、馬の世話の仕方や、厩舎の掃除や、倶楽部内でのマナー(デリケートな馬を脅かさないよう、走らない・大声を出さない・馬の後ろから近づかない)も学ぶ。それもずいずいにとっては楽しくてたまらないのだそう。ゴム長靴を履いて、いそいそと厩舎の掃除をしている。馬糞の匂いも苦にはならないのだとか。

暑いのが大嫌いで、夏は、徒歩2~3分のコンビニに行くのも嫌がるし、運動が嫌いなインドア人間だけど、馬に会いに行く時は、いそいそと出かける。実際、馬の世話をしている時のずいずいは本当に楽しそうにニコニコしていて、「こんなに楽しそうな顔、他ではしないよな…」と思ってしまう。

馬場で颯爽とサラブレッドを乗りこなしていた若くて美人の獣医さんは、学生時代は馬術部で、今は自分の馬を倶楽部に預けていて、毎週末会いに来るのだそう。倶楽部には、彼女の学生時代の馬術部の先生もいらしていて、かつての教え子と楽しそうに話してらっしゃった。彼女はまさに、ずいずいの“あんなふうになりたい”を実現している憧れの存在。

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BEFORE & AFTER


西日本の友人知人は、こんなふうに言う。「はっきり言って、3.11の震災のことは、こちらではもう過去のことになってしまった感がある。震災のことなんて、普段はほとんど気にしないで暮らしてる人が大多数。それが良いことだとは思わないけど、それが事実なんだよね。」

でも、私の中では、あれは、ものすごく大きな出来事で、今もなお続いているような感じ。いろんな面で、自分の人生は、3.11を境に変わってしまったような気がする。

「東京や埼玉なんて、被害が大きかったところに比べれば、全然たいしたことないじゃないか」「なにを大げさなことを言ってるんだ」と思われるかもしれない。でも、そうなのだ。家族に対するスタンスも、仕事への取り組み方も、美術や音楽の感じ方も、友人を思う気持ちも。

都内の細長いオフィスビルにいて、大きな揺れに緊張していたあの時、「もしかしたら、今日、ここで自分は死ぬのかもしれない…」と思いながら、「とにかく娘が無事でいてくれればそれだけでいい…」と思ったこと。

濁流に飲まれる陸前高田や、炎に包まれる気仙沼の映像を見たときは、そこにいるであろう友人知人の顔を思い浮かべて、「とにかく、どんなことをしてでも生きていてほしい」と祈ったし、彼らの安否が確認できるまで、あらゆる手段を使って行方を追った。生存が確認できたときの、あの気持ち。「生きていてくれてありがとう」としか言いようのなかった、あの、たまらない気持ち。あのまま二度と逢えなくなっていたら、「もっと優しくしておけばよかった…」とか、「あれもこれも、もっとちゃんと話しておけばよかった」とか、「まだ全然恩返しが出来てないじゃないか…」とか、そんな後悔をしたに違いないのだ。そんな思いをしないで済んだ自分の幸運をしみじみと思った。

そして、5月末、実際に被災地に行った時に見た、あの光景。瓦礫の山の中の数か所で感じた、あの匂い。まだ小学生だったお子さんを失ったという女性と話をした時の、あの胸の苦しさ。生き延びていてくれた友人知人に再会できた時の、体の力が抜けるような安堵感。

そういうことをぜんぶ体験して、今がある。

娘の成績が良いとか悪いとか、IQが高いとか低いとか、授業中に手を挙げられないとか、スポーツが絶望的に苦手だとか、そんなことはもうどうでもいいじゃないの…と思う。(いや、本当は、もうちょっとピリッとした子に育てないとダメなのかもしれないが…。担任の先生、すみません…(汗))

友人知人や仕事仲間と、少しくらい意見や価値観が違ったって、仕事の進め方がズレる時があったって、そんなのは、すごくちっぽけなことじゃないか…と思う。

病気のせいで時々偏屈で意地悪なことを言う父のことも、その父のせいでやたらと愚痴っぽくなってきた母のことも、まあ、それはそれでしょうがないじゃないか…と思う。

その人たちが、生きて、そこにいてくれることって、実はものすごい量の幸運の積み重ねの上に、非常に危ういバランスで成り立っていることなのかもしれない。なにか1つでもバランスが崩れたら、昨日まで、さっきまで、そこで笑っていた人が、いなくなってしまうかもしれないのだ。跡形もなく。

被災地は、おびただしい数の生と死が交錯した、戦場跡のようだった。あれを見てからは、景色も、音楽も、絵画も、文学も、映画も、響き方や染み込み方が違ってきたように思う。“美しいもの”や“面白いもの”を味わえるということの、なんという幸せ。

大切なものを、ちゃんと大切にしたいと思うようにもなった。そのために、多少の面倒くささを背負いこむこと(たとえば1つ余計に仕事を請け負うこととか、人とちょっとばかり衝突すること等も含め)も、致し方ないと思うようになった。時間も、お金も、エネルギーも、余生の時間も、自分の持ち駒には限りがあるのだ。だからこそ、本当に大事な人や物や事のために、そういうものを使っていきたい。

今は、こんなふう。



余談:七夕の短冊に、娘は、「IQが高くなりますように」と書いていた。どうやら「自分はIQが低い」「自分はあんまりお利口さんじゃない」と思っているらしい。そういえば娘とは、彼女のIQがどうのこうのとか、成績が良いとか悪いとか、その手の話をちゃんとしたことがなかった。「あなたは、おバカなんかじゃないんだよ」ってことと、「あなたが生まれてきてくれて、いま、ここで元気にしていてくれて、ママがどんなに幸せか」ってことを、ちゃんと伝えてあげようと思う。来週、彼女は10歳になる。

ずいずいも、ずいずいなりに、頑張ってたらしい。

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私は土曜日の早朝に出発しなければいけなかったので、ずいずいは金曜日の夜から義父母宅に泊まっていた。

私とずいずいが3泊も離れるのは、ずいずいが物心ついてからは初めてのこと。ごくたまに1泊離れるだけでも、夜、ずいずいは、布団の中から、涙ぐんでいるに違いない声で、「ママいまどこ?…もう寝るね。ママもいい夢見てね。おやすみ」と、こっそり電話してくる。でも今回は、メールは何度か届いたものの、電話はまったくかかってこなかった。

「全然大丈夫だったわよ。もうだいぶお姉さんになったから、夜も毎晩1人で平気で寝てたし」と、ニコニコしながら義母は言う。義母は言葉の裏や行間を読まないシンプルな人だから(…だから私も気楽に付き合えるわけだけど)、わりとウェットで寂しがり屋のずいずいの気持ちの奥を読んだりはしない。

土曜日は義父母がずいずいの好物のウナギを食べに連れて行ってくれたり、日曜日はヲットが上野の美術館に連れ出したりして、楽しい週末を過ごしたものの、夜は毎晩1人で泣いていたらしい。でも、「ママは地震で困っている人たちのために大事なお仕事をしに行ってるんだから、泣きながら電話するわけにはいかない」と思ったのだそう。

月曜日は義母がお弁当を作ってくれた。「育ち盛りでいつも『おなかすいた』と言ってるから、たっぷり入れてあげましょ」と、ごはんをぎゅうぎゅう詰めにしたら、お弁当箱の中が真空状態になってしまったのか、食べる時に蓋が開かなくなってしまったらしい。担任の先生の手を借りて無理やり開けたら、中身がたくさん飛び出してしまい、少ししか食べられなかったそう。後から聞いた大人たちにとっては軽い笑い話だけど、3日間淋しさを我慢してきたずいずいにとっては、“とどめ”とも言えるような、かなり悲しい出来事だったのだと、昨日、寝る前にこっそり教えてくれた。

淋しい思いをさせてごめんね、ずいずい。その分、「でも、こういうママに育てられて、いいこともあったよ」と思ってもらえるように、ママも頑張るよ。

今回びっくりしたのはヲットの対応。「日曜日の夜ね、9時半にお布団に入ったの。でも、淋しくて淋しくて、日曜日の夜だったから余計になんか悲しくて、こっそり泣いちゃって、全然眠れなかったの。そしたら、パパがやってきたの。『オマエまだ起きてんの?もう10時半だぞ』って。しゃべったら泣いてることがバレちゃうから、『うん』とだけ言って寝返りうって涙を隠したんだけど、パパが横に座って背中をトントンしてくれたの。そしたらだんだん眠くなって、いつの間にか寝ちゃったみたい…。私、パパに父親らしく優しくされたのって初めてかもしれない…。すっごい珍しいでしょう?なんか、逆に心配になっちゃったよ、パパのことが。」…と、ずいずいが。……ヲット、まるで父親みたいじゃないか。(?)


※写真は、南三陸の木を使ったオルゴール。「海も街もやられたけど、森は元気なんですよ」と地元の方が。仕事で、ここの木材を使った復興プロジェクトに関わることになった。でんでんむしバージョンを、ずいずいへのお土産に。背中の貝殻部分をくるくる回すとメロディーが鳴る。曲は、「星に願いを」。

南三陸町と陸前高田市に行ってきました。

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もう2ヶ月と20日もたつというのに、まだまだ、どこまでもどこまでも瓦礫の山が続いていることとか。


「町とか、海とか、家とか地域とか暮らしとか、そういうものもまた“死ぬ”ってことがあるんだな…」と思ったこととか。


それを見ても、悲しいとか悔しいとかいう感情がにわかには沸いてこなくて、しいて言えば、ただただ、“虚”というイメージしか感じられなかったこととか。


いまだに水道が使えない避難所とか。


両親を失って、地域の人に見守られながら避難所生活を続けている幼稚園児や小学生とか。


町が見渡せる高台にテントを張って寝起きして、地域の家に泥棒や不審者が出入りしないかどうか自主的に見張っているらしきおじさんがいたことだとか。


自衛官も警察官も、全国からたくさん派遣されて来ているはずなのに、あまりにも被災の現場が広すぎるので、ぽつん…ぽつん…としかいないように見えることとか。


そういう方々が土砂降りの中で黙々と作業している姿とか。


自衛隊がテントを設営して寝起きしている場所が、(当たり前といえば当たり前なのだろうけど)避難所よりもはるかに不便で過酷な環境であることとか。


公民館で内職のアルバイトの説明会をした時にお会いした女性が、ご主人と小学1年生のお子さんを亡くされ、ご自身は避難所で生活されていることだとか。


実は、震災後の彼女の様子を見ていた近所の方々が見かねて、町の職員の方に「なにか仕事を世話してやってくれないか?なんでもいいから、手や体を動かして、その間だけでも余計なことを考えなくて済むように」と頼み込んで、それで彼女があの場にやってきたらしいことだとか。


私が行く数日前、現地で、瓦礫の下から殉職した警察官の遺体が発見されたことだとか。その方は震災時、地域の住民の避難を誘導していた姿を目撃されたのが最後だったという話だとか。


死者や行方不明者の数字が、あまりにも大きな数で、いつのまにか“1万”“2万”という固まりでとらえてしまっていたのだけど、その中のお1人お1人に家族や友人がいて、その方がいなくなったことに多くの方々が深く傷ついて涙を流しているのだ…ということを改めて感じたことだとか。


それを考えると、なんと多くの苦しみや悲しみがあの土地に充満し、漂っていることか…という事実に圧倒されそうになることだとか。


どう見ても全然人手が足りていない過酷な勤務状況に比べて、あまりにも明るくて前向きなイメージの「警察官募集」のポスターが貼ってあったことだとか。


被災された方々の多くが、被災直後に辛かったことや、いま現在辛いと思っていることなどを話す様子を見て、「本当はまだまだ語り足りないし、怒り足りないし、泣き足りないんだろうな…。でも、周囲はみんな被災者なので、話す相手も、泣いたり怒ったりする場所もないんだろうな…」と感じたことだとか。


じゃあ、せめて、自分は心身ともに元気でいて、彼らの話を聞いたり、少しでも生活の足しになるような仕掛けを作ったりしていかなくては…と思ったこととか。


南三陸町の復興市(福興市)にボランティアに来ていた方の中に、阪神大震災の直後、私が炊き出しに行っていた神戸市長田区の避難所近辺の方が偶然いらっしゃって、当時から復興までの道のりについて少しだけどお話しを伺うことが出来たこととか。


その方が、「町は復興しても、人は完全には元気にはなれない。いつまでも落ち込んでいてもしょうがないから元気なふりをしているだけ。あれだけの目に遭って、大事な人を失って、その傷が消えることなんてない。でも、残された人間は生きていかなくちゃならない。だからみんなこうやって動いてるんだよね」と涙ぐんで話してくださったことだとか。


ものすごく慌ただしいスケジュールの出張の中で、気仙沼で被災した友人と間一髪のタイミングで再会して(彼女がその場に到着したその瞬間、私はその場を出発するところだった)で、たった3分ほどだけど一緒にいて元気な顔を見られたことだとか。


もしも会えたら、あのことを話して、あれを渡して…と考えていたはずなのに、顔を見たらぶわーっと涙が溢れてきて、渡すはずのものをどこにしまったのか分からなくなった上、全然たいしたことを話せないまま出発の時間になってしまったことだとか。


震災をくぐり抜けて疲れ切っているはずなのに、彼女が以前よりもずっと綺麗で、なにか吹っ切れたような、一段ステージが上がったような、観音さまみたいな顔になっていたことだとか。


その彼女が、お母様手作りの蕗と竹の子の煮物だの、エビスビールだのを差し入れしてくれて、後から「被災者に差し入れされるって、珍しいヤツだな」と笑いのネタにされたことだとか。


陸前高田で八木澤商店の会長夫人・光枝さん(公私ともに親しくさせていただいていた)と震災後はじめて顔を合わせたとき、やっぱり泣けてきてしまって、しばらくは何も話ができず、抱き合って泣いているだけだったこととか。


私が、頼りない新米バイヤーだった頃に、ガチガチに緊張してお邪魔した、懐かしい懐かしい、あの素晴らしい八木澤の醸造蔵が、あとかたもなく消えてしまったことだとか。


でも、あの時に迎えてくれた和義さん・光枝さんご夫妻は生きててくれたこととか。


八木澤商店のベテラン社員さん(愛称・黒まめ)に再会したとたん、ずっと淡々と気丈にしていた黒まめが泣き崩れたことだとか。


一通り泣いて、泣き止んだ後も、黒まめがずっとずっと私の手を握ったままだったこととか。


その黒まめが、「『八木澤商店の社員さんはいつも前向きで元気だね』って、いろんなところでいろんな方々に声をかけていただいているうちに、いつのまにか、『そんなふうに振る舞わなくちゃいけないんだ』…って自分でも思い込んで、無意識のうちに演技していたのかもしれない」とつぶやいたことだとか。


マイミクさんが、「生き延びるだけで精一杯という時期を過ぎた頃だから、ほんの少しでも女子っぽい時間を持って、和んでいただけますように」と、八木澤の女子社員の方々用にハンドクリームとリップバームをたくさん持たせてくれたこととか。


光枝さんも黒まめも、そのことをとても喜んでくれたことだとか。


仕事で繰り返しお邪魔した場所や、出張で来た時に気に入って夏休みに友人たちとプライベートで旅行に来た場所などが、どこもかしこも同じような瓦礫の山で、なにもかも無くなっていて、“思い出”をどんなふうに思い出したりしまっておいたりしたらいいものか、一瞬混乱してしまったことだとか。


「あとほんの数センチで津波にのまれただろうに…」というギリギリの場所に残されたご神木を見たこととか。



…色々あった3日間でした。そして、自分がこれからやるべきことをたくさん見つけて持ち帰ってきました。


これまで、さだまさしの歌を自ら聴くようなことはあまりなかったのだけれど(「道化師のソネット」と「秋桜」は名曲だと思ってたくらいで)、「町とか海とかも死ぬんだな…」と思いながら、瓦礫の山や自衛官の姿を見ていた時に、ふと、「防人の詩」が浮かんできて、そうか、あの歌詞は、こういうことを言っていたのか……と、長い年月を経て、いまようやく分かったような気がしました。


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LA VIOLETERA


(ケータイでご覧になっている方は、こちらへ → http://youtu.be/YbLW7qPhWVk

昨日、JRを乗り継いで実家へ。成田あたりから東へ向かうにつれ、壊れた屋根をブルーシートで覆い、石や土嚢で押さえつけてある民家が目立つようになってきた。屋根が壊れたままだなんて、落ち着かない毎日だろう。修理のための資材も人手も東北地方優先で、このあたりの修理は年内に終わるかどうか…という状況らしい。でも、日本のどこかの地域には、まだまだ資材も人手も余っている所があるはず。埼玉の我が家の近辺だって、じゃんじゃん建売住宅の建築が進んでいるくらいだもの。雨漏りのひどい家屋だけでも、なんとか梅雨入りまでに修理が出来るといいのになぁ。

昨日の大雨とはうってかわって、今日はなかなか穏やかなお天気。いったいどれくらいの放射性物質が飛来しているのか分からないけれど、とりあえず庭は春爛漫、百花繚乱といった趣。新調したばかりの(…懐が痛い(涙)…)パソコンで、春らしい歌など聴きつつ仕事をした。上に貼り付けてあるのは、ギリシャの歌姫、ナナ・ムスクーリが歌う「花売り娘」の歌。サビのメロディーを聴くと、心が深呼吸しているような、なんともゆったりとした気分になる。いろいろあるけど、人生、楽しんじゃった方がいいのよねえ…という気分に。

実家に戻ってきても、特に何か変わったことをするわけではない。ずいずいは広い部屋のど真ん中に寝っ転がって本を読みふけったり、ばぁば相手にヴァイオリンを弾いてみたり。私は相変わらずパソコンに向かって原稿書きを続けている。ただ、仕事の合間に、母の愚痴を聞いてガス抜きをしてあげるよう気をつけている。「お父さんがワガママで意地悪ばかり言って困る。最近は体調が良くないせいか、特に酷い」というのが主たる訴え。可哀想だが、あまり親身になって聞いていると今度はこちらが疲れてイライラしてしまうので、ところどころ聞き流しながら省エネモードで対応。

いま書いている原稿は、プロテスタント系の私立中高の学校案内。そのために今日、マルチン・ルターに関する資料を読んでいたら、横から覗き見して、「なんで宗教改革が必要だったの? ローマ・カトリックの堕落ってなに?」と質問してくる某カトリック系小学校の児童がいたので、「ごめん、その話、ちゃんと説明するには時間が必要だから、後にしてもらえる?」と言って追いはらう。(放置したままというわけには行きそうにないので、面倒だけど、あとで何かフォローしておかなくては…)

キャンプ用のランタンだの、蝋燭立てだの、給水車に水をもらいに行く時に使っていた容器だの、インスタント食品だの、家のあちこちに震災を思わせるものが置いてある。ああ、今日はこんなにうららかな春の日だけど、ここも被災地なんだよなぁ…ということをイヤでも意識させられる。特別に素晴らしい事も、舞い上がってしまうほどの幸運もいらないから、来年も、5年後も、10年後も、こうやって庭の花を見ながら、平凡な春を過ごしたいものだ…と思った。

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ひまわり



3月に、ロンドンで行われた、チャリティー・コンサートだそう。

「情熱大陸」や「冷静と情熱のあいだ」のようにドラマチックな曲ではないけれど、タイトルの通り、「明日」とか「希望」を感じさせる曲だと思う。イベントの趣旨にぴったり。

娘ちゃん、お母さん似なのか(←失礼)、すごく美人さん。「ひまわりのような子に」という願いを込めて、“ひまり”ちゃんと名付けられた子。(PCでごらんになっている方は、動画画面を左ダブルクリックして大きな画面にすると、ひまりちゃんの演奏している姿がよく見えると思います。)

宮本親子の時もそう思ったけど、父と娘が一緒に演奏できるって、いいなぁ…。

ずいずいのヴァイオリンのピアノ伴奏譜をヲットに練習してもらおうか…と一瞬考えたけど、「そんなん、いったい、私以外の誰が聴きたがるんだよ?」という自分へのツッコミがすぐに聞こえてきた。

上達して、下手さに気付く。



( 動画は、宮本文昭・笑里親子の『風笛』。ずいずいが好きな曲です。日記の内容とは直接関係ないけど。)

昨日、ヴァイオリンのレッスンの帰り、ずいずいの表情が暗かった。レッスンの最中、うまく弾けなかったとか、先生に叱られたとか、そういうことは全然ない。むしろ最近はなかなか熱心に練習するようになって、楽器も徐々に響くようになり、昨日のレッスン中も褒められたのだ。

「なんで暗い顔してるの」と訊くと、「1人で練習している時は、けっこううまくなったような気がしちゃうの。それで張り切ってレッスンに来るんだけど、先生の音を聴いて、その直後に自分の音を聴くと、全然ダメじゃん…って気分になるの…。なんでアタシは、何年たっても上手にならないんだろう…」と言う。そして、みるみるうちに鼻の頭が赤くなってきて、目にじわーっと涙が盛り上がって、ぽろぽろと泣き出した。

ここのところ体育の授業の内容がハードで、体育がある日はボロボロに疲れて帰ってくるずいずい。昨日も体育があったし、1週間分の疲れがたまっていたこともあって、もともとコンディションは良くなかったんだろう。でも、自分の音にがっかりして泣くなんて、かなり深く凹んでる感じ。

私…「前は、とにかく、好きな曲が弾けるようになれば楽しかったでしょ? ママが、『音が汚いよ』とか『音程が悪い』とか言っても、自分ではあんまりピンと来てなかったでしょ? …でも、だんだん上達してきて、綺麗な音ってのがどういうものか、それに対して、今の自分のレベルはどのくらいなのか、聴き分けられるようになってきたってことだよ。これはすごく重要なところだと思うよ。ここを通過しないで上手になった人はいないと思う。悔しかったら、今までよりもいっぱい練習して、ちょとずつちょっとずつ、自分の出したい音に近付いていくしかないんだよ。」 

ず…「じゃあ、いつ、綺麗な音が出るようになるの?」

私…「それは誰にも分からないよ。楽器でも、スポーツでも、外国語でも、お料理でも、先が全然見えなくて、いつになったら上手になるんだろう…と嫌気がさす時期もあって、でも、とにかく諦めないで長く続けていける人が、いつのまにか上手になっているものなんじゃないかな。」

…そんな話をしながら帰ってきた。

何年もかかってしまったけど、ただただ音符を追って、間違えないで弾けるようになれば嬉しい…といる時期が、ようやく終わったんだな…と思う。ここまで来ると、CDやコンサートなどで良い演奏を聴くと、何かを得られるようになっていくんだろう。次に楽器をサイズアップする時は、もうちょっと鳴りの良い楽器にしてあげてもいいかも。

4年生になって学校のクラブ活動が始まり、ずいずいは合奏部になった。3年間ずっと同じクラブに所属するそうだから、じっくり取り組むことが出来るだろう。4年生は全員ヴァイオリンを担当するそうで、5年生以上になると、ヴィオラ・チェロ・フルート・クラリネットなど、他の楽器にも触れるようになるのだとか。学年末の音楽会が楽しみ。

音大に入らなくていいし(…っていうか、音大で弦楽器をやらせるほどのお金はうちにはないし)、プロなんか目指さなくていい(そこまでの才能がないことは、パパもママも分かってる(笑))。でも、音楽はいいよ、ずいずい。楽器が演奏出来ると楽しいし、音楽を聴く時の感じ方も深くなる。精神的にしんどくて、どんな言葉も心に響かないような気分の時でも、音楽ならすうっと細胞に染み込んで、癒してくれる時がある。

ずいずいがいつか、フルサイズのヴァイオリンを弾くようになる時は、ちょっといい楽器を買ってあげることができるように、ママは頑張って働くよ。

地震の記録(3)いろいろな人の語録


【河野和義(陸前高田市・八木澤商店の八代目)】


*3月12日 (ご本人だけ出張で東京にいらして、ご家族や社員の安否は不明だった頃。電話にて。)

ぜーんぶ無くなっちゃった。八木澤商店も、酔仙酒造も、家も、何もかも流された。俺の家族も生きているかどうか分からない。……もうどうしようもない。


*4月12日、八木澤商店のHPにて

「全滅だ。」そう思った。

地震がおきて、津波が町をのみこんだあの日、八木澤商店では大切な社員を一人、失った。消防団員で地域の住民を避難誘導し、家の中に残っている人がいないか確認するため、また町に戻ったらしい。地震発生からわずか30分でのあの津波。実の妹も1ヶ月近くたった今も行方がわからない。(中略)

「八木澤は終わった。町もなくなった。何もかも終わった。」 ここにあったはずの蔵は影も形もなく、わずかに土台を残しているだけ。屋号の「やません」の文字が入った醤油ラベルが土に半分埋もれている。ほんの数日前まで、僕はここで蔵を見せながら日本古来の発酵調味料、醤油の素晴らしさを伝えていたのに。「醤油はこうやってつくられるんだよ」と工場を案内していたのに。 僕の目の前には数日前までここにあったものが、何もない。だから「廃業」とポツンと言った。

そしたら息子はそれを許してくれなかった。 「再建する、必ず。だから、社員は解雇しない。会社も町も復興する。」 息子は言い切った。その言葉に、そうか、よし!復興させる!そう思ったけど、どうしても不安がぬぐいされない。僕の気持ちを察してか知らずか、毎日全国から届く沢山の手紙や救援物資。それを見ていたら、今まで味わったことのない感情がふつふつと沸きあがる。再興する。自分のそんなちっぽけな不安は捨ててしまえ。何故下を向く?沢山の人の前で、「中途半端だとグチが出て、本気だと知恵が出る」と、何度も何度も言ってきたじゃないか。



【K.H.(気仙沼在住の友人)】

被災地の人間も、被災したからもっと安全な場所に行きたいとか、新しい町に生まれ変わりたいとか、思ってないんだよね。望みは【元の町。元の生活に戻ること】。そこのマイナスを受け入れつつ、やはり自分たちの土地で生きていきたいというのが最大の願いなんだよねー。

納豆は、水戸産のものも見かけるけど、地元気仙沼のもあるのよん。被災しなかった工場が頑張ってるよ。被災地産納豆って、相当プレミアもんだと思うけど、送ろうか?(笑)



【ずいずい(娘。震災当時、小学3年生)】

地下鉄の階段を上がってきてね、地上に出て、JRの駅の方に歩き始めた時に、グラグラっときたの。Kちゃんと2人で、ビックリしちゃって、パニックになりそうだったんだけど、その時に近くにいた30歳くらいのお姉さんが、揺れている間ずっと、私とKちゃんをぎゅうっと抱きしめててくれて、『怖いね。でも大丈夫だよ』って話しかけてくれてたの。それで、それからしばらく一緒にいてくれたの。


【佐々淳行(初代内閣安全保障室長)】

東北関東大震災に際して、日本人の「被統治能力(ガヴァナビティー)」の高さは、世界を驚嘆させ、各国マスコミには称賛の辞が溢れた。ところが、「統治能力(ガヴァナンス)」となると、菅内閣は無為無策で関係諸国の日本政府に対する信頼や評価は急落し、在日外国人の日本脱出、家族の関西方面への避難が急増していて、サミット国として恥ずかしい限りだ。

大震災と原発危機で、自民党はじめ野党やマスコミが良識ある「政治休戦」をしたことをいいことに、菅総理の寿命が延びたと思い、谷垣自民党総裁を「福総理兼震災復興相」とイヤな仕事で与謝野馨式の一本釣りを試みるなど、民主党の心根は卑しい。決死の活動を続けているのは、仙谷前官房長官が「暴力装置」「武器を持った集団」と、国会答弁などでいわれなき侮辱を加えられた自衛隊や警察、消防、海上保安官ではないか。一言テレビで謝ってから副長官に戻れ。


【櫻井よしこ(ジャーナリスト)】

政府は急遽彼らの被爆の許容量を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトへと緩和した。被爆覚悟で作業を貫徹させよという政府の意思を受けて、作業員は命懸けの任務に取りかかった。被爆の悲劇に見舞われることはあっても、無名の彼らに英雄になる道はない。その状況下、黙って自分の責任を果たした人々に、私は限りない敬意を抱く。自衛隊、消防、警察に対しても同様である。(中略) 立派な国民、優れた技術と技術者、公に奉仕する無私の実力部隊、こうした人々と資質を有していながら、なぜ、わが国は、この未曾有の危機の前で余りにも無力なのか。それは、こうした優れた人々や資質を統合する力がないからである。


【堺屋太一 (作家)】

ともかく救助の段階は過ぎ、「救済」の段階に入った。これからは、物資の調達、分配、輸送が重要になり、ますます全体指揮の司令塔が必要である。さらに復旧から復興の段階に進むと、生活の安定と産業経済、そして文化的楽しみの三つをどう均衡させるかが難しい。(中略)被災一ヶ月を過ぎると、この配分が大事になる。「自粛不況」になっては、生活の安定も未来への希望も失われてしまう。


【曽野綾子(作家)】

今回わかったのは、若い人ほど、この超法規という状態に対処しきれていなかったことだ。記者会見の場から聞こえてくる若いマスコミ人の質問の愚かさは聞くに堪えなかった。とにかく現代の人は、マニュアルや法規がないと何も思考が動かないのだ。どうして孤立した被災者に初期から空中投下という手段で食物、水、布団、使い捨てカイロなどを届けなかったのか。重機不足の場合は、廃材などの廃棄物はその場で、暖をとるためや炊事用の燃料に使ってどんどん利用できたはずだ。原因は官僚が法規に縛られ、そんなことをしたらまた裁判でも負けると恐れたからだろうと私は邪推している。

日本は、日本人の世界に稀な資質を見ても必ず復興する。しかし個人としては、常日頃、極限の苦難に耐え続けねばならない運命もあること。生きる限りいかなる「喪失」にも遭遇することがあると腹をくくること。最後には死ぬことを覚悟することが、意外なことに、自由と希望を個人の心に取り戻すという強烈な逆説もあることを知っておいたほうがいい。


【池内恵(さとし) (東京大学准教授)】

日本のリスクは、日本人である。「被災者に失礼だ」「現場は必死に頑張っているのだ」と、まなじりを決する方々が多く出てくるだろう。そういう方々こそが、日本のリスクなのである。そのような方々は、普段は日本の社会インフラを一生懸命支えていてくださっている方々に違いない。しかしその背後には、現場の頑張りに寄り掛かり、現場を称賛する世論を作り出して批判を逸らそうとする、情報分析能力と決断能力のない高給取りたちがいる。決断するのが仕事のはずの人たちが、会議をするだけで決断せず責任を取らない。「プランB」を作れないから、都合の悪い情報は握りつぶす。これが日本のリスクである。


【辺見庸(よう) (作家)】

友人たちは腰をかがめ、ひとつまたひとつと屍体をみてあるいた。(中略) しかし、ひとつの部位はひとつの浜に、かつてそれと一体であったべつの部位はとおくはなれたべつの港にながされていたりして、それぞれの意味と関係性をあかすものはなにもないのだった。


【湯浅誠 (反貧困ネットワーク事務局長)】

人や地域のネットワークは、ビルの三階に突き刺さった車と違って写真には写らない。私たちはすでに何十回も「すべてが流される」映像を見てきたが、生き延びた人たちのコミュニティは、多くの場合、流されてはいない。いま避難所を運営し、地域で炊出しをし、単身高齢者の見守りをしているのは被災者たちだが、それは被災者諸個人というよりも被災者コミュニティというべきものだろう。「よお、ちょっとそれ運んでくれや」と言い合う関係の中では、「誰がボランティアか」を問う意味がない。

しかし、それは写真には写らないがゆえに、ときに軽視される。雑魚寝状態の避難所から2DKの仮設住宅への移転は着実な進展には違いないが、それによってコミュニティが分散するとすれば、人々は「住まい」を手に入れる代わりに「つながり」を失う。言うまでもなく、いつまでも避難所で耐え忍ぶことには限界がある。仮設住宅を否定する者はいないだろう。しかし、モノの整備を急ぐことでいつも後回しになり、結果的に失われていったのが「つながり」ではなかったか。


【吉本隆明 (評論家)】

仮設住宅が建ち、津波で流された街も徐々に元に戻されていき、表面的には経済的な復興が着実に進んでいくでしょう。ところが、精神的な傷は見えないために後回しにされ、疎かにされがちです。しかし、その回復には長い時間がかかりますから、精神科医などが今から知恵を振り絞って、被災者の精神的な傷のありかを探りながら、直していくべきです。目に見える経済的な復興と精神の治療と回復が齟齬をきたしていかないかにも注意を払わなければなりません。

「てんかん」と筒井康隆断筆事件

1993年9月、人気作家であった筒井康隆氏が、作家活動をやめると断筆宣言した。ことの起こりは、同年7月8日、日本てんかん協会が、角川書店発行『高校国語Ⅰ』に収録されていた「無人警察(筒井康隆:著)」がてんかんに対する差別を助長するとして削除を要求したことから。


「無人警察」のあらすじは、こんなふう。…… 近未来のある日ある時、主人公は、出勤の途中で巡査ロボットに出会う。巡査ロボットは小型の電子頭脳の他に、速度検査機・アルコール摂取量探知機・脳波測定機なども内蔵していて、車の交通違反を発見する役割を与えられている。速度検査機は速度違反を、アルコール摂取量探知機は飲酒運転を取り締まるための装置。そして脳波測定機は、てんかんを起こすおそれのある者が運転していないかどうかを調べるもの。異常波を出している者を検知した場合、発作を起こす前に病院へ収容されるようになっている。

その巡査ロボットが軋んだ金属音をたててこちらの方へ頭をむけた時、主人公はなんともいえない違和感を覚えた。そして、「私はてんかんではないはずだし、もちろん速度違反や飲酒運転はしていない。何も悪いことをした覚えもない」と考えた……というような内容だったと思う。

今、その本は手元にないのだが、「速度違反・飲酒運転・てんかん患者の運転などは良くないことだが(執筆当時、てんかん患者の運転免許取得は法律で禁じられていた)、高性能のロボットで片っ端から容疑者をとっつかまえて病院や刑務所に送り込むようなことは、超管理警察国家であり、とんでもなく恐ろしいことだよね?」…というのがこの小説の意図するところであったと思う。(てんかん患者への不当な取り締まりを肯定・推奨したものであるとは思えない。)

…でも、もしかしたら本当に、「無人警察」のような装置が必要なんじゃないか?…と思ってしまうような事件が起きてしまった。朝、ランドセルを背負って、「行ってきまーす!」と元気に出かけていった我が子が、それから間もなく潰されて死んでしまうなんて…。我が身に置き換えてみたら、耐えられないことだ。私はこう見えても(?)、「人生のモチベーションの9割以上が“娘”」という人間なので(少なくとも今は)、そんなことが起きたらおそらく頭がおかしくなってしまうのじゃないかと思う。


日本てんかん協会は、1993年7月10日付の抗議文の中で、5つの問題点を指摘している。

①「異常波を出している者は、発作をおこす前に病院へ収容されるのである」という表現は、てんかんをもつ人々の人権を無視した表現であり、てんかんを医学や福祉の対象としてではなく、取り締まりの対象としてのみあつかっている。

②「てんかんではないはずだし、……悪いことをした覚えもないのだ」のくだりが、てんかんを悪者扱いするものである。

③てんかんをもつ人が運転することを危険視するのは時代遅れの考えであり、症状によっては免許をとれるようにしようとしている自分たちの運動を妨害するものである。

④発作はてんかんの症状の一部であり、症状はもっと多様である。またてんかんと脳波に関して医学的に誤っており、てんかんでも脳波に異常のない人がいる一方で健常者でも数パーセントは脳波に異常がある。

⑤この教科書を使用した場合、てんかんをもつ高校生や近親者にてんかんをもつ人がいる高校生が授業で辛い思いをする。


これらのことに対しては、角川書店も筒井氏本人も反論を試みている。詳しい文献もあるはずなので、ここではその詳細に触れない。ひとまず今日は、運年免許の取得に関してだけ考えようと思う。

かつて、日本の法律は、自動車運転免許をはじめ、調理師・通訳案内業・薬剤師、その他あまりにも広範囲な業種に関して、てんかん患者の参加や資格の取得を機械的に禁止してきた。それを改善しようというてんかん協会の運動の結果、平成14年に道路交通法が改定され、てんかんの人も条件付き(過去2年間発作を起こしていない…等)で運転免許の取得が可能になったらしい。

明らかな差別の廃止には賛成だが、“過去2年間発作を起こしていない”ということを、一体どうやって確認しているのだろう?(自己申告?) たとえそれが本当だとしても、“たまたま2年間、薬を飲むのを忘れなかっただけで、万が一飲み忘れたら発作が起きる可能性が高い”人だっているのでは? さらに、他の多くの薬と同じように、その人の体調や体質が変化することにより、これまで効いていた薬があまり効かなくなった…なんてことが起きる可能性も有るのじゃないだろうか? タクシーや電車やバスを運転して人の命を預かる仕事の人はどんなふうにチェックされているんだろう? 危険物を取り扱う職業の人は? ダンプカーやクレーン車のように特殊な車両を運転する人は?

運転中の発作によって重大事故につながる可能性のあるてんかん患者が運転を禁じられるのは当然のことだと思う。もちろん、てんかんの患者本人やその家族にとって、感情的な問題は残るだろう。(その人に何らかの落ち度があって病気になったのではないのだから。)…でも、他者を殺してしまう可能性や、本人が死んでしまう可能性があるのだから、ここは冷静に受け止めるべきだろう。

心臓に持病のある人はパイロットにはなれない事を、差別だと言う人はいるだろうか? 味覚異常があるのにシェフを目指す人はいるだろうか? 色弱があるから、カラーコーディネーターになるための試験でハンディキャップをあたえてくれ…と申し出る人がいるだろうか? “差別”ではなく、“適性”の問題なのだと思う。そして、“てんかん”と“運転免許”の場合は、「誰かの命が失われる危険をともなう」という意味において、その適性の有無が特に厳しくチェックされても致し方ないことではないだろうか?

今回の事故の場合、容疑者は、過去にも交通事故を起こして子どもに重傷を負わせた前科があり、執行猶予中だったという。前回は、「居眠りをしていた」と供述したらしいが、てんかんの件が明らかにされていたのかいなかったのか? 容疑者本人は、本当にあれを「居眠り」だと思っていたのか? それとも、なんらかの意図があっててんかんであることを隠したのか? 

てんかんの症状の現れ方は個人差が大きいらしいから、「すべてのてんかん患者の運転を禁止する」ということは、いささか乱暴なのかもしれない。ならば、どんなふうに検査をして、どこで線引きをするのか、そのことを考えていかなければならないのだと思う。そして今後は、運転免許の取得や更新の際に、警察指定の医療機関で脳波検査を義務付けることも、やむを得ないのかもしれない。

八木澤商店の黒まめへ


黒まめ、これを読んだら、和義さんや光枝さん他、八木澤商店のみなさんに、この記事を教えてあげてください。『ほぼ日刊イトイ新聞』に、4月18日に掲載された、糸井重里氏の文章です。


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先月、夕方のテレビで偶然見ていて、
なんども人に話している場面があります。

味噌や醤油をつくってきた老舗の会社が、
あの日の地震と津波に襲われ、
すべての生産手段が破壊されてしまったのでした。

工場の跡地に、従業員たちが集まっています。
着の身着のままという感じです。
おそらく、そこにいる人たちの周囲には、
さらに大きな被害があったのだと想像します。
社長が、包みを抱えてやってきます。
「みんな、これがなんだかわかるかー?
 給料袋だぞぉ!」
 そう言って、紙袋を渡していきます。
 
そして、そこにしゃがんでいる社員に向って、 
 「見た通り、(何代も続いてきた)この会社は、
  味噌も醤油もつくれなくなった。
  でも、かならず立ち上がるからな。
  町の人たちも、少しずつ戻ってくるから、
  そのときに、ここにいて、何でも売ろう。
  そうやって生きていこう」
というような内容のあいさつをした、そんな場面‥‥。
 
社長のいちばん大事な仕事というのは、
「ちゃんと給料を払うこと」なんです。
まず、瓦礫に囲まれた元工場で、それを実行している。
そして、「町の人たち(お客)」に「何でも売ろう」
というのは、まさしく「顧客の創造」です。
味噌醤油という武器が奪われても、
新しい顧客のための、新しい仕事を創ろうとしてます。
最低限できることを、確実に、あの環境でやっている。

ぼくら、境遇はちがうのですが、前代未聞の大震災の後、
「この社長のように考えよう」と思いました。
なにがどうなるのかはわからないけれど、未来に、
「この震災やら原発事故やらで、おれたちは倒れた」
なんて絶対に言いたくないからね。
「あいつら震災のせいで、妙に強くなりやがった」と、
悪口言われるくらいの「ほぼ日」になってやります。
 
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
しぶとく生きて、しつこく支援。長丁場だ、健康でいよう。


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ちなみに、この記事のことは、今日の早朝、気仙沼のハタケヤマちゃん(八木澤商店の前掛けを使ってシックなバッグを作って売ってるお店が気仙沼にあるよ…と教えてくれた彼女です)が、わざわざメールで教えてくれました。彼女も元気に頑張っています。全国から中古家電や生活雑貨を送ってもらい、必要としている方々にそれを届けるというボランティアをしているようです。地元の方々から、「スリッパが必要」「炊飯器が必要」等々という意見を聞き、リストを作っておいて、該当する品物が届いたら順番に届けて差し上げるという(幸い、自分のクルマが残ったそうです)。地元密着型のお店を経営していて顔が広い彼女ならではの頑張り方だと思います。

震災以来、八木澤商店のことは、あちらこちらのメディアで紹介されています。和義氏が食の世界では特別に有名人だからということもあるでしょうが、やはり、あれだけの被害に遭いながら、どこよりも早く復興への意思を表明したこと、こんな時でも、内定していた新入社員を予定通り雇用したこと、社員の皆さんがとても元気に頑張っていること…等々が注目されているのだと思います。

注目度が高くなれば、人の世の常で、醜い妬みそねみも出てくることでしょう。「震災を機に有名になった」なんてことを言いだす人も出てくるはず。8代続いてきた伝統の蔵を失って、会長宅はじめ多くの社員さんたちの自宅も流されて、とりあえずすぐに売る商品なんて何もなくて、本当は“大丈夫”なはずなんかないのに。それでも、しょぼくれて凹んでいるのを潔しとせず、「大丈夫だ。頑張ろうぜ」と言い続ける、河野家や八木澤商店お得意の“やせ我慢の美学=河野和義イズムのようなもの”が、あの踏ん張りを支えているのに。でも、たぶん、そういう妬みそねみも全部承知して、飲みこんだ上で、八木澤商店は進んでいくのでしょう。

十数年も前、私がド素人バイヤーとして歩き始め、「なんだこの小娘は?」という目で見られることが多かったあの頃、初めてじっくり向き合ってくれて、プロのバイヤーとして信頼してくれたのが和義さんでした。文章を書いて食べていくことなんて全然考えていなかった頃から、「うちの醤油のことを一番的確に表現してくれたのはこの人」といって褒めてくださって、独立への自信をつけさせてくれたのも和義さんでした。私が会社員をやめ、お仕事をご一緒する機会がほとんど無くなってからも、何かにつけ声をかけてくれたのは光枝さんでした。妊娠中(まだ1人暮らしだった頃)、空き巣に入られて色々なものをなくした時、近くの人に声をかけてマタニティー服をかき集めて送っていただいたこともありました。

前回の日記のコメント欄に、黒まめが書いていた、「毎日、小さな、ほんとに小さなことが不安で、誰かによりそってほしい。物資よりも、ほんとのことが知りたい。」という言葉をよく噛みしめて、私がこれから八木澤商店にどんな御恩返しが出来るのか、考えていきます。

皆さんによろしく。