文明と文化(…などと書くとたいそうな話のように聞こえるが…)

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…というわけで、「平日はDSはしない」というところに着地したずいずいのDSライフ。パソコンは昨日も書いた通り学校の指導にお任せすることにしたし、携帯電話は入学前から持たせていて(電車を使って遠くまで通学するので必須アイテムとして早めに持たせて使い方を練習させた)中毒期はとうに過ぎているので、これで一通り、ずいずいの“機械入門”は済んだのかな、と思う。

今日、ずいずいは、8時までにすべての「things to do」を済ませ、お風呂上り、のんびりと麦茶を飲みながら「ダレン・シャン」を読んでいる。やっぱり、こうやって落ち着いて本を読んだり、音楽を聴いたり、怪しい家庭内新聞を発行したりする時間も必要なのだと思う。「DSは週末」というリズムが我が家の事情にはフィットしているみたい。

今回、DSがやってきたことで色々考えたのだが、私はどうも、「デジタルなツールは“文明”」で、「本に代表される紙媒体や、ボードゲーム(チェスや将棋)などは“文化”」と区別しているようだ。そして、多くのアナログ人間がそうであるように、「文明<文化」と感じている。文明は「生活上の不便や不具合を解消する道具や手段」で、文化は「無くても生きていけるけれど、あると心が耕され、潤うもの」というイメージ。

いや、そんな七面倒くさい話はいいや。要するに私は、「本屋さんで立ち読みに熱中しすぎておもらししちゃったバカ娘」のことも、「粘りに粘ったのにチェスに負けて悔しくて泣くアホ娘」のことも、、「アホだけど愛すべき存在」として容認できるのに、「DSに狂ったように夢中になっているアホ娘」のことは、「なんだか民度が低そうで可愛気がなくて、好きじゃない」というふうに感じてしまい、許容できないのだ。これはひどい偏見なのだろうか? でも、「保護者の価値観や好みの問題だから、これでいーのだ」ってことにしておく。

ずいずい達の学校では、国語や算数や体育などと同様に、時間割の中に「読書」という時間が組み込まれている。昨日の読書の時間は、百科事典のポプラディアでお馴染みのポプラ社の社長さんがゲスト講師として来校してくださったのだそう。クラスがいくつかの班に分かれ、それぞれに百科事典を手渡されて、「スマトラ沖地震」だの「井の頭公園」だの、与えられたキーワードについて調べてみよう…という課題で、事典の使い方を学んだという。それから、書籍の後ろについている“奥付”がどういうものなのかも教えられたりしたのだそう。

そして、質疑応答の時間。クラスメイトたちは、「百科事典はどうやって作るんですか?」「百科事典を作るにはどのくらい時間がかかりますか?」「何人くらいの人たちで作るんですか?」というシンプルな質問をしたのだそう。…が、ずいずいが投げかけたのはこんな質問。「私のおじい様は、製本機械を作る会社をやっていますが、最近、本が売れなくて困るという話をよくします。今はインターネットで大抵のことが調べられるし、色々なものが見られるそうですが、インターネットと百科事典はどういうふうに使い分けるのがいいんですか?本は無くなってしまうんですか?」

3年生の子たちに向けた授業だから、もしかしたら社長さんは、そういう類の質問が来ることは想定していなかったかもしれない。でも、ずいずいが発言している間、ニコニコしながら興味深そうに耳を傾けてくださったという。そして、「確かにインターネットは手軽で便利だし、色々と面白いことが出来る便利な道具です。でも、勉強する時や、じっくり考え事をしながらなにかを読む時などは、本の方が向いているし、そちらを使ってほしいと私は思います」というようなことを答えてくださったとのこと。

私は、「ちょっとした調べ物はネットが便利だが、じっくり味わいながら&咀嚼しながら読むような文章は、紙媒体で読みたい」と思っているのだが、社長さんもたぶん同じような感覚を持っていらっしゃるんじゃないかな、という気がした。相手が子どもだったので、そこまでは表現できなかっただけで。

あ、もう9時。ダレン・シャンの魔法の世界に入り込んでいるずいずいを迎えに行って、いつもの“睡眠前の儀式”(毎晩まったく同じ言葉をかけあって、毎晩同じようにハグしてから眠らせる)をしなくては…。

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