心地よく枯れていきたい。

キャサリン・ハムネットだったかマーガレット・ハウエルだったか忘れてしまったが、イギリスのファッションデザイナーの自宅が雑誌で紹介されていて、枯れた花が花瓶に飾られているのが印象に残った。片づけるのを忘れているとか掃除をさぼっているとかではなく、枯れた花には枯れた花なりの美しさがあるから、と。こういうのって、最近の日本人にはない感覚だなぁ…と思った。
いや、本来、日本人は、華やかなものだけでなく、地味なものや最盛期を過ぎた名残りのものなどにも、美しさや味わいを見出す文化を持っていたはず。それが“侘び”や“寂び”なんだもの。なのに最近は、若くて溌剌としたものにしか価値がないかのような勢いで、世の中が回っているような気がする。
化粧品のCMやファッション雑誌を見ていると、アンチ・エイジングは多くの女性にとって永遠のテーマなのだなぁ、と思う。 “いつまでも若く綺麗でいるため”、“いつまでも女として現役でいるため(モテるため)”、いろいろお手入れをして、努力して、綺麗でいましょう…と、様々な商品と情報が煽り立ててくる。もちろん、健康で機嫌よく生きていくための体調管理は大事だと思うのだけど、シミとかシワとか白髪とかってのは、そんなにも敵視しなくてはいけないものなんだろうか…と、たまに考えてしまう。
で、いったん考え始めると、あまりにも「若く」「より若く」とシャカリキになるのって、なんだかあさましいような、恥ずかしいような事に見えてくるのだ。心の中に、「そんなにも頑張って若作りしておしゃれして、いったい今さら何をしようというのか?」「もう中年と呼ばれる年齢になってまでモテたがるのは、いささか品の悪いことなんじゃないか?」「てか、恋愛なんて、うんと若いうちに、ゲップが出るほとたくさん経験しておくべきものでしょ。それが足りないと、トシとってからはじけちゃって、変に生々しく見えたりするんだよ…」などと、ツッコミが次々浮かんでしまう。
「いくつになっても恋する心やときめきは大事」「ドキドキすることがあったほうが、みずみずしく綺麗でいられる」なんてことが、女性誌にはしょっちゅう書かれているけど、そもそも、ときめきやドキドキって、恋愛方面でしか得ることが出来ないものではないよねぇ? 私は、ある程度の年齢になったら、恋愛なんて面倒くさいものからは解放されて、もっとワクワクすることを見つけるほうが恰好いいと思っている。仕事でも、趣味でも、勉強でも、ジャンルは何でもいいんだけど。そういう、“恋愛よりもずっと面白いこと”を共有できるような友人、噛めば噛むほど旨味が広がるように面白い会話が出来る友人は、男女を問わず、宝物だと思う。逆に、なにかというと思考が恋愛方面に向かう人は、「血中日本人濃度が薄いのか? アモーレな国のヒト?」などと思って距離を置いてしまう。「ああ、違う世界のヒトね」と。そういう生き方を否定はしないけど、仲良しにはなれそうにない。
あと数年もすれば、娘が初恋を体験するような年齢になるだろう。子ども世代が恋愛というステージに上るようになったら、親は枯れていくのが自然で美しいことだと思っている。(注:あくまでも個人の感想です。←通販風)
もしもずいずいが辛い恋に悩んで眠れないような夜があったら、「ママも若い頃にそういう思いをしたのよ」と思い出話でもして、夜更かしにつきあってやりたい。もしも恋愛がうまくいってバカみたいに舞い上がっていたら、「アナタ、自分じゃ気づいてないだろうけど、はたから見るとかなりヘンです(笑)」と、ちょっと意地悪なツッコミを入れたりもしてやろう。 で、私は、気の合う友人たちと、愉快に心地よく枯れていくのだ。
この記事へのコメント
もともとは母親のシャーリー・マクレーンにこの役のオファーがきたのを、「あなたの方が向いてる役柄だわ」と母が娘に薦めた、というエピソードがあったはずです。
まあ、ここまで浮世離れできるはずもないのですが、ずいずいちゃんにもお薦めしたい映画なので、コメに書いてみました(^-^)
西魔女の映画は私も見ました。で、おばあさん役がサチ・パーカーだったのでびっくり。彼女は80年代後半、朝のニュース番組で(たしかフジテレビ系列の)NYからアメリカのニュースを伝えるキャスターをしていたんです。女優さんになっていたとは…。しかも、シャーリー・マクレーンの娘さんだということを知って2度ビックリ、ミドルネームのサチコは小森のおばちゃまが名付け親だと知って3度ビックリ。
本当に、あのおばあさん役は素敵でしたね。静かで、甘すぎなくて、凛としていて、フェアで。そうそう、ああいう感じの老女になりたいのです。今度DVDレンタルして、ずいずいと一緒に観ます。
そうだね。よく分かる気がする。母親が、好きな芸能人を見てキャーキャー喜ぶくらいはいいけど、それ以上に“女”な面は見たくないんだよね。あれって、どういう仕組みでそんなふうに感じるんだろう?「母親が恋にうつつを抜かしていると、自分(子ども)の世話がおろそかになるかもしれないから、子どもは本能的に親の恋愛を嫌う」という、生物学的な理由なのか?それとももっと、社会学的・心理学的な背景があるのか?
美容やおしゃれに関しては少し個人差があるかな。
親の恋愛って本当に嫌なもの?簡単には判断が付かない。子どもが恋愛する年齢になったら、親も自由なんじゃない?これはフツーの日本人の感覚とずれてる?
私、自分は平気で枯れ始めてるけど(恋愛だけね。それ以外の感覚はみずみずしくありたい)、親の恋愛に対していやらしいとか年甲斐もなくとか全然思わないです。
それは今だけじゃなくて、高校生の時でも、その時は父とまだ結婚していて不倫だったから嫌だっただけで、不倫じゃなく男性と付き合ってるなら平気だったと思います。
通販風←が夕べからツボです。恋愛のドキドキって瞳孔開いて楽しかった記憶が(笑)でも今はもっともっと幸せでときめく事があるし、腰がくだける程笑いあう友人がいるし、手がかかるが抱きしめたくなる子どもがいるし、ちまちま暮らせるお給料をいただき幸せです。一人の女としてではなく、私という人間を見て語り合える人たちを増やしていけそうな年齢になってきて、さあこれから楽しそうだな、と感じてるところです。が、私は白髪だけは許せない!七色に染めて子どもをびびらせてやる(笑)
いや、ここではアナタ、しばらく“あんこ”だったけど、もうこーなったら洋菓子でも和菓子でもいいわw
今日、お茶飲んでる時もそうだったけど、最近、私たち2人が揃うとオッサンみたいだよね。でも、おばちゃんぽいよりオッサンぽいほうが楽しいんじゃないかという気がする今日このごろ…。私たちが好きな小林聡美も、もたいまさこも、おばちゃんじゃなくオッサン系女子だよね。
なるほどー。人間の母親は、生物学的にも(子育てが長いという意味で)、社会学的にも(その役割を期待されるという意味で)、母親で居続けることを期待されてるのかもしれません。で、“女”に戻るってことは、そこからドロップアウトするってことを意味する(実態はどうあれ、周囲からはそのように見なされる)のかも? 特に、アジア圏はその傾向が強いような気も?
夫の死後再婚NGというのは、徳川時代のお偉いさんだけかと思ったら、韓流ドラマで朝鮮半島にもあったと知りました。
私は野良猫タイプというか多少野生化しているので、その辺の感覚がミックスです。薩摩藩の男尊女卑や、小学校時代の儒教教育、中・高時代のプロテスタント自由主義も混じっているので、我ながら複雑怪奇。
だって、本能を許すなら、継子を殺す親を犯罪者として逮捕できなくなります。チンパンジーと同じことをやってるだけだから。
それに、老人ホームで起きている性的なエピソードを読めば、自分の親だけ例外と思うのはちょっと?
だから、子世代は、親の恋愛を広い心で受け入れてあげたいものだと、常々思っているんです。
かなり乱暴な言い方になりますが、エロスは人生におけるすべての快楽や喜びを追求することで、タナトスは枯れて死んでいくところに美学を見いだそうとすることだと私は考えているのです。で、前者は欧米文化に(最近は中国も含む)、後者はアジア圏(特に日本と韓国とインドあたり)に大きな影響を及ぼしているなぁと。
例えば、騎士は、戦いに勝って帰って、王様から勲章をもらって、広大な土地と屋敷と美しい妻を手に入れて豊かに心地よく暮らすことが良しとされるけど、武士は、潔く死んでいくこと至上主義、みたいな?
母親の“女”を許容する、しない…も、そのへんのことに繋がるのかもしれないという気がしてきました。