地震の記録(2)

一部の施設が壊れたり火災が発生したりしたものの、その後の報道からも分かるように、東京は、地震による直接的(物理的)なダメージはそれほど大きくなかった。東京の恐ろしさは、「どこよりも人がいっぱいいる」ってことだ。特に、「昼間東京で過ごしていた人数が、夜間も過ごせるわけではない」ってこと。昼と夜のキャパシティーが全然違う街なのだと痛感した。被災地ではないが、人の多さによって別の大きな被害がもたらされた「準被災地」だと思う。

そのことを、都内にオフィスがある企業のトップの人々は、もっと自覚するべきだと思う。「十分に注意して」「様子を見ながら」などとと言いながら、震災直後から普通に社員を出勤させている企業のなんと多いことか。自宅で仕事が片づけられる社員はしばらく在宅勤務でも良かったし、先送りしてなんとかなる会議は日程を改めても良かったんじゃ?(そもそも本当に会議をする必要があったのかどうかも謎だったりする。)電車はただでさえ本数が少なくて混雑しているし、大きな余震がたびたびあっていまだにしょっちゅう電車が止まるのだから。


【震災当日の覚え書き】

●ケータイはもちろんのこと、固定電話すらも回線がパンクして数時間使用不可能。数少ない公衆電話は優先的に回線が復旧していたし、通話料が無料になったが、使うためには数時間並ぶ覚悟が必要だった。

*私のdocomoは、時間の遅れなくメールのやりとりが出来るようになったのは地震の2時間くらい後。発信(通話の)が出来るようになったのは6~7時間後(もう少し早く開通したdocomoもあったが)。ただ、西日本から友人がかけてくれた電話は、震災直後でも受けることが出来た。

●電車が止まると帰宅難民が溢れる。ホテルはどこもあっというまに満室。タクシーもつかまらない。駅は人でごったがえしていて、トイレは大行列。デパート・スーパー・ドラッグストアなどの店舗は早じまい。外食産業も、食材の補充が出来ないこと&スタッフを早く帰らせたかったこと等からか、早々に店じまい。コンビニは大混雑。すべての食糧(誇張でなく、本当に“すべて”)と、携帯の充電器、携帯用カイロ、レジャーシート、懐中電灯や電池等々が早々に姿を消した。街の携帯電話ショップには、充電しようとする人々の行列が出来た。

●高層ビルのオフィスやホテルを使用していた場合、エレベーターもエスカレーターも使えなくなるため、お年寄りや赤ちゃん連れの方々でも、数十階分の階段を昇降しなくてはならなかった。(東京駅の目の前にあるホテルは、27階がフロントだ。)

●公共施設や大学等が帰宅難民にスペースを提供してくれたけれど、その情報がなかなか行き届かなかった。(TVが見られない場所にいるとか、ケータイの電池切れとかで。)

●「○○線が復旧した」という情報が流れると、その路線の駅に人が殺到してしまい、入場制限があったり、復旧した路線も再度ストップになったりして一晩中混乱していた。

●かろうじて開いている店舗で自転車を買って帰宅する人や、意を決して遠くの自宅まで歩いて帰る人も多かった。1人で歩いている女性も多く、警官のパトロールが大変そうだった。

●持病がある人(喘息など)は、夜や翌朝の分の薬を持っていない人も多く、体調を崩す人もいた。

●赤ちゃん連れの方は、オムツやミルクが足りなくなって困っていた。

●翌朝、復旧したJRで帰宅したが、あまりの混雑でなかなか電車に乗れず、朝9時に銀座を出て、自宅に戻ったのが午後1時半過ぎだった。(普段は1時間程度の道のり。)



【個人的な反省や課題】


●ずいずいのケータイに、私の友人の電話番号やメールアドレスも登録しておけばよかった。私とずいずいは直接連絡がとれなくても、西日本の友人からの着信は常に出来ていたから、彼女に仲介してもらえば、ずいずいともっと早く連絡がとれたはず。(ずいずいがお友だちのおうちで保護されているということを知ったのは、地震から2時間くらい後のことだった。)

●ずいずいとの連絡をケータイに頼り過ぎていて、いざという時の連絡方法や段取りを相談していなかった。

●ヲットが(職業柄&性格的に)簡単に連絡のとれる人ではないということを甘く見ていた。「ずいずいが駅に1人でいると思うから見に行ってくれる?」「ずいずいと連絡とれた?」等々、何通かヲットにメールを出したが、最初に「いま勤務中」という短い返信が来ただけで、あとは返信ナシ。このことは、軽くストレスになった。

●義父母に、ケータイのメールが使えるようにしておいてもらえばよかった。電話での通話が出来るようになるまでは何時間もかかったけど、メールは2時間弱で回復したから。(メールのおかげで、千葉の実家の両親や弟の安否確認は比較的早く出来た。) 義母は義母で、心配してずいずいを探して、ずいずいがいたであろう駅(最寄り駅でなく乗り換え駅)まで見に行ってくれていたが、ずいずいはお友達のお母さんに保護された後で、行き違いになってしまった。

●常用している薬は1~2回分多く携帯しておくべきだと思った。可能なら、水と多少の食べものも持っていた方がいいと思った。

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この記事へのコメント

モモ
2011年03月20日 16:44
家は実は去年から地震対策で災害用のバッグや洋服、懐中電灯、ラジオ、水などその他もろもろの準備があったので助かりました。神経質に去年からやってくれた夫を見直しました(汗)ただ、ドコモは全く数日間、固定電話(光電話)も2日ほど、メールもきたりこなかったりでした。

なぜか国際電話は繋がるのか義母からはバンバン入りましたけど他の友人は何度かけてもお話中と言ってました。

家も子どもがとなりの県へ通学しているので戻ったのは友人のお母さんのお陰。
それも日が落ちるころでした。


地震直後、うちは海から数十秒なので津波を直感しました。
案の定、すぐにサイレンが鳴りました。

揺れが納まり一旦家に入り窓から下の海を見た途端水がものすごい速さで見たことのないようにさーっと引き始めてただ事でないと思いお隣さんの家へ避難しました。

幸い家は高台の中腹にあるのですが、港の水は底が見えるほど引いてしまったそうです。

関東大震災以来だと思います。
つーじい
2011年03月20日 18:48
建物がぶっ壊れなかったからって、東京の被害を軽く考えてる人間が多すぎるよね。あの夜、都内にいたかいなかったかで、今回の地震に対するスタンスが大きく異なると思うよ。それくらい、あの夜の混乱は凄まじかった。

すべてが、まるで椅子とりゲーム。タクシー、ホテル、避難場所、食べ物、公衆電話、カイロ、すべて早い者勝ち。一部の元気なサラリーマンだけが椅子に座れて、老人やオンナコドモは取り残された。

いまだに余震はあるし、交通網も完全には回復していないのに、通常営業してる会社が多すぎるよ。またあの夜の大混乱がやってくるかもしれないと想像すると気持ちが暗くなる。
なをぞ
2011年03月21日 10:29
うちのとうちゃんも、何もなかったかのように、フツーに出勤して、しかも出張まであって 本人と会社の神経が不思議でした。良かった、私だけじゃなかった。

新型インフルエンザ騒動の時に出張制限するくらいなら今だって出来るはず…。
ムトウ
2011年03月21日 11:18
被災地の惨状を目にし続けていると、身内の人間や身近な人に「無事で良かった」と言うのがはばかられるような気分になってしまいますね。でも、それはもしかしたら危険なことなのかもしれない。被災地は、もちろん大変なのだし、出来る限りの支援をしていくべきなのだけど、僕らは、今、つながっている人、目の前にいる人を、やっぱり大事にして、いたわりあっていくべきなんじゃないかと。

あの日、東京でしんどい思いをした人たちなんて、「そのくらいどうってことないでしょ」と思われてるでしょ、たぶん。でも、あの大きな揺れと、それに続く町の混乱、家族の安否確認が出来ないままオフィスに足止めを食らったあの気持ちは、あの夜をあの場で過ごした者でなければ分からない。分かっている者、想像がつく者同士は、きちんといたわりあうべき時なのだと思います。
さち
2011年03月21日 23:18
モモちゃん

遠くの学校に子どもを通わせてる親は、こういう時、弱いね。前の日記にも書いた通り、私は地震直前にずいずいと電話できて、「地下鉄の中にはいない」と分かっていたし、「自宅の最寄り駅の1つ隣りの駅まで来てるから、きっとなんとかなる」と思えたから、パニックにならずに済んだの。でも、あと1分地震がくるのが早くて、電話が通じず、どこにいるのかも分からないままだったら、あの長い揺れと、しつこく繰り返された余震の中、半狂乱になっていたかもしれない。私はストレスが胃にくるたちだから、もしかしたら1~2時間で胃潰瘍が出来たんじゃないかという気がする。

モモちゃんは、海辺の尋常でない様子を目の当たりにして、しかも、コモモ君の様子がまったく分からなかったわけでしょ。すごい恐怖とストレスだったことだろうと思う。

もちろん、被害の大きい被災地の方々から見たら、「何を甘いこと言ってんだよ」と言われても仕方が無い。比べてしまえば確かに私たちの経験なんてまだまだ軽い。でも、私たちがものすごく大きなショックやストレスにさらされたのだってことは、やっぱり事実。私、あの日からずっと、胃が痛んだり、おなかを下したりしています。モモちゃんは病気を抱えているのだから、なおのこと、出来るだけ早く免疫力を元に戻せるように、意識して穏やかな時間を作ってね。
さち
2011年03月21日 23:22
つーじい

つーじいも帰宅難民として一夜を明かしたんだよね。本当にあの夜は、東京という街脆弱さが露呈した気がします。あんなもろい街が、この国の首都で、ああいう脆さの上で、私達は仕事をしたり買い物したりしてたんだなと。

今回は大きなダメージを受けずに済んだけれど、反省したこと、考えるべきこと、いろいろあったよ。
さち
2011年03月21日 23:27
なをぞ

メールにも書いた通り、今日、ようやくハタケヤマちゃんと直接メールがつながってほっとしたよ。避難所の近くの「知り合いの知り合い」とかいう方のご厚意で、今日は10日ぶりにお風呂に入ることが出来て、すごくさっぱりしたって。彼女のことだから、周囲の誰よりも明るく頑張ってるに違いないけど、きっと長丁場になるだろうから、頑張り過ぎないでいて欲しいよね。

>新型インフルエンザ騒動の時に出張制限するくらいなら今だって出来るはず…。

…そうなんだよね。結局、それぞれの企業が、「今は危ない時期なんだ」と、どこまで認識するか…って問題なんだと思います。(ディズニーは、TDRの施設だけでなく、首都圏のディズニーショップも閉店にしたよね。従業員の安全確保が第一だと。)
さち
2011年03月21日 23:44
ムトウさん

>僕らは、今、つながっている人、目の前にいる人を、やっぱり大事にして、いたわりあっていくべきなんじゃないかと。

>分かっている者、想像がつく者同士は、きちんといたわりあうべき時なのだと思います。

震災から10日、そろそろ、被災地以外の人たちも、心が疲れてくる頃なんですよね。何に疲れているのかよく分からないまま。たぶん、この空気に。TVに。ネットに。おびただしい情報や、様々な価値観や、物言いに。

自分のイライラを自覚して、極力、それを直球で人にぶつけないこと。弱ってる人に出来るだけ寛容であること。それでも尚、「甘えたこと言ってんじゃないよ」とイライラしそうになったら、批判したり苛めたりするよりはスルー力を身につけること。…そして、身近な人に優しくすること。甘っちょろいことを書いているようだけど、これからしばらくの間、日々の生活の中で大切になってくるのは、きっとそういうようなことなんだろうという気がします。「自分の中の、意地悪な芽を摘む」って作業が。