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山森樹さん、安らかに。

2011/10/29 14:34
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神奈川県三浦市「山森農園」の代表者・山森樹(たつる)さんがお亡くなりになりました。農作業中の不慮の事故だったそうです。まだ50代。残念でなりません。

つい先日、プライベートで三浦に出かけた時に、山森さんのことを思い出していたのに、連絡はしないままでした。毎年、11月初旬には、山森さんの野菜が入った“お正月野菜セット”のコピーを書くから、どうせまたすぐに連絡を取り合うことになるんだし…なんて思っていたから。バカな私。


農家の一人息子として生まれ育った山森さんですが、若い頃は弁護士を目指していて、高校や大学では農業とは無関係の勉強をしたのだとか。が、26歳になった時、その道を断念し、家業を継ぐことを決心。「結果的に農業をやることになったからには、人と違ったことをやらなくちゃ…と思いました。18歳から農業をやっていたら、26歳になる頃には一通りの技術は身についていたはずなんです。僕はそんなものは何もない、ゼロからの、いや、むしろマイナスからのスタートだったわけですから、人と同じことをやってもしょうがないだろうという気持ちがありました。そうじゃないと、大学に6年も通って勉強してきた時間が無駄になってしまうと思ったんです。」 去年、取材させていたいた時、そんな話をしてくださった山森さん。

「実家では、父の代から、障害のある方々に農作業を手伝ってもらっていました。一人息子が26歳まで家の手伝いをしないで自由にさせてもらえたのは、彼らのおかげだったんですね。農園という場所で、障害のある子たちが仕事を覚え、経済的に自立していく姿を見ていましたから、自分が農園を経営していくなら、そういう面をもっと発展させたいと思いました。」

「目指したのは、農業を通じての社会貢献と、企業的な農業経営でした。障害者を雇用して彼らの自立を支援すること。人を常時雇用するためには、農閑期を無くし、年間を通して仕事を作り出すこと。農協に頼らず、自分たちで売り先を見つけて契約栽培を行うことで、安定した経営を目指すこと。」

「三浦の農家は、秋から春の大根とキャベツが主体。その2つを生産すれば、家族経営の規模なら食べていけるんです。でも、それだけでは人を雇用できないから、ニンジンの生産に挑戦してみようと。ニンジンはなかなかデリケートな作物で、うまく作れるようになるまで時間がかかりましたけど。」

「ガンガンと栄養を吸収している成長期にあせって収穫しちゃうと、どうしてもエグ味が出るんです。どんなに良い堆肥を使っていようがね。人間もそうでしょ。人間でいう“円熟味を増す頃”っていうのが、ニンジンにもやっぱりあるんです。」

「自分たちはプロだという誇りは大事だけど、そこにアグラをかいちゃいけないんですね。やっぱり、どんなにベテランになっても、お客さんの声に謙虚に耳を傾けることが、美味しいものを作り続けるには不可欠だと思ってます。」

「農業に限らず、仕事というのは、最終的には人がすべてです。人を育てながら、自分も育っていかないといけない。給料払ってるんだぞ、社長なんだぞ…っていうのではダメですね。若い人も含め、みんなでいろんな意見を出し合って、刺激し合って、楽しくやっていく職場は伸びますよ、やっぱり。」

収穫量・品質ともに、山森農園の人参が神奈川県でNO.1と言われるようになるにつれ、農園には、障害者だけでなく、農業を学びたいというたくさんの若者が研修生として集まるようになりました。そんな研修生たちの未来のためにと、2009年には東京・高円寺に八百屋さんを開店。「ちゃんとした食材で、ちゃんとした料理を出す店なんてのも、将来的にはやってみたいんです。うちじゃ、“居酒屋計画”って呼んでるんですけど。畑に行かないでそこに入り浸るようじゃマズいんですけど(笑)」

「自分と関わる人が、農業と言うステージを通して連携をとりながら、……なんか話が大げさになっちゃうけど、人間が人間として住みやすい環境を作っていくっていうのかなぁ、そういう仕事をしていきたいと思いますね。この農園だったり八百屋だったりが、その拠点になってくれればいいなと。それで自分も生活していけるなら、そんないい人生はないだろうと思ってます。」



ご冥福をお祈り致します。合わせて、山森スピリッツを受け継いだ多くの若い農業生産者の皆さんのご発展をお祈り致します。

携帯電話の電話帳に登録してある、山森さんの電話番号とメールアドレスが消せません。
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昨日の続き 〜たとえば、「聖☆おにいさん」

2011/10/27 08:59
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ブッダ「私 誕生日は毎年甘茶をかけられるだけだから…」

イエス「ふふ それだって お祝いの気持ちの現れでしょ」

ブッダ「私 生まれてすぐ 『天井天下唯我独尊』って言ったでしょ?」

イエス「ああ…… でもあれ『どんな命も仏の私と同様に尊い』って意味なんでしょ?」

ブッダ「…………」

イエス「…そのままの意味だったの……?」

ブッダ「若いうちは 皆 何かしらやらかすでしょう? 中2病みたいなものだよ。だから あの甘茶に込められた思いは祝福じゃなくて… 『ちょっと頭冷やそうか?』だよ。……あんなの若気の至りじゃない……私にとっても黒歴史なのに…誕生日のたびに蒸し返されて……」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


イエス「あ、アブラハムさん 今年は下界にも送ってくれたんだ! 毎年父さんのところにハムを贈ってくれるんだよね」

ブッダ「君んちのお父さん、お中元受け取ってるんだ。大量に来ちゃって逆に大変じゃない?」

イエス「あーうん そう言ってた。本当はお祈りだけで十分なんだけど。特に高価すぎるものだね……困りすぎて受け取り拒否するものもあったみたいよ。特にアブラハムさんのとか…」

ブッダ「え ハムじゃないの?」

イエス「いや、お肉が特上すぎてさ…。息子イサク君を贈られそうになった時は さすがの父さんも言葉噛んだらしいもの……」

ブッダ「ちょ 待って! そのハム大丈夫!?」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「最高にガッカリだ」を表す言葉が「ユダ級」「ディーバダッタ級」だったり、天地創造の時にすべての生き物に名前をつけた「大御所アダムさん」を「天界の糸井重里(代表作は「女」です。)」と呼んだり、イエスが大笑いしたら、飲んでいた六甲の水が葡萄酒になってしまったり、笑いどころ満載の『聖☆おにいさん』。

仏教とキリスト教に関する最低限の基礎知識くらいはないと、このマンガを笑い尽くすことは出来ないんだよねぇ…というのを例え話にすれば、昨日の日記のあの話を、ずいずいはもっと手っ取り早く理解できたのだろうけど、カトリックの学校に通っている小学生には、これはまだちょっと早すぎるかなぁ…というような気もして、別の例え話をしてしまった。

このマンガについて「生きるということに対する真摯さのようなものが、イエスにもブッダにもまったく感じられない。このマンガがなぜ人気があるのか分からない」と酷評している牧師さんのブログを読んだことがある。本気で神様と向かい合っている方にとっては、こういうのって最大の冒涜のように感じてしまうのだろうか? 私は、神仏を信じている人間の一人だけれど、これは“本物”のイエス様やブッダ様とはまったく別物として楽しんでいるし、他の多くの読者も「パロディ」として楽しんでいるんじゃないかと思う。これを“伝記を漫画化したもの”として真面目にとらえて、「イエスやブッダってけっこうおバカだったんだなぁ」なんて思い込んでしまう人はそうそういないと思うのだけど…。(コロッケの物真似を見て、美川憲一のファンが激怒したって話はあまり聞かないしねぇ。そもそも、こういうレベルの話に例えること自体が、叱られてしまうことなんだろうか?)


本家に敬意を払いつつ、パロディを楽しむってことは、両立できると思うんだけどなぁ。
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教養ってなに? 〜たとえば、ハンプティ・ダンプティ

2011/10/26 15:30
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3ヶ月くらい前だったろうか、ずいずいが、「ママ、教養ってなに? 一般常識のこと?」と質問してきた。

改めて訊かれると、自分でも、「教養ってなんだ?」と考え込んでしまう。確かに、一般的には「一般常識がある人=教養のある人」という解釈で問題はないと思う。でも、厳密に言うと、それだけじゃないよなぁ…とも思う。

私「確かに、“一般常識がある人・知識が豊富な人”を“教養がある人”と呼ぶ場面はすごく多いから、そういう解釈で特に問題はないと思う。でも、ママは、それだけじゃないとも思うんだよね。その、身に着けた一般常識を使って、人生をより深く楽しめるっていうか、より深く味わえる力のことを、“教養”って呼ぶんじゃないかなぁ?」

ず「……?」

私「たとえば、すごく有名な人の有名な言葉をもじったセリフが、ドラマやマンガで使われていたとするでしょう? その元ネタを知っている人にとっては、そのドラマやマンガはすごく面白いものになるけど、元ネタを知らない人は、何のことだか分からないよね? キリスト教圏の国々では、聖書の言葉をアレンジした文章に多く出会うし、英語圏の国々では、マザーグースって呼ばれるイギリスの古いわらべ歌の歌詞が詩や小説の一部に登場することも多いの。でも、聖書やマザーグースを知らなかったら、それをアレンジした文章を読んでも、ピンとこないでしょう?」

ず「うんうん…」

私「古いたとえ話になっちゃうんだけど、昔ね、現職のアメリカの大統領が、政治スキャンダルで辞任に追い込まれた事件があったの。ニクソン大統領って人だったんだけど。アメリカだけじゃなく世界中が注目していたニュースで、ニクソン側も辞めなくて済むようにかなり粘ったんだけど、ついに辞めるしかなくなってしまったの。そのことが決定的になった日の翌朝、ある新聞の一面の見出しは、『All the government’s men…』とだけ、ものすごく大きな字で書かれていたの。“政府の役人全員が…大統領の側近全員が”…みたいな意味なんだけどさ。これの元ネタは、さっき言った、マザーグースの、ハンプティ・ダンプティの歌なんだよね。ハンプティ・ダンプティってのは、擬人化された卵の呼び名だって知ってるでしょ? 『ハンプティ・ダンプティ、塀の上に坐ってた。ハンプティ・ダンプティ、ぐしゃっと落っこちた。王様の馬を全部揃えても、王様の家来を全員集めても、もう、ハンプティ・ダンプティを元通りにすることはできなかったのさ』って歌詞なの。その、『all the king’s horses and all the king’s men…』っていうところをもじった表現なんだよね。たかがわらべ歌の一説なんだけど、それを知っている人は、『All the government’s men…』という一文を見ただけで、ぐしゃっと割れて元には戻らなくなった卵の様子が頭に浮かぶし、もう誰も大統領をかばってあげることが出来ないところまで大統領が追い詰められてしまったんだ、政権が崩壊したんだ…と、事態の重さを瞬時に知ることが出来るわけよ。知っている人にとっては、そのくらい、凄味のある重〜い一文になるというわけ。でも、知識や、それをアレンジする思考力の無い人が読んでも、そういうことはまったく感じないわけでしょ?」 

ず「なるほど〜〜〜…」

私「単純に、ハンプティ・ダンプティの歌詞なら知ってるよ…ってだけじゃダメなんだと思うの。その歌詞を知っていて、なおかつ、その文章がその事件の終焉を知らせる新聞のトップ記事に使われたことの凄味みたいなものを味わうくらいのアレンジ力というか、思考力がないと、人生は薄味になってしまうと思わない? だから、ママは、あなたには、教養っていうのは、“知識”だけじゃなく、“知識をアレンジして人生を深く味わう力”だと思っていてほしいんだよね。もちろん、その大前提として、一般常識がないとお話しにならないんだけどさ」

ず「うん。ちょっと難しいけど、たぶん、分かったと思う」

私「そうやって、色々味わえるようになるために、“歴史でも文学でも宗教でも音楽でも絵画でも、このくらいのことは最低限知っておいたほうがいいですよ、たぶん”っていうのが“一般常識”と呼ばれるものだと思うのよ。世界文学全集に入ってるような物語は一通り読んでおくとか、世界的に名画や名曲と言われているものは一応知っておくとか、将来、楽しい人生を過ごすために、子どものうちからやれることは色々あるよ。ママがたまに見ているモンティ・パイソンっていうのは、イギリスで昔やってたお笑い番組なんだけど、聖書とかシェイクスピアとかの知識がない人が見たら、面白さが半分くらいしか分からないネタがあったりするしさ」

ず「元ネタを知らないとパロディの面白さは分かんないもんね」

私「そういうこと。知識ってのは、いくらあっても脳に格納しておけるから、邪魔にならないもんね。時と場合によっては、知っているのに知らないふりをすることで窮地から脱出したり、誰かに恥をかかせずに済んだり…みたいなことも出来るけど、知らないくせに知ったかぶりをすると…」

ず「イタいよね」

私「うん。逆に、恥をかいたり窮地に立たされたりするかも」


……とまあ、こういうようなことを話したのだけど、主旨は伝わったかな…。これからはどんどん脳が老化して考え方も固くなっていきがちだろうから、娘に追い越されないように、私も“教養”とやらをもっと身に着けないといけないなぁ…と思っているところ。


ず「教養のない大人は、人生、なにが楽しいんだろうね? たとえば、言っちゃ悪いけど……」

私「あなたが思い浮かべてる人は想像がつくけど、そういう話題をあえて避けるのも教養ある人のたしなみだと思うな〜」

ず「なるほど〜…(笑)」
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すごいなぁ、電子辞書。

2011/10/15 15:20
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ずいずいには、幼稚園年長の秋に国語辞典を買い与えて、辞書の引き方を教えた。ちょうど小学校受験が済んで、時間にも気分にも余裕が出来た頃。TVを見ていても、本を読んでいても、「ママ〜、●●●ってなぁに?」とすぐに質問してくる子で、いちいち相手をするのはなかなか大変だったので、「まず、自分で辞書を引いて、それでも分からなかった時だけママに訊くように」と言い聞かせたというわけ。

調べたい時、辞書がすぐ手の届くところにないと調べるのが億劫になり、結局は調べずに終わってしまうと思ったので、ずいずいの部屋に1冊、TVのあるリビング・ダイニングに1冊、合計2冊、ずいずい用の辞書を置いておくことにした。

その頃からずいずいは、電子辞書も欲しがっていたのだけど、「紙の辞書をスムーズに使いこなせるようになるのが先」「まだ電子辞書なんて必要ないでしょ」などと言い聞かせ、そのまま数年過ぎてしまった。その間も、電機店に行くたびに電子辞書のコーナーで欲しそうに眺めていたので、しばらく前にとうとう買ったのだ。

ずいずいは、うんと小さい頃から、「どうしてもあれが欲しい」というようなわがままを言ったことがない。彼女が欲しがったものは、DSと、電子辞書と、自分用のPCくらいだけれど、どれも、「まだダメ」と言うと、それ以上駄々をこねたりはしなかったのだ。(DSは高学年になるまでは買わないつもりだったのに、3年生の夏、パパとずいずいが2人で秋葉原デートをした時に、ヲットが買い与えてしまったけど。)“何度も何度もじーっと見ている”というのは、ずいずいにとっては最大限の“欲しい”という表現なのだと思う。

中学や高校では、電子辞書の機種を指定して購入させる学校もあるという。中高生用の推奨機種が4万円前後もすることに驚いた。ずいずいは、国語辞典・漢和辞典・英和辞典くらいが入っていれば十分なので、1万円程度のものを探し、シャープのPW-AM700というポケットサイズのものを選んだ。ネットで調べてみたら、市場では1万円〜2万6千円くらいで売られているらしい。

「外出時に持ち歩き、分からない言葉に出会ったとき、とりいそぎ、最低限の意味を知るために使うもの。どうせ1万円だし…」くらいの認識しか持っていなかった私は、買ってきた電子辞書を自宅でいじってみてビックリした。手帳くらいのサイズに、ブリタニカ国際大百科事典、広辞苑、故事ことわざ&四字熟語辞典、言葉の作法辞典、日本語知識辞典、漢字源、パーソナルカタカナ語辞典、ジーニアス英和辞典、ジーニアス和英辞典、オックスフォード現代英英辞典、類語新辞典、英語・イタリア語・フランス語・スペイン語・ドイツ語・韓国語・中国語の旅行会話辞典、新・家庭の医学、経営用語辞典、株式用語辞典、金融用語辞典、流通用語辞典、不動産用語辞典、会計用語辞典、広告用語辞典、もっとうまいeメールの書き方、世界の料理・メニュー辞典……が入っている。これらを全部買った時の値段や、持ち歩く時の重さを考えたら、すごく安い買い物だと思った。

音声コンテンツも充実していて、英和辞典の10万語や、旅行会話辞典の文例などは、ネイティブの発音を聞くことが出来るし、広辞苑で「チャイコフスキー」と弾くと、人物の説明を読むだけでなく、代表作の有名な箇所のメロディーを耳で確認することも出来る。百科事典や広辞苑の説明を補うイラストなどの画像コンテンツも充実している。だから、たとえば広辞苑で「うぐいす」を引くと、うぐいすの説明文を読み、うぐいすのイラストで姿を確認し、うぐいすの鳴き声を聴くことが出来てしまう。びっくりだ。(こんなの常識?私が知らなかっただけ?)

この内容で1万円だなんて、中高生が使っている4万円くらいの電子辞書は、どれほど充実した内容なんだろう?重くてかさばる百科事典や辞書を何冊も買わなくても、持ち歩かなくても、ほとんどの調べものがこれ1つで済んでしまうなんて…。これじゃ、製本業界は踏んだり蹴ったりだなぁ…。製本機械の製造をしている義父の会社がしんどいのも無理はないや…。(昔は、どこの家に行っても、百科事典が何巻もズラリと並んで本棚のスペースを占領していたものだけど…。)

…というわけで、ずいずいは今、外出時には、熊のモーリーに加えて、赤い電子辞書も持ち歩くようになった。おもちゃとしても、教材としても、目いっぱい楽しんでいる様子。このヘビーユースぶりを見ていると、1万円でもすぐに元が取れそうな感じ。
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「黄昏のワルツ」と「リベルタンゴ」

2011/10/12 17:55

来年2月の発表会、ずいずいの弾く曲が決まった。「黄昏のワルツ」と「リベルタンゴ」の2曲。

本人の第一希望は「チャルダッシュ(チャールダーシュ)」だったのだけど、この曲は発表会では大人気で、毎年必ず誰かが弾く。(前回の発表会は、これを弾いた子が2人いた。) 今回も、もう、これを弾くと決めている男の子がいると聞かされて、がっかりするずいずい。ずいずいはこの曲が大好きで、ヴァイオリンを習い始めて間もない頃から、いつかは発表会でこれを弾きたいと言っていたのだ。ちょっと可哀想。でも、人気のある曲って、こうなりがちなんだよね〜。

「どうする? どうしても弾きたいなら、あなたも同じ曲を弾いてもいいんじゃない? ママは反対しないよ」と訊いたら、しばらく考えた後で、「んーーーー。すごく残念だけど、誰かと同じ曲を弾くのはイヤ。その子より下手でも、その子より上手でも、どっちでもイヤな気分になりそうだから」と言う。

気持ちはよく分かるので、「そうだね。聴いている人たちも、どうせなら、今までの発表会で聴いたことのない曲を聴けるほうが楽しいかもしれないし。チャールダーシュは、発表会じゃなくても、いつかどこかで弾く機会があるでしょう、きっと」と言って、他の曲を選ぶことに。

2人で、いくつか候補を決めて、先生に相談した。シュトラウスの「こうもり序曲」は、「うん、いい曲だけど、この譜面はオーケストラ版とほとんど同じアレンジだから、けっこう長くて大変だし、難しい箇所もあるのよね〜。頑張れば出来ないことはないと思うけど、これは次回でもいいかな…」、ショパンの「ノクターン(遺作)」は、「んーーーーー。これ、かな〜り暗いよねぇ……」などと、先生の意見を聞きながら1曲ずつ候補から外していき、最後に残ったのが「黄昏のワルツ」と「リベルタンゴ」だった。

…ということで、練習を開始したずいずい。ずいずいみたいなボーっとした子がタンゴだなんて、大丈夫だろうか? でも、普段の自分っぽくない曲に挑戦してみるのも面白いかも。頑張れ、ずいずい。 ドレスは何色がいいかな? 


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4年生の秋に。

2011/10/11 11:52
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運動会は無事終了。あの学校の運動会はお天気に恵まれないことが多いけど、今年は暑いくらいの晴天だった。

写真は、パン食い競争ならぬ煎餅食い競争で、ずいずいがとってきたもの。「ママにあげる」と言って、持ち帰ってきた。足が遅い上、他の子が間違えてずいずいのコースにセットされていたお煎餅を狙ってピョンピョンしていたので、ずいずいは残っているお煎餅を探してモタつき、余計に遅くなってしまった。で、本人が予想していた通り、最下位。でも、投げやりにならず、頑張って走っていた。

人前で踊ったり歌ったりが大嫌いなずいずいは、去年もおととしも、ダンスの時に、いかにもやる気がなさそうな様子でチンタラと踊っていたのだけど、今年は「下手でも一生懸命やる」という私との約束通り、なかなか熱心に踊っていたように思う。

私は、こういうイベントの時に、つまらなそうな顔をして雰囲気を悪くする人が嫌い。(“苦手”とか“下手”とかいうのは気にならない。問題ナシ。) 大人でも、「俺は最初からこんなプロジェクトには反対だったんだよね〜…」って気持ちがダダモレの人っているけど、団体とか組織とかに所属している以上、そして、そこから自分が抜けだす覚悟がない以上は、“それなりに(雰囲気を壊さない程度には)”やる気を見せるのがマナーってもんじゃないかと思っている。もちろん、個性とか人格を
否定されるほどの“みんなで頑張ろうファシズム”に迎合する必要なんかないけど、人と一緒に過ごす上でのマナーってのはやっぱりないがしろにしちゃいけないと思っている。

そういう意味で、今年の運動会は、去年までのずいずいよりもずっと頑張ったと思う。だから、そのことを何度も褒めてやった。ずいずいは、帰宅後、ビデオをチェックしながら、私が大勢の中からスムーズにずいずいを探し出してレンズをフォーカスさせてることに気づき、「ママ、アタシがどこにいるのか、なんでこんなにすぐに分かるの? 母親のパワーってすごいんだねぇ!」と嬉しそうにしていた。“ママがすぐに自分を見つけ出してくれたこと”だけじゃなく、“今年はちょっと頑張った自分
を、ちゃんと見ててもらえた”…ってことも嬉しかったんだろう。「運動なんて嫌い。イベントは面倒くさい。だから運動会は大嫌い」と常日頃言っているずいずいだけど、苦手で嫌いなことを頑張ったのは偉かった。

連休の間は、先週の社会のテストの点数が悪かったというので復習したり、百人一首をはじめ短歌の勉強が始まるとかで、自分が好きな歴史上の人物の辞世の句を色々と調べてみたりと、勉強もそれなりにやっていたようだ。そして今朝は、「連休明けは学校に行くのがちょっと面倒臭いなぁ…」なんてブツブツ言いながらも、学校に出かけて行った。4年生の秋を、なかなか頑張って過ごしている様子。

実は、私は、小学4年生の10月から、しばらく学校に行けなくなった(行かなくなった)時期がある。去年の11月4日に、そのいきさつを大雑把に書いたので、覚えていらっしゃる方もいるかもしれない。( http://momonga-zuizui.at.webry.info/201011/article_1.html ) 当時の担任が、一部の子たちに皮肉や意地悪を言っていたこと。でも、言われた子たちは幼すぎて、担任に苛められているという事を自覚していなかったこと。そして、そんな担任に、自分はちょっとばかり贔屓や期待をされていたこと。……そんなこんなで、行きたくなくなってしまったのだ。…いま思えば、「(当時優等生扱いされていた自分が)登校拒否をすれば、担任のことが職員会議やPTAで問題になるんじゃないか?」という計算もあったような気がする。いや、“気がする”でなく、“ありました”、確実に。

ずいずいは、あの頃の私と、ちょうど同じ季節を過ごしている。少女期特有の少々きつい物言いとか小さな意地悪や摩擦というのは日常茶飯のようで、学校の帰り道に1人で涙を流すこともたまにあるらしいが(可哀想に思う反面、優しいものばかりで純粋培養されるよりはいいとも思っている)、「それでも学校はイヤじゃない。楽しいこともあるし、好きなお友達もいるから」と言って、今のところは元気に通っている。何よりだと思う。

毎朝、駅に向かって小さくなっていくランドセルを見送りながら、「重い病気や怪我をせず、悪意に遭遇することもなく、心が深く傷つくような出来事もありませんように。誰かの心や体を傷つけることもありませんように。無事に一日を過ごして、『ママただいま!』と元気な笑顔で私のもとに帰ってきますように」と祈っている。
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ヲットは私に感謝するべきだと思う。

2011/10/08 07:48

…というわけで、運動会なのだけど、ギリギリになってからヲットが仕事で来られないということが判明。パパからの、要件のみで短く素っ気ない文面のメールを見て、どよ〜んとした表情で凹むずいずい。

まったくもー。まだ小学4年生の女の子なんだから、「パパは残念ながら行けないけど、しっかり頑張れよ」くらいの言葉を付け足してくれたっていいのに。ずいずいは決して、こういう時にわがままを言うような子ではない。「そっか。じゃあ、仕方ないね…」と、すぐに諦めて、悲しい気持ちや残念な気持ちを自分の中でなんとか消化しようとする。そして、ちょっと優しい言葉をかけてフォローしてやれば、ちゃんとそういう気遣いを受け止めて、元気を出そうと頑張れる子なのだ。

私に背中を向けてTVの天気予報を見ていたずいずい。でも、それはポーズ。本当はけっこう凹んでいて、TVの内容なんか頭に入っていなくて、涙がじわーっと盛り上がってきてるのを必死で隠そうとしてるんだな……ってことが分かった。10年もあの子を育ててきたんだもの、そのくらいのことは分かる。しょうがない、私がフォローするしかない。

私「残念だったね。パパも、お仕事がなければ見に来たかっただろうと思うよ。…でも、お仕事じゃ、しょうがないよね。」

ずいずい「…………そうだね……(←涙混じりの小さな声)」

私「残念だけどさぁ、考えてみれば、大事なお仕事があるのに、娘の運動会だからって強引に休んじゃうような人が父親だったら、ちょっとイヤじゃない?パパのお仕事って、簡単に誰かに代わってもらえるようなものじゃないし。簡単に仕事を休む公務員は税金泥棒って言われちゃうしー。」

ず「……そうかなぁ? よその子のお父さんは、ちょっと無理してでもお休みをとって、都合をつけて、娘の運動会を見に来るものなんじゃないのかなぁ?(←声がちょっと震えている)」


私「そういうお父さんもいるだろうね。でもさ、大事なお仕事を無理矢理休んで、職場の他の人たちに押し付けて、ビデオカメラやデジカメを持って嬉々として娘の運動会にやって来ちゃうような人って、どう? ママは、そういうチャラい男が娘の父親だったら、ちょっとヤなんだよね〜。仕事っつーのはそんなものじゃないでしょー!?って思っちゃうんだよね〜」

ず「……そっか。そうかもね。お仕事を他の人に押し付けて、自分の娘のビデオを撮影するために朝早くから張り切って場所取りしてるような父親じゃ、なんかちょっと……だよね?」

私「ね?」

ず「ねっ♪」

私「日曜日か月曜日、もしもパパが休めるようだったら、どこかに遊びに連れて行ってもらったら!?」

ず「そうだ、それがいいね! どうせ私は運動が苦手で、運動会が晴れ舞台ってわけじゃないんだもん。これが、運動が得意で、リレーの選手かなんかで、運動会はぜひお父さんやお母さんに見てほしい…って子だったら、すごく悲しいだろうけど、幸か不幸か私はそんなんじゃないしね。」

ようやくずいずいの顔が明るくなった。

私「でも、ママも、おじいちゃんもおばあちゃんも見てるんだから、頑張ってね」

ず「うん、分かった。でも、たぶん本当にビリなの…。ごめんね? ガッカリしないでね?」

私「ビリでもいいよ、一生懸命走れば。ママは、1位でもビリでも、運動会の順位なんか気にしないもん。でも、どうせビリだからって、つまらなそーに、だるそーに、チンタラやるのだけはやめてね。そういうの、ママ、嫌いだからね?」

ず「うん、分かった!」



そんなこんなで、ずいずい市場におけるヲットの株価は暴落しないで済んだというわけ。……やれやれ……。ヲットは、私がこんなふうにフォローして父と娘の絆をつないであげていることなんて知らないだろう。本当なら、彼は私に感謝するべきなのだ(キッパリ)。
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仕事っつーのはさぁ…。

2011/10/08 01:35

土曜日はずいずいの運動会なのだけど、金曜の午後になって、ビデオカメラの電池がちゃんと充電できないことに気付いた。買ってからもう何年もたつので、古くなったんだろう。

なので、うちから比較的近いところにある家電量販店(ノ●マ)に電話をして在庫の確認をしてみた。

私「ビクターのビデオカメラのバッテリーで、品番はBN−VF707なんですが、在庫はありますか?」

店員「少々お待ちください……。あ〜、それは生産終了になってまして、メーカーからの取り寄せも出来なくなってますねぇ。」

私「あぁ、そうなんですか…。分かりました。ありがとうございました。」

店員「すいませーん」

困った、生産終了だなんて、もう充電が出来ないってことか…どうしよう…と一瞬凹みそうになったが、もしかしたら在庫があるかもしれないと思い、ソフ●ップに電話をしてみた。…が、無い。しかも、「ソフ●ップ全店で品切れですね〜」なんて言われる。がーーーん。じゃあもう、ビデオカメラを買い換えるしかないってこと?

「…な、わけ、ないじゃん」と、すぐに思い直した。その電池を使ってるビデオカメラが全部使えなくなっちゃうなんて、そんなバカなことをメーカーがやるわけがない…と。10年も20年も昔に買ったものじゃないんだもの。

ケータイでビクターのHPを見て確認してみた。すると、確かにBN−VF707は生産終了になっているが、その代わりに「BN−VF707Lがご使用いただけます。」と書いてある。ほらねー。


そりゃーね、私は、「BN−VF707はありますか?」としか訊かなかったわよ。生産終了と言われた時に、「じゃあ、その代わりに使える電池はありますか?」と、しつこく訊けば、「あ、少々お待ちください……。あ、ありますねぇ…」ってことになったかもしれないわよ。でもさ、この買い控えの時代に、客商売ってものを舐めてない? そんな、一問一答式みたいな仕事じゃダメでしょー。(私は子どもの頃、祖父に、「タバコを持ってきて…と誰かに言われたら、相手の様子を見て、タバコだけじゃなく灰皿も、場合によってはライターも、一緒に持って行くのが仕事というものだ」と教えられたぞ。)細かい商品情報をいちいち暗記しておけとは言わないけど、「よろしければ、代わりに使える電池がメーカーから出ていないかどうかお調べして、折り返しご連絡いたしますが…」くらいは言うのが商売人ってものじゃない?

もう1回、ノ●マとソフ●ップに電話をして、BN−VF707Lがあるかどうか訊いてみた。…ノ●マにはあったわ、まんまと。でも、なんだかイヤになっちゃったので、そこよりもちょっと遠いビッ●カメラまで買いに行った。ふん。

(ノ-"-)ノ~┻━┻
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「最後にもう1回探しに行こう」

2011/10/04 08:49
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日曜日、ずいずいは、3歳の頃からの仲良し、麗子ちゃん(仮名)と、公園に遊びに行った。麗子ちゃんの弟のハッちゃん(仮名)も一緒。

3人は子犬のように公園中を走り回って機嫌よく遊んでいたのだが、閉園の時間になり、アナウンスと音楽が流れ始めた時に、ずいずいが落し物をしたことに気付いた。ずいずいのお気に入りのキャラクター“みつばちバジーちゃん”のストラップから、パンケーキ部分が消えていたのだ。

それは、夏にロイヤルホストが取り扱っていたストラップで、各店30個の限定品。麗子ちゃんのお母さんのあんこさんが、バジーちゃん好きな私たち親子のために、出先で見かけた時にわざわざ確保してくれたもの。

そこの公園は、一角に小さな動物園もある、かなり広い場所。3人は鬼ごっこをしてあちこち走り回っていたから、どこから探したらいいのか見当もつかない。ずいずいは2歳の頃に、この公園でモーリー(熊のぬいぐるみ)を落としたことがあって、その時は幸い見つかったのだけど、ストラップについていたパンケーキは、モーリーよりもずっと小さい。見つけられるとは思えなかった。

「探しても見つからないんじゃない?しょうがないよ」と私は言った。こういう時、ずいずいは、泣いたりわめいたりはしない。でも、“平気そうに見えるけど、心の中ではかなり落ち込んでる…と、身近な人にだけは分かる”というような顔をしていた。スピーカーからは相変わらず、「もうすぐ閉めちゃうから、とっとと帰ってちょーだいねっ!」という旨のアナウンスが流れている。

「よし!最後にもう1回探しに行こう!」と言ったのは、麗子ちゃんだった。どこに落ちているのかまったく分からないのに、いきなり走り出した麗子ちゃんとハっちゃん。もたもたと、それに続くずいずい。見つかるわけがないよなぁ…と思いながらも、ギリギリまで探さなければ諦めがつかないのだろう…と、彼らを見送った。

ところが、ほんの2〜3分で、表情が明るく変わったずいずいが戻ってきた。そして、照れたように、「あったよ…」と言う。麗子ちゃんが走っていったあたりを3人でウロウロしていたら、ずいずいが見つけたのだそう。

帰りのクルマの中で、私が、「麗子ちゃんが『もう1回探そう』と言ってくれたおかげだね」と言ったら、ずいずいは、「うん!生まれて初めて、友情に感動した!」なんて言っていた。麗子ちゃんは、「うひゃひゃひゃひゃ…」と笑った後、「アタシたちずっと前から仲良しだもんね。これからもずっと仲良しでさ、2人とも結婚して子どもが生まれて、その子ども同士も仲良しだったらいいね」と言った。

2人ともかなりマイペースだし、トロくてどんくさい(笑)ところもあるから、学校ではたまに浮いてしまう場面もあると思う。でも、もしも学校でトラブルがあって一時的に孤立するようなことがあったとしても、こういう友達が学校の外に1人いてくれれば、追い詰められ方が少しは違うんじゃないかという気がした。

ところで、この日記を書いていて思い出したのだけれど、3年前の10月、当時麗子ちゃんが通っていた小学校でバザーがあって、私とヲットとずいずいも遊びに行ったことがある。バザーが閉会になる頃、麗子ちゃんは、その日買ったばかりのキーホルダーを側溝に落としてしまった。運悪く、コンクリートの蓋に少しだけ開いていた穴から中に入ってしまったので、それを拾うことは出来ないと思われた。

麗子ちゃんのお父さんは、落ち込んでいる娘に、「お父さんがまた買ってあげるから」と声をかけていたが、麗子ちゃんが「いらない!」と言って拗ねると、「自分で落としたんだから仕方ないだろう!」と怒り、それをきっかけに麗子ちゃんは1人でどこかに走り去ってしまった。「困ったわねぇ…」「可哀想に…」「でもどうしようもないわよねぇ…」などと言いながら、周囲の大人たちは様子を見ているしかなかった。

…が、その間に、ヲットは、小学校の先生を探し出し、バールを借りる交渉をしていたらしい。そして、側溝の蓋をなんとかそれで持ち上げ、麗子ちゃんのキーホルダーを回収することが出来た。戻ってきた麗子ちゃんに、麗子ちゃんのお母さんが、「麗子、ずいずいちゃんのお父さんが拾ってくれたよ。ちゃんと御礼を言いなさい」と言うと、沈んでいた麗子ちゃんの顔がパァっと明るくなり、赤いほっぺをピカピカと光らせて、にんまりと笑った。そして、照れくさそうに、小さな声で、「ありがとうございます…」と言った。

その日の帰り道、ヲットは、「どうせ100円とか200円のものだから、新しいのを買えばいいと大人は思っちゃうんだけどさぁ、そうじゃないんだよ。オレは麗子の気持ちが分かる。あれは、モノに執着して悲しんでいたというより、自分がみんなの目の前で失敗しちゃったこととか、そのことで今日の楽しかった空気がぶち壊しになっちゃったこととかに対して、落ち込んだり腹を立てたりしてたんだよ。だから、新しいモノを買っても気持ちは戻らないんだよ。その失敗を解決しないと心が救われないんだよね」と言った。

麗子ちゃんのお父さんの対応が、特別に冷たかったというわけではない。ああいう場面では、ほとんどの親が、ああいう反応をするんじゃないかと思う。ただ、その時の子どもは、大人が感じるよりもずっと深く悲しんでるんだということを、ほとんどの大人は忘れてしまいがちなだけ。で、麗子ちゃんのように敏感で傷つきやすい子だの、ずいずいのようにやや情緒過多な子だのは、そういうことで、ごっそりとヒットポイントを失ってしまうのだろう。

あれから3年、今、麗子ちゃんは、引っ越しと転校をし、苗字も変わり、お父さんとは別々に暮らしている。引っ越し直後、大人たちは、麗子ちゃんが大きな環境の変化に対応できずに戸惑うんじゃないかとずいぶん心配したのだけど、そんな心配をよそに、麗子ちゃんはあっさりと新しい暮らしに慣れて、むしろ、引っ越し前よりも元気で健康的な女の子になった。麗子ちゃんがずいずいに「もう1回探しに行こう」と言ってくれたのは、あのバザーでの出来事を直接思い出したからというわけではないと思う。でも、あれから3年、いろんな大人や友達に接する中で、「もう1回探しに行こう」と言える強さのようなものが、麗子ちゃんの中には育っているんだなぁ…と感じた。なんだかほっこりした気持ちになった。
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