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日々是まぁまぁ好日 (再び)
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かなり大雑把に生きているワタクシの、それなりに楽しい日常。ずいずい(娘・小学4年生)も元気です。(今は無名のコピーライターですが、こんど生まれ変わったら夫名義の家族カードでバンバンお買い物する有閑マダムになります!)
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サンタさんへ

2011/12/25 00:58
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サンタさんへ

いつもありがとうございます。

寒い中、おつかれ様です。

ここに、マシュマロとビスケットとお酒を置いておきます。

もしよかったら、食べてください。

H23.12.24

日本のずいずいより


………………………

今年も、なんとか無事にサンタさんがやってきたようです。クリスマス・イヴの食事会の料理と皿洗いで疲れ……ゲホッゴホッ……なにかと忙しくて疲れたせいか、サンタさんからのメッセージは短くて、しかも、そのへんにあった付箋紙に書いてあったりしますが、まぁ、そんな年もあります。

全国で任務遂行中のサンタさんたち、お疲れ様です。

3枚目の写真は、ずいずいから私へのプレゼント。しばらく前にポーチが擦り切れて穴があいてしまったので、新しいのを用意してくれました。おばあちゃんから毎月少しずつもらっているお小遣いをやりくりして買ってくれたのです。……ちょっぴりうるっと来てしまいました。

ずいずい、ありがとう。

イエス様、Happy Birthday.

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Merry Christmas!

2011/12/24 03:33

今年、日本は、あちこちに深い傷がついて、いまだに心が癒されていない方々も大勢いるけれど、そういう方々の気持ちが少しずつでも癒されますように。

年金がどーのとか、税金がこーのとか、給与カットとか、労働意欲が削がれるような話題ばかりだけれど、真面目に働いている人が、たまには美味しいものを食べたり、買い物を楽しんだり、きれいなものを見たり聴いたりするくらいの贅沢は許されるような、そういう国に戻りますように。

クリスマスもお正月も関係なく勉強に追われている受験生が、怪我や病気に見舞われることなく、受験当日まで頑張れますように。

かの国の将軍様が亡くなったこの機会に、拉致問題に進展があって、無理矢理に祖国から連れ去られた方々が戻って来られますように。

自分のことだけでなく、他の誰かのために動くことの出来る人に、良いことがたくさんやって来ますように。


Merry Christmas!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*クリスマスのプレゼントに、ずいずいはパパにおねだりしていたウォークマンを買ってもらうことが出来ました。ヴァイオリンで練習している曲や、好きな歌などを入れて、クルマでの移動中などに楽しむ予定なんだとか。

*私からずいずいに用意しているプレゼントは、アンデルセンの童話全集と、ずいずいが欲しがっていた魚とパンのTシャツ。(童話全集は有名でない作品も収録されていて、全部で3巻発行されることになっているもの。まずは、今年発行された第1巻を。ものすごく分厚くてずっしりした愛蔵版で、美しい挿絵もたくさん。)

*サンタさんが用意しているプレゼントは、もこもこ素材の黒猫のバッグと、百合の紋章のブローチ。



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本の魅力は“中身”だけじゃなく…

2011/12/06 20:19
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私も、ずいずいも、普段買う本は、文庫や新書版のものがほとんど。ハードカバーのものは、ずいずいが学校の図書室で借りてくる以外は、あまり縁が無い。

先日、義父とお酒を飲みながら、本の話になった。そして、「書かれている内容だけでなく、持った時の重さだとか、表紙の材質だとか、美しい装丁だとか、紙やインクによって異なる匂いだとか、そういう要素もまた、本の魅力なのである」という話になった。それは、「電子書籍では決して味わうことの出来ない紙の本ならではの醍醐味」であり、「本好きの人間にとってはそういうことも大切」なのであり、「特に感受性が豊かな子どものうちは、そういう魅力を味わう機会を持った方が読書体験が豊かになるであろう」…というようなことで、話が盛り上がった。

思い出してみれば、私は、本の臭いを嗅ぐのが好きな子どもだった。目をつぶっていても、本を開いて鼻を近づけてみるだけで、「これは福音館」「これはポプラ社」「これは岩波」…などと、出版社を当てることが出来た。布張りや革張りの表紙を撫でて、その感触にうっとりしたり、曇りガラスのようなグラシン紙のシャカシャカした感触を楽しんだりすることもあった。

…そのような事が何の役に立つのかと訊かれたら、「いや、何の役にも立ちません…」と答えるしかないのだけれど、あれは、なんとなく心に残る、豊かな時間だったような気がする。そして、子どものうちに、ずいずいにも、ああいう時間を味わってほしいと思う。

そういうわけで、今年のクリスマスは、ずいずいに、何か、ちょっと、“立派な本”を贈りたいと思っている。「図書館で借りて読むからいいや」とか、「読み終わったらブックオフで売っちゃえば本棚がスッキリしていいや」とかいう類の本とはちょっと違う、“ずっと手元に置いておきたい本”というのを味わってみて欲しい。

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意地悪は、性格だけじゃなくて体調の問題?

2011/12/02 13:59
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昨日、学校から帰ってきたずいずいが、「ママ、今日の朝礼の校長先生のお話しね、ゆうべママが言ってたのと同じような内容だったの」と話してくれた。

“ゆうべママが言ってたの”というのは、こんな話。(↓)


同じクラスのTさんが、昼休み、数人の子たちに意地悪をされていた。お弁当の時に使っていたランチョンマットを、ある1人の子が取り上げて、他の子たちと投げ合ってふざけていて、なかなか返してくれなかったのだ。「返して」「やだー」…というやりとりが何度か繰り返された後、もともと大人っぽいところのあるTさんは、「じゃあ、もういい…」と言って、本気で相手をするのをやめて、スルーしようとしたのだそう。すると、ある1人の子が、「じゃあ、これ、捨ててくるね。いらないんでしょ?」と言って、ランチョンマットを持ったまま廊下の方(ゴミ箱のある方)に歩き出し、さすがにTさんも慌ててしまい、……云々(楽しい話題ではないので、以下、省略。結局、ランチョンマットはTさんに戻されたのだけど)。


私「それを見ていて、あなたは、『やめなよ』って言ったりしなかったの?」

ず「………。言わなかった。」

私「その時、教室に、あなた以外の目撃者は?」

ず「他に何人かいた。」

私「その中の誰も、『やめなよ』って言ってあげられなかったの?」

ず「うん…。」

私「なぜ?」

ず「そういうことを言うと、その意地悪な子たちに、次に苛められるのは自分になっちゃうから。それに、『いい子ぶってる』とか言われちゃうし…」

私「先生はそういうことが起こってるのをご存じなの?」

ず「ちょっと意地悪な子たちのことは先生も分かってて、時々注意してるけど、一番意地悪な子は、先生の前ではボロを出さないんだよ…本当に意地悪な子は、先生がいる時に意地悪なんかしないもの。今日のことも先生は知らないの。先生に言うと、言いつけた…ってことで、また意地悪されるし。」

私「つまり、意地悪をされた子は、されっぱなしで、1人で耐えるしかないの? クラスメートは誰もかばってくれないし、おうちの人に相談するのも、先生に言うのもダメなの? じゃあ、意地悪で自分勝手なことをした子の天下になっちゃうじゃない。ジャイアンにおびえるのび太みたいに毎日を過ごさなくちゃならないの?そういうの、鬱陶しくないの?イヤなクラスだなぁ。誰か勇気を出して、『やめなよ』と言ってあげられないの?…1人で言う勇気がないとしても、何人かで一緒に言うとか、なにか方法はないの?」

ず「…みんな、次に自分が意地悪のターゲットにされるのがイヤなんだよ…。なかなか、ママみたいに強くはなれないもん…。でもね、下校の時、Tさんが、『一緒に帰ってくれる?』って言ってきたから、駅までおしゃべりしながら一緒に歩いたよ。Tさん、なんだか疲れてて落ち込んでるみたいに見えてさ、可哀想だったよ…」

私「ねえ、こういうこと、最近、ちょっと多すぎない? 学校の空気がイヤな感じになってきているのなら、ママ、どうしたらいいのか、担任の先生に相談しに行ってこようか?」

ず「やめて…。おうちの人に相談して、おうちの人から先生にお話が伝わって、それで先生が意地悪した子を叱ったりしたら、また後から面倒なことになるの。私、たまに意地悪されて泣いちゃうこともあるけど、そのせいで学校に行くのがイヤになったりってほどじゃないから。たまにこうやってママに愚痴を聞いてもらうだけで、なんとかなるの。だから、ママ、先生に言わないで…」

こういう話をした翌朝、校長先生から、「苛められている子をかばうと、次は自分が苛められるのではないかと思って心配になってしまうだろうけれど、それでも勇気を出して声を上げてほしい」というようなお話があったのだそうで、ずいずいは、「やっぱり、見て見ぬふりをしちゃいけないんだよね…。自分もそうされたらすごく悲しいし…。でも、『やめなよ』って、私、言えるかなぁ…怖いなぁ…」と、目下、悩んでいる最中。

実は最近、こういう話題が多い。“苛めというほどではないけれど、意地悪ではある”…というような出来事が増えている感じがする。…いや、でも、“苛めというほどではない”というのはあくまでも私の主観なのであって、ターゲットにされた9〜10歳の子どもにしてみれば、それは“苛め”なのであり、悲しい思いをしているんだろうなぁ…。事実、ずいずいも、たまにトイレでこっそり泣いていることがあると言うし…。「この程度の意地悪は、学校生活にはつきもの。いちいち大げさに考えないで、それに負けない心の免疫力を育ててあげよう」と考えるのがいいのか? それとも、「ちょっとこれは意地悪の度が過ぎるのでは?」と感じたら、先生に相談してしまったほうがいいのか? 親としても、そのへんの判断は難しい。

マイミクさんであり、3人の小学生のお母さんであり、栄養療法にも詳しいドクター、とりんさんによると、初潮前後の女の子はものすごくたくさんの栄養素を必要とするので、しっかり栄養を摂っていない子は貧血になりやすく、その結果、情緒不安定になったり意地悪になったりする傾向があるのだと言う。そして、この時期の貧血は、成人後も、生涯にわたって健康状態に(精神衛生も含めて)大きな影響を及ぼすのだそう。

ずいずいは、3年生の後半くらいから、ぷっくり、むっちりした体型になってきた。だから私は、「今の時期は、ぷくぷくほっぺで、体も丸っぽくてしっかりしているくらいがちょうどいいし、健康的だって、ママが信頼しているお医者さんがそう言ってるよ。タンパク質や鉄分やビタミンB群をしっかり摂らないと、健康で綺麗な大人になれないし、集中力が低下して学力も下がっちゃうんだよ。ダイエットはもう少し大人になってから考えればいいからね」と話をしているのだが、学校で「Nちゃんって太いよね」と言われて傷つき、トイレでこっそり泣いたこともあるずいずいは、“ガリガリに細い子”に憧れているらしい。「私と同じようにぷっくりしている子は、クラスには3〜4人くらいしかいないの」と言う。

最近の、“苛めというほどではないけど、クラス内に意地悪な言動が増えてきた気がする”と、ずいずいや私が感じていることの原因として、そういう、発育と栄養に関する問題が潜んでいるんじゃないかという気がするのだけど、どうだろう? もちろん、栄養状態が悪いからといって、誰もが意地悪になるかというと、決してそういうわけではない。個々の性格とか、感じているストレスの量だとかによって、他人に対して攻撃的になるのかどうかは違ってくるのだろうけど。でも、“なんとなーく、意地悪指数が高い空気”というもののベースには、栄養問題が潜んでいるような気がするんだよなぁ…。だとすれば、これを解決するには、“心構え”や“精神論”だけじゃなくて、“栄養”という視点も必要なのかもしれない。親も子どもも先生方も一緒に、ドクターとりんのような専門家のお話を聞く機会があるといいんだけどなぁ。


※写真右の大きなボトルは、3年生になってから飲ませるようになったプロテイン。急激に体が大きくなり始め、疲れやすくなったり落ち込みやすくなったりしたので、食事だけではたんぱく質やビタミンやミネラルが足りないと感じて飲ませるように。
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おばあちゃんのプレゼントが微妙でも(笑)、まぁ、ずいずいは幸せなのだ。

2011/11/28 08:40
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ずいずいの小学校では、今、サンタクロースについて、“いる派”と“いない派”に分かれてたびたび議論が勃発しているのだそう。

「DSをサンタさんにお願いしたのに、もらえた子・もらえなかった子がいるのはおかしいよ。サンタさんがいるなら、全員もらえるとか、全員もらえないとか、基準があるはずでしょ。実は、プレゼントは、お父さんやお母さんが準備しているから、その家庭ごとの考え方によって、買ってもらえたりもらえなかったりするんだよ」なんていう子もいるのだそうで。論理的だ。その通りだと思う(笑)。

ずいずいは相変わらず“いる派”。

【根拠@】「前に、サンタさんに将棋セットを、ママにチェスセットをお願いした時、サンタさんからの将棋セットに小さいチェスセットがおまけで付いてきて、チェスセットがだぶっちゃったことがあった。サンタさんの分も親が準備しているのだとしたら、そんな無駄なことはしないはず」 → 将棋セットを注文したネットショップが、クリスマスシーズンの特別サービスでチェスセットをおまけに付けてくれちゃったことを知らない。

【根拠A】「リサのぬいぐるみを持っていたから、それと同じ大きさのガスパールのぬいぐるみが欲しいなって思っていたら、ちょうどいいサイズのガスパールと、それより大きいガスパールが両方届いちゃったことがあってビックリした年があった。欲しかったサイズの方は、ママのお友達のおばちゃんが送ってくれた。でも、サンタさんは、私が欲しかったのより大きいのを持ってきてくれちゃったから、リサとペアにはならなかったの。そういうアクシデントが起きるのも、サンタさんが本当にいるからでしょ?」 → “サンタさんのふりをしたママが、ガスパールを欲しがっているずいずいのために、間違ったサイズのガスパールを注文してしまったのだけど、誕生日にリサを送ってくれたおばちゃんがクリスマスにはガスパールの方も送ってくれて、それで運良くリサ&ガスのペアが揃った”……なんていう事情までは推察できていない。

【根拠B】毎年サンタさんにお酒とお菓子を用意してから眠ると、翌朝は一口ずつ飲んだり食べたりしてあるし、英語だったけど、サンタさんからお返事のお手紙をもらったこともある。 → 母と同一の筆跡であることを分かってない(普段目にしている日本語の文字ではないので気づかない)。

ひとまず、この、“4年生にもなってサンタさんがいると信じているおめでた……否、幸せな娘”の夢を出来るだけ引っ張ることが出来るように、実家の母にも、義母にも、「まだサンタさんを信じてるんだから余計なネタバレは不要ですよ。よろしくお願いしまつね」という旨の申し入れをしておいたわたくし。毎年、毎年、「いよいよ今年で最後になるのかな?」と思いながら、サンタさんの影武者をやっている。

ところで最近、ずいずいは、「パパやのんちゃん(←義妹)って、子どもの頃、可哀想だったよね…」と言う。「だって、おじいちゃんも、おばあちゃんも、イベントに全然興味がないし、子どものワクワクする気持ちを分かってくれてないんだもん」と。

たとえば去年の“クリスマスプレゼント”なのだけど、11月の末だか12月の初めだかに、義母が、ずいずいの通学用の下着を2枚買ってくれた。上身ごろは綿の半袖で、下はナイロンだかポリエステルだかでスカート部分がついているもの。制服の下に着る必需品なのだけど、デパートで買うと1枚3000円以上する。確かに大事な必需品だし、安いものではないから、助かる。でも、「これが、ちょっと早いけど、クリスマスのプレゼントね」と言われたずいずいは、内心かなりガッカリしたようだ。だって、下着だもの(笑)。「何ももらえない子だっているのだから、それはそ
れで感謝するべきなのだ」ということは、一応、親として言い聞かせたが、ずいずいの気持ちも分からないではない。せめて、クリスマス当日に、可愛いラッピングでもして受け取ることが出来たら、もうちょっと気分も違ったのだろうけど。

ヲットが子どもの頃、N家には“クリスマス”という概念はなかったそうで、ツリーを飾ったり、プレゼントを買ってもらったり…なんてことはなかったらしい。「うちはキリスト教徒じゃないんだ」という義父の意向で。(その代り、よその子よりもだいぶ大きな額のお年玉をもらっていたらしいが。) 私が子どもの頃は、母親が1ヶ月も前からプレゼントの用意を始めていた。手作りの大きなフェルトの靴下の中に、これまた手作りのぬいぐるみだの、お菓子だの、本だの、カードだのが詰めてあったりして。クリスマスイブには凝った料理も用意してもらった。いま思えばメニュー自体はそれほどすごいものではなくて、盛り付けに凝っていただけなのだけど、子どもだったので、十分にそれでワクワクしていた。

イベントに力を入れる家庭とそうでない家庭との温度差は大きいんだなぁ。でも、自分が親になって思うのは、「子どもを喜ばせたい」とあれこれ画策することで、親自身も楽しんでいるんだな、ってこと。そして、親にあれこれしてもらった子は、自分の子にもあれこれしてあげたくなるようだ、ってこと。4年生にもなってサンタさんを信じているずいずいは、近い将来、「ママってば、毎年、あれこれ舞台裏で画策していたんだなぁ…」ってことを知って、クスリと笑うんだろう。そしていつか、自分の子どもを持つ日が来たら、やっぱりあれこれと画策して楽しむんだろう。

私が小学4年生の頃、同じクラスでサンタさんを信じている子なんて、もう。誰もいなかったと思う。いまだにサンタさんを信じている子がたくさんいるというずいずいのクラスは、「子どもを喜ばせたい」「子どもに夢を見させたい」と思って頑張っているお父さんやお母さんたちに愛されて、大事にされてる子たちがたくさんいるってことなんだろうなぁ。平和な国、平和な時代に生まれてきた、幸せな子たち。……豊かではない国の子たちにも、家庭が荒れていて辛い思いをしている子たちにも、クリスマスくらいは何か良いことがありますように…と思う。私はどちらかというと子どもが嫌いなのだけど(笑)、子どもたちが悲しい思いをするのはもっと嫌なのだ。
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聖ニコラウスさんの季節

2011/11/16 09:55
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ああ、今年もまた近づいてきた。あのシーズンが。

NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)の、サンタさんの情報を鵜呑みにしていたり。
http://momonga-zuizui.at.webry.info/201012/article_6.html


世界中の子どもたちにプレゼントを配るには、サンタさんは1万数千人は必要だと計算してみたり。

http://momonga-zuizui.at.webry.info/201012/article_5.html


サンタさんにDSをお願いしても買ってもらえないらしい…と、友達と情報交換していたり。

http://momonga-zuizui.at.webry.info/201012/article_3.html


サンタさんにお手紙を書いたり。

http://momonga-zuizui.at.webry.info/200912/article_23.html

http://momonga-zuizui.at.webry.info/200812/article_27.html


サンタさんからお返事をもらってよろこんだり。

http://momonga-zuizui.at.webry.info/200912/article_24.html


サンタさんに会えるまで起きていると言い張ったり。
http://momonga-zuizui.at.webry.info/200812/article_28.html


もう4年生。さすがにもう、学校のお友達とのおしゃべりで、「サンタさんはいない」ってことを分かってしまってるんじゃないかと思い、先日ちょこっとだけリサーチしたら(カマをかけたとも言う)、なんと、まだ信じていた。アンビリーバボー。


「パパからのプレゼントやママからのプレゼントとは別に、サンタさんからのプレゼントをいつまでももらえるように…」と、信じているふりをしているんじゃないかと疑ってもみたけれど、どうやらそうではなく本当に信じている様子。イエス様やマリア様が今でも天にいらっしゃるのと同様に、聖ニコラウスさんもいらっしゃると思っているらしい。「イエス様やマリア様に会ったことはないけど、存在を疑ったりしないでしょ。それと同じことだよ」と。「お友達の中にはサンタさんなんかいないって言ってる子もいるよ。でも、神様やイエス様やマリア様を信じていない子もいっぱいいるんだもの。そういう子はそういう子だよ。考え方が違うの」と、はなから議論する気もない様子。

こうなってくると、もう、いつ、誰が、ずいずいの夢を決定的に打ち砕くのか(“目覚めさせる”とも言う)、知恵のつく林檎をずいずいに食べさせることになるのか、母としては戦々恐々なんである。
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自分一人のモノサシなんて小っちゃいのだ。

2011/11/14 14:25
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友人Kさんのおかげでご縁が出来たLさんが、最近、職場(某公立小学校)の職員旅行で函館に行ってきた。Lさんが最も印象深かったのは、トラピスチヌ修道院だったそう。

正式名称は「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」。シトー会は特に戒律が厳しいそうで、一度ここの修道女になると壁内のみの生活となり(選挙などごく一部の用事の時だけ外出が許される)、俗世から完全に隔離された世界で生きていくのだという。一生を神様に捧げた共同生活は、祈り・読書・農作業などの労働が中心で、会話は必要最低限に限られ、沈黙が義務付けられている。朝3時30分起床、夜7時45分就床。60〜70名ほどの修道女の方々が自給自足の生活を行っているとい
う。

Lさんは、「こんな世界もあるのか…。こういうことが幸せや安らぎにつながる人たちもいるのか…」と、目からウロコが落ちるような気持ちで見学させていただいたそうだけど(前庭部分だけ一般公開されている)、一緒に行った他のメンバーのほとんどは、「可哀想に…」と口々につぶやいていたとのこと。

自分の価値観だけで簡単に「可哀想」と言うなんて、すこぶる失礼なことだと私は思う。自分が理解できないのなら、「こういう世界もあるのね」「こういう人たちもいるのね」だけでとどめておけばいいのに、「可哀想」だなんて、いささか想像力が足りないんじゃないだろうか? 日々、多くの子どもたちと接して、子どもたちの価値観の形成に大きな影響を与える職業なのだから、もうちょっと多様性というものを意識して、掘り下げて物事を考えていただきたいと思うのだが…。

ちなみに後日、Lさんがその話をお母様にしたら、お母様は「もしもLがそういう生活をしたいと言い出したとしたら、母ちゃんはLを誇りに思うよ」と言っていたそうで、素敵な方だなと思った。

冒頭に書いたKさんはしばらく前に離婚をしたのだけど、家を出てから離婚が成立するまでの3年弱の間に、ものすごく色々な経験をし、たくさん考えた挙句、「自分は男の人と関わると人生が乱れる。そして自分も相手の男の人も不幸になる」という結論を得たのだそう。今は、毎日フルタイムで働いて子どもたちを養いながら、自分のライフワークとなるであろう宗教音楽の勉強を続けている。元夫の反対にあって音楽の勉強も聖書の勉強も中断してしまっていたのだけど、「自分が一番やりたいことはこれなのだ。これだけはどうしても譲れないのだ」…ということが分かったそうで、「どんなに貧乏をしても、どんなに遠回りになっても、今度こそ手放さずに、細々とでもいいから一生勉強を続ける」と言い切るようになった。元夫がいつ機嫌をそこねて怒鳴り始めるのか顔色をうかがっていた頃の彼女とはまるで別人だ。強くなったし、サバサバとした考え方になって魅力が増したと思う。

そんな彼女に、「まだまだ恋愛できるし、まだ十分再婚出来る年齢でしょ」と世話を焼く人や、「親の都合で片親にしてしまうなんて子どもが可哀想」「子どもが独立した後、一人は寂しいわよ」などと意見する人もいる。その人たちなりに良かれと思って言ってくるのだろうけど、それも、「修道女は可哀想」という人たちと同じで、自分の価値観しか見えていない、視野の狭い言動だと思う。結婚していた頃、Kさんがどんなふうに暮らしていて、どんなことに苦しんでいたのか、離婚が成立した今、Kさんと子どもたちがどれくらい心身ともに健康になって、幸せそうに変化したのか、知りもしないのだ、そういう人たちは。両親が揃っていないと不便なことや不自由なことは確かにいくつかあると思う。でもそれは、不幸とは違うんじゃないかな。

大人になったら当たり前のように結婚して、結婚したら相手がDV男だろうがモラハラ夫だろうが何が何でも一生添い遂げて、“子どもたちのために”と我慢して(実は自分が経済的に不安があるから…っていうのが第一理由かもしれないのに)、肝心のその子どもたちに、怒鳴り合う父親や母親の姿ばかりを見せて、挙句の果てに子どもたちがストレスで心や体の健康を害したとしても、母子家庭になるよりはマシだと言うのだろうか?「新しいお父さんなんかいらない、お母さんと自分(たち)だけで十分楽しいよ、別に寂しくなんかないよ」…という子どもたち全員が“お母さんに心配をかけさせないように無理をしている”とでも思っているのだろうか?

自分のモノサシだけで「可哀想」とか「無理してるんじゃない?」なんて軽々しくモノを言っちゃいけないのだと思う。大人は、“そういう人とは距離をおく”という選択肢があるけれど、子どもは必ずしもそうではない。子どもたちと接する職業の方々は、そういうことを意識していていただきたいと思う。

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子どもとのスキンシップはいつまで?

2011/11/14 08:51
土曜日の午後、バリ・スパに行った。(http://www.yamatonoyu.co.jp/all/kawaguchi/index.html )  埼玉は天然温泉の施設がけっこうあるのだけど、他の施設は家族連れが多いのに対して、ここは女性のグループ客が多いようだ。エステ系のメニューが充実しているせいだろうか。

家族連れが多い施設では、女湯に“ママに連れて来られた男の子”がいる確率が高い。施設にもよるが、男の子の年齢制限はだいたい7〜8歳までということになっている。このへんが微妙なところで、男の子を育てているママにとっては、7〜8歳はまだ、“可愛いボク”なのだろうけれど、女の子しか育てたことのない母親や、男の子の兄弟がいない女の子にとっては、7〜8歳の男の子は、もう、“かなり男の子”なのだ。正直なところ、私も「なんかちょっと…リラックス出来ないなぁ」と感じてしまうし、ずいずいに至っては、「男の子がいる……」と固まってしまい、温泉を楽しむどころではなくなる。まして、その男の子がちょっとやんちゃで騒がしいタイプだったりすると、「早く帰ってくんないかなぁ?」光線を浴びせたくなってしまう。

男の子のママが、「7〜8歳の息子を男湯に1人で入れるのはまだちょっと心配」と思うのも、分かる。一方で、「なにがなんでも息子と一緒にお風呂に入りたいなら貸切風呂のある温泉に行ってほしいよね。つーか、店側もさぁ、8歳とか中途半端なこと書かないで、幼稚園以下じゃないとダメってはっきり書いてほしいよね」などと、聞こえよがしに文句を言っているお客さんの気持ちも分かる(文句の言い方がちょっとキツいなぁとは思うけど)。

このくらいの男の子を育てているお母さんたちは、たまに戸惑う場面があるんだろうな。たとえば、デパートや駅のトイレなんかでもそう。狭い空間のせいか、男の子がいると、周囲が感じる違和感はけっこう大きい。男の子がいるお母さんたちに、どうしているのか話を聞いてみると、身障者用のトイレに親子で一緒に入るとか、男性用トイレの入り口でお母さんが待っているとか、周囲の目より子どもの安全の方が大事だから開き直って女性用トイレに連れて入るとか、答えは色々だった。その点、母親&女の子というのは、いつも行動を一緒に出来て助かる。

ところで、ずいずいは、いまだに、ちょっと心細くなった時や気持ちが疲れてしまった時、「ママ、抱っこ…」と言って膝に乗ってくることがある。身長140cmを超えた子がベタベタと引っ付いてくる様子は他人が見たら違和感があるだろうし、実はけっこう重かったりもする。が、他人の目がないところでなら、まぁ、いいか…と思っている。思春期を過ぎ、成人になっても、母親に「抱っこ」をせがんでいる人というのは見たことがないので、自然にそういうことを卒業するまでは、無理にやめさせなくてもいいかな、と。

父親と娘のスキンシップというのは、いったいいつ頃まで許されるんだろう? ヲットとずいずいのじゃれあい方というのは、ハタから見ているとかなりヘンだと思う。なにしろ、ヲットは、ずいずいを押さえつけて顔を舐めたり頭を齧ったりするのだから。ライオンの親子か?(いや、ライオンもそんなことはしないか…) ずいずいは、「やめてーーーーーーーっっ!!」とギャーギャー叫んで嫌がるのだけど、それでもすぐにパパにすり寄っていくのだから、心の底から嫌というわけではないんだろ
う。こういうの、あとどれくらいやり続けるんだろう? 中学生になったらさすがに本気で嫌がるようになるのかな? 高校生になってもやっていたら変態親子だよな…。


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心地よく枯れていきたい。

2011/11/10 15:43
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キャサリン・ハムネットだったかマーガレット・ハウエルだったか忘れてしまったが、イギリスのファッションデザイナーの自宅が雑誌で紹介されていて、枯れた花が花瓶に飾られているのが印象に残った。片づけるのを忘れているとか掃除をさぼっているとかではなく、枯れた花には枯れた花なりの美しさがあるから、と。こういうのって、最近の日本人にはない感覚だなぁ…と思った。

いや、本来、日本人は、華やかなものだけでなく、地味なものや最盛期を過ぎた名残りのものなどにも、美しさや味わいを見出す文化を持っていたはず。それが“侘び”や“寂び”なんだもの。なのに最近は、若くて溌剌としたものにしか価値がないかのような勢いで、世の中が回っているような気がする。

化粧品のCMやファッション雑誌を見ていると、アンチ・エイジングは多くの女性にとって永遠のテーマなのだなぁ、と思う。 “いつまでも若く綺麗でいるため”、“いつまでも女として現役でいるため(モテるため)”、いろいろお手入れをして、努力して、綺麗でいましょう…と、様々な商品と情報が煽り立ててくる。もちろん、健康で機嫌よく生きていくための体調管理は大事だと思うのだけど、シミとかシワとか白髪とかってのは、そんなにも敵視しなくてはいけないものなんだろうか…と、たまに考えてしまう。

で、いったん考え始めると、あまりにも「若く」「より若く」とシャカリキになるのって、なんだかあさましいような、恥ずかしいような事に見えてくるのだ。心の中に、「そんなにも頑張って若作りしておしゃれして、いったい今さら何をしようというのか?」「もう中年と呼ばれる年齢になってまでモテたがるのは、いささか品の悪いことなんじゃないか?」「てか、恋愛なんて、うんと若いうちに、ゲップが出るほとたくさん経験しておくべきものでしょ。それが足りないと、トシとってからはじけちゃって、変に生々しく見えたりするんだよ…」などと、ツッコミが次々浮かんでしまう。

「いくつになっても恋する心やときめきは大事」「ドキドキすることがあったほうが、みずみずしく綺麗でいられる」なんてことが、女性誌にはしょっちゅう書かれているけど、そもそも、ときめきやドキドキって、恋愛方面でしか得ることが出来ないものではないよねぇ? 私は、ある程度の年齢になったら、恋愛なんて面倒くさいものからは解放されて、もっとワクワクすることを見つけるほうが恰好いいと思っている。仕事でも、趣味でも、勉強でも、ジャンルは何でもいいんだけど。そういう、“恋愛よりもずっと面白いこと”を共有できるような友人、噛めば噛むほど旨味が広がるように面白い会話が出来る友人は、男女を問わず、宝物だと思う。逆に、なにかというと思考が恋愛方面に向かう人は、「血中日本人濃度が薄いのか? アモーレな国のヒト?」などと思って距離を置いてしまう。「ああ、違う世界のヒトね」と。そういう生き方を否定はしないけど、仲良しにはなれそうにない。

あと数年もすれば、娘が初恋を体験するような年齢になるだろう。子ども世代が恋愛というステージに上るようになったら、親は枯れていくのが自然で美しいことだと思っている。(注:あくまでも個人の感想です。←通販風)

もしもずいずいが辛い恋に悩んで眠れないような夜があったら、「ママも若い頃にそういう思いをしたのよ」と思い出話でもして、夜更かしにつきあってやりたい。もしも恋愛がうまくいってバカみたいに舞い上がっていたら、「アナタ、自分じゃ気づいてないだろうけど、はたから見るとかなりヘンです(笑)」と、ちょっと意地悪なツッコミを入れたりもしてやろう。 で、私は、気の合う友人たちと、愉快に心地よく枯れていくのだ。
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実現するものなんだねぇ…。

2011/11/04 13:38
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●子どもの頃、「ポンジュース」が好きだった。駄菓子屋で買える「ファンタオレンジ」よりも、お米屋さんが届けてくれる「プラッシー」よりも、オレンジのトレードマークが可愛かった「バヤリースオレンジ」よりも。「愛媛県では水道ならぬ“ポン道”があって、蛇口を捻るとポンジュースが出てくる」なんていう噂を聞き、「嘘に決まってるけど、地域や期間を限定したら出来るはず。瓶代も瓶詰費用もかからないから1リットル数十円で飲めるんじゃ?」なんてことを妄想してニタニタしていた。

「ポン道」と呼べるほどのものではないけれど、最近は本当に「蛇口からポンジュース」が実現しているらしい。冗談を本当にやっちゃう人って、いいなぁ。


●子どもの頃から、TVで刑事ものや法廷もののドラマを見たり、FBI超能力捜査官の特番を見たりするたびに、「被害者の霊が姿を現せば、世の中の殺人事件のほとんどは簡単に解決するし、“逃げ得”が許されないから殺人事件の抑止力にもなるだろうに…。毎月、“0(レイ)”のつく日は、あの世の扉が開いて、幽霊がこちらの世界にやってくることが出来るようになればいいのに。その日だけ警察や裁判所が滅茶苦茶忙しくなるだろうけど……」と思っていた。「幽霊も、どうせなら、生きてる人間に怖がられたり嫌がられたりするような現れ方ではなくて、自分の恨みを堂々と晴らしにくればいいのに」と。

死者がしょっちゅうこの世にやってくるようになったら、色々と都合の悪いこともあるようで(?)、それは今のところ実現できてはいないようだけど、「幽霊が法廷で証人になる」という映画が出来た。1日、映画ファン感謝デーで観賞料が安くなっていたので、ずいずいと一緒に早速見に行ってきたのだけど、これがもう、傑作! 脚本とキャスティングが絶妙で、どんなチョイ役の俳優さんもピリリと存在感が光っていて、どのシーンも“名場面”になってしまう。2時間半の長さをまったく感じさせない。私もずいずいも何度も大笑いし、ラストではまんまと泣かされた。三谷幸喜は天才だ。こういう才能が日本に生まれた時代に自分も生まれてきて良かった。


●先日、日記に書いた「聖☆おにいさん」を初めて読んだ時、「なんて面白い漫画なんだ!」と感動した。…と同時に、「こういうギャグ漫画ではなくて、あの2人が真面目に交流したらどうなるか…みたいな本があったら、それはそれで面白いだろうなぁ」とも思った。

そしたら、あった。「Great Conversations  "The Lotus and the Cross" - Jesus Talks with Buddha」って本が。仏陀とイエスが舟に乗って様々な宗教的対話をするというドラマの台本のような本で、いわば、「聖☆おにいさん 真面目版」。著者は、Ravi Zachariasというインド生まれのキリスト教伝道師で、マレーシア・シンガポール・タイで複数の仏教僧と対話を重ねてきた方なのだそう。まだ日本語に翻訳されていないので原書で読むしかないのだけど、面白そうなので読んでみることにした。

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思い浮かべたことが実現するなんて、ドラえもんの世界みたいだ。面白いなぁ。ところでずいずいは、「本屋さんに貼ってあったポスターで、イエスさまが、パン5個と魚2匹(※)のTシャツを着てたの。あのTシャツ欲しい♪」なんて言っている。実はそのTシャツが商品化されることは知らないようだ。限定販売で入手困難らしいけど、当たったらクリスマスに買ってあげようかなぁ?


※イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。

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山森樹さん、安らかに。

2011/10/29 14:34
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神奈川県三浦市「山森農園」の代表者・山森樹(たつる)さんがお亡くなりになりました。農作業中の不慮の事故だったそうです。まだ50代。残念でなりません。

つい先日、プライベートで三浦に出かけた時に、山森さんのことを思い出していたのに、連絡はしないままでした。毎年、11月初旬には、山森さんの野菜が入った“お正月野菜セット”のコピーを書くから、どうせまたすぐに連絡を取り合うことになるんだし…なんて思っていたから。バカな私。


農家の一人息子として生まれ育った山森さんですが、若い頃は弁護士を目指していて、高校や大学では農業とは無関係の勉強をしたのだとか。が、26歳になった時、その道を断念し、家業を継ぐことを決心。「結果的に農業をやることになったからには、人と違ったことをやらなくちゃ…と思いました。18歳から農業をやっていたら、26歳になる頃には一通りの技術は身についていたはずなんです。僕はそんなものは何もない、ゼロからの、いや、むしろマイナスからのスタートだったわけですから、人と同じことをやってもしょうがないだろうという気持ちがありました。そうじゃないと、大学に6年も通って勉強してきた時間が無駄になってしまうと思ったんです。」 去年、取材させていたいた時、そんな話をしてくださった山森さん。

「実家では、父の代から、障害のある方々に農作業を手伝ってもらっていました。一人息子が26歳まで家の手伝いをしないで自由にさせてもらえたのは、彼らのおかげだったんですね。農園という場所で、障害のある子たちが仕事を覚え、経済的に自立していく姿を見ていましたから、自分が農園を経営していくなら、そういう面をもっと発展させたいと思いました。」

「目指したのは、農業を通じての社会貢献と、企業的な農業経営でした。障害者を雇用して彼らの自立を支援すること。人を常時雇用するためには、農閑期を無くし、年間を通して仕事を作り出すこと。農協に頼らず、自分たちで売り先を見つけて契約栽培を行うことで、安定した経営を目指すこと。」

「三浦の農家は、秋から春の大根とキャベツが主体。その2つを生産すれば、家族経営の規模なら食べていけるんです。でも、それだけでは人を雇用できないから、ニンジンの生産に挑戦してみようと。ニンジンはなかなかデリケートな作物で、うまく作れるようになるまで時間がかかりましたけど。」

「ガンガンと栄養を吸収している成長期にあせって収穫しちゃうと、どうしてもエグ味が出るんです。どんなに良い堆肥を使っていようがね。人間もそうでしょ。人間でいう“円熟味を増す頃”っていうのが、ニンジンにもやっぱりあるんです。」

「自分たちはプロだという誇りは大事だけど、そこにアグラをかいちゃいけないんですね。やっぱり、どんなにベテランになっても、お客さんの声に謙虚に耳を傾けることが、美味しいものを作り続けるには不可欠だと思ってます。」

「農業に限らず、仕事というのは、最終的には人がすべてです。人を育てながら、自分も育っていかないといけない。給料払ってるんだぞ、社長なんだぞ…っていうのではダメですね。若い人も含め、みんなでいろんな意見を出し合って、刺激し合って、楽しくやっていく職場は伸びますよ、やっぱり。」

収穫量・品質ともに、山森農園の人参が神奈川県でNO.1と言われるようになるにつれ、農園には、障害者だけでなく、農業を学びたいというたくさんの若者が研修生として集まるようになりました。そんな研修生たちの未来のためにと、2009年には東京・高円寺に八百屋さんを開店。「ちゃんとした食材で、ちゃんとした料理を出す店なんてのも、将来的にはやってみたいんです。うちじゃ、“居酒屋計画”って呼んでるんですけど。畑に行かないでそこに入り浸るようじゃマズいんですけど(笑)」

「自分と関わる人が、農業と言うステージを通して連携をとりながら、……なんか話が大げさになっちゃうけど、人間が人間として住みやすい環境を作っていくっていうのかなぁ、そういう仕事をしていきたいと思いますね。この農園だったり八百屋だったりが、その拠点になってくれればいいなと。それで自分も生活していけるなら、そんないい人生はないだろうと思ってます。」



ご冥福をお祈り致します。合わせて、山森スピリッツを受け継いだ多くの若い農業生産者の皆さんのご発展をお祈り致します。

携帯電話の電話帳に登録してある、山森さんの電話番号とメールアドレスが消せません。
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昨日の続き 〜たとえば、「聖☆おにいさん」

2011/10/27 08:59
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ブッダ「私 誕生日は毎年甘茶をかけられるだけだから…」

イエス「ふふ それだって お祝いの気持ちの現れでしょ」

ブッダ「私 生まれてすぐ 『天井天下唯我独尊』って言ったでしょ?」

イエス「ああ…… でもあれ『どんな命も仏の私と同様に尊い』って意味なんでしょ?」

ブッダ「…………」

イエス「…そのままの意味だったの……?」

ブッダ「若いうちは 皆 何かしらやらかすでしょう? 中2病みたいなものだよ。だから あの甘茶に込められた思いは祝福じゃなくて… 『ちょっと頭冷やそうか?』だよ。……あんなの若気の至りじゃない……私にとっても黒歴史なのに…誕生日のたびに蒸し返されて……」


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イエス「あ、アブラハムさん 今年は下界にも送ってくれたんだ! 毎年父さんのところにハムを贈ってくれるんだよね」

ブッダ「君んちのお父さん、お中元受け取ってるんだ。大量に来ちゃって逆に大変じゃない?」

イエス「あーうん そう言ってた。本当はお祈りだけで十分なんだけど。特に高価すぎるものだね……困りすぎて受け取り拒否するものもあったみたいよ。特にアブラハムさんのとか…」

ブッダ「え ハムじゃないの?」

イエス「いや、お肉が特上すぎてさ…。息子イサク君を贈られそうになった時は さすがの父さんも言葉噛んだらしいもの……」

ブッダ「ちょ 待って! そのハム大丈夫!?」


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「最高にガッカリだ」を表す言葉が「ユダ級」「ディーバダッタ級」だったり、天地創造の時にすべての生き物に名前をつけた「大御所アダムさん」を「天界の糸井重里(代表作は「女」です。)」と呼んだり、イエスが大笑いしたら、飲んでいた六甲の水が葡萄酒になってしまったり、笑いどころ満載の『聖☆おにいさん』。

仏教とキリスト教に関する最低限の基礎知識くらいはないと、このマンガを笑い尽くすことは出来ないんだよねぇ…というのを例え話にすれば、昨日の日記のあの話を、ずいずいはもっと手っ取り早く理解できたのだろうけど、カトリックの学校に通っている小学生には、これはまだちょっと早すぎるかなぁ…というような気もして、別の例え話をしてしまった。

このマンガについて「生きるということに対する真摯さのようなものが、イエスにもブッダにもまったく感じられない。このマンガがなぜ人気があるのか分からない」と酷評している牧師さんのブログを読んだことがある。本気で神様と向かい合っている方にとっては、こういうのって最大の冒涜のように感じてしまうのだろうか? 私は、神仏を信じている人間の一人だけれど、これは“本物”のイエス様やブッダ様とはまったく別物として楽しんでいるし、他の多くの読者も「パロディ」として楽しんでいるんじゃないかと思う。これを“伝記を漫画化したもの”として真面目にとらえて、「イエスやブッダってけっこうおバカだったんだなぁ」なんて思い込んでしまう人はそうそういないと思うのだけど…。(コロッケの物真似を見て、美川憲一のファンが激怒したって話はあまり聞かないしねぇ。そもそも、こういうレベルの話に例えること自体が、叱られてしまうことなんだろうか?)


本家に敬意を払いつつ、パロディを楽しむってことは、両立できると思うんだけどなぁ。
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教養ってなに? 〜たとえば、ハンプティ・ダンプティ

2011/10/26 15:30
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3ヶ月くらい前だったろうか、ずいずいが、「ママ、教養ってなに? 一般常識のこと?」と質問してきた。

改めて訊かれると、自分でも、「教養ってなんだ?」と考え込んでしまう。確かに、一般的には「一般常識がある人=教養のある人」という解釈で問題はないと思う。でも、厳密に言うと、それだけじゃないよなぁ…とも思う。

私「確かに、“一般常識がある人・知識が豊富な人”を“教養がある人”と呼ぶ場面はすごく多いから、そういう解釈で特に問題はないと思う。でも、ママは、それだけじゃないとも思うんだよね。その、身に着けた一般常識を使って、人生をより深く楽しめるっていうか、より深く味わえる力のことを、“教養”って呼ぶんじゃないかなぁ?」

ず「……?」

私「たとえば、すごく有名な人の有名な言葉をもじったセリフが、ドラマやマンガで使われていたとするでしょう? その元ネタを知っている人にとっては、そのドラマやマンガはすごく面白いものになるけど、元ネタを知らない人は、何のことだか分からないよね? キリスト教圏の国々では、聖書の言葉をアレンジした文章に多く出会うし、英語圏の国々では、マザーグースって呼ばれるイギリスの古いわらべ歌の歌詞が詩や小説の一部に登場することも多いの。でも、聖書やマザーグースを知らなかったら、それをアレンジした文章を読んでも、ピンとこないでしょう?」

ず「うんうん…」

私「古いたとえ話になっちゃうんだけど、昔ね、現職のアメリカの大統領が、政治スキャンダルで辞任に追い込まれた事件があったの。ニクソン大統領って人だったんだけど。アメリカだけじゃなく世界中が注目していたニュースで、ニクソン側も辞めなくて済むようにかなり粘ったんだけど、ついに辞めるしかなくなってしまったの。そのことが決定的になった日の翌朝、ある新聞の一面の見出しは、『All the government’s men…』とだけ、ものすごく大きな字で書かれていたの。“政府の役人全員が…大統領の側近全員が”…みたいな意味なんだけどさ。これの元ネタは、さっき言った、マザーグースの、ハンプティ・ダンプティの歌なんだよね。ハンプティ・ダンプティってのは、擬人化された卵の呼び名だって知ってるでしょ? 『ハンプティ・ダンプティ、塀の上に坐ってた。ハンプティ・ダンプティ、ぐしゃっと落っこちた。王様の馬を全部揃えても、王様の家来を全員集めても、もう、ハンプティ・ダンプティを元通りにすることはできなかったのさ』って歌詞なの。その、『all the king’s horses and all the king’s men…』っていうところをもじった表現なんだよね。たかがわらべ歌の一説なんだけど、それを知っている人は、『All the government’s men…』という一文を見ただけで、ぐしゃっと割れて元には戻らなくなった卵の様子が頭に浮かぶし、もう誰も大統領をかばってあげることが出来ないところまで大統領が追い詰められてしまったんだ、政権が崩壊したんだ…と、事態の重さを瞬時に知ることが出来るわけよ。知っている人にとっては、そのくらい、凄味のある重〜い一文になるというわけ。でも、知識や、それをアレンジする思考力の無い人が読んでも、そういうことはまったく感じないわけでしょ?」 

ず「なるほど〜〜〜…」

私「単純に、ハンプティ・ダンプティの歌詞なら知ってるよ…ってだけじゃダメなんだと思うの。その歌詞を知っていて、なおかつ、その文章がその事件の終焉を知らせる新聞のトップ記事に使われたことの凄味みたいなものを味わうくらいのアレンジ力というか、思考力がないと、人生は薄味になってしまうと思わない? だから、ママは、あなたには、教養っていうのは、“知識”だけじゃなく、“知識をアレンジして人生を深く味わう力”だと思っていてほしいんだよね。もちろん、その大前提として、一般常識がないとお話しにならないんだけどさ」

ず「うん。ちょっと難しいけど、たぶん、分かったと思う」

私「そうやって、色々味わえるようになるために、“歴史でも文学でも宗教でも音楽でも絵画でも、このくらいのことは最低限知っておいたほうがいいですよ、たぶん”っていうのが“一般常識”と呼ばれるものだと思うのよ。世界文学全集に入ってるような物語は一通り読んでおくとか、世界的に名画や名曲と言われているものは一応知っておくとか、将来、楽しい人生を過ごすために、子どものうちからやれることは色々あるよ。ママがたまに見ているモンティ・パイソンっていうのは、イギリスで昔やってたお笑い番組なんだけど、聖書とかシェイクスピアとかの知識がない人が見たら、面白さが半分くらいしか分からないネタがあったりするしさ」

ず「元ネタを知らないとパロディの面白さは分かんないもんね」

私「そういうこと。知識ってのは、いくらあっても脳に格納しておけるから、邪魔にならないもんね。時と場合によっては、知っているのに知らないふりをすることで窮地から脱出したり、誰かに恥をかかせずに済んだり…みたいなことも出来るけど、知らないくせに知ったかぶりをすると…」

ず「イタいよね」

私「うん。逆に、恥をかいたり窮地に立たされたりするかも」


……とまあ、こういうようなことを話したのだけど、主旨は伝わったかな…。これからはどんどん脳が老化して考え方も固くなっていきがちだろうから、娘に追い越されないように、私も“教養”とやらをもっと身に着けないといけないなぁ…と思っているところ。


ず「教養のない大人は、人生、なにが楽しいんだろうね? たとえば、言っちゃ悪いけど……」

私「あなたが思い浮かべてる人は想像がつくけど、そういう話題をあえて避けるのも教養ある人のたしなみだと思うな〜」

ず「なるほど〜…(笑)」
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すごいなぁ、電子辞書。

2011/10/15 15:20
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ずいずいには、幼稚園年長の秋に国語辞典を買い与えて、辞書の引き方を教えた。ちょうど小学校受験が済んで、時間にも気分にも余裕が出来た頃。TVを見ていても、本を読んでいても、「ママ〜、●●●ってなぁに?」とすぐに質問してくる子で、いちいち相手をするのはなかなか大変だったので、「まず、自分で辞書を引いて、それでも分からなかった時だけママに訊くように」と言い聞かせたというわけ。

調べたい時、辞書がすぐ手の届くところにないと調べるのが億劫になり、結局は調べずに終わってしまうと思ったので、ずいずいの部屋に1冊、TVのあるリビング・ダイニングに1冊、合計2冊、ずいずい用の辞書を置いておくことにした。

その頃からずいずいは、電子辞書も欲しがっていたのだけど、「紙の辞書をスムーズに使いこなせるようになるのが先」「まだ電子辞書なんて必要ないでしょ」などと言い聞かせ、そのまま数年過ぎてしまった。その間も、電機店に行くたびに電子辞書のコーナーで欲しそうに眺めていたので、しばらく前にとうとう買ったのだ。

ずいずいは、うんと小さい頃から、「どうしてもあれが欲しい」というようなわがままを言ったことがない。彼女が欲しがったものは、DSと、電子辞書と、自分用のPCくらいだけれど、どれも、「まだダメ」と言うと、それ以上駄々をこねたりはしなかったのだ。(DSは高学年になるまでは買わないつもりだったのに、3年生の夏、パパとずいずいが2人で秋葉原デートをした時に、ヲットが買い与えてしまったけど。)“何度も何度もじーっと見ている”というのは、ずいずいにとっては最大限の“欲しい”という表現なのだと思う。

中学や高校では、電子辞書の機種を指定して購入させる学校もあるという。中高生用の推奨機種が4万円前後もすることに驚いた。ずいずいは、国語辞典・漢和辞典・英和辞典くらいが入っていれば十分なので、1万円程度のものを探し、シャープのPW-AM700というポケットサイズのものを選んだ。ネットで調べてみたら、市場では1万円〜2万6千円くらいで売られているらしい。

「外出時に持ち歩き、分からない言葉に出会ったとき、とりいそぎ、最低限の意味を知るために使うもの。どうせ1万円だし…」くらいの認識しか持っていなかった私は、買ってきた電子辞書を自宅でいじってみてビックリした。手帳くらいのサイズに、ブリタニカ国際大百科事典、広辞苑、故事ことわざ&四字熟語辞典、言葉の作法辞典、日本語知識辞典、漢字源、パーソナルカタカナ語辞典、ジーニアス英和辞典、ジーニアス和英辞典、オックスフォード現代英英辞典、類語新辞典、英語・イタリア語・フランス語・スペイン語・ドイツ語・韓国語・中国語の旅行会話辞典、新・家庭の医学、経営用語辞典、株式用語辞典、金融用語辞典、流通用語辞典、不動産用語辞典、会計用語辞典、広告用語辞典、もっとうまいeメールの書き方、世界の料理・メニュー辞典……が入っている。これらを全部買った時の値段や、持ち歩く時の重さを考えたら、すごく安い買い物だと思った。

音声コンテンツも充実していて、英和辞典の10万語や、旅行会話辞典の文例などは、ネイティブの発音を聞くことが出来るし、広辞苑で「チャイコフスキー」と弾くと、人物の説明を読むだけでなく、代表作の有名な箇所のメロディーを耳で確認することも出来る。百科事典や広辞苑の説明を補うイラストなどの画像コンテンツも充実している。だから、たとえば広辞苑で「うぐいす」を引くと、うぐいすの説明文を読み、うぐいすのイラストで姿を確認し、うぐいすの鳴き声を聴くことが出来てしまう。びっくりだ。(こんなの常識?私が知らなかっただけ?)

この内容で1万円だなんて、中高生が使っている4万円くらいの電子辞書は、どれほど充実した内容なんだろう?重くてかさばる百科事典や辞書を何冊も買わなくても、持ち歩かなくても、ほとんどの調べものがこれ1つで済んでしまうなんて…。これじゃ、製本業界は踏んだり蹴ったりだなぁ…。製本機械の製造をしている義父の会社がしんどいのも無理はないや…。(昔は、どこの家に行っても、百科事典が何巻もズラリと並んで本棚のスペースを占領していたものだけど…。)

…というわけで、ずいずいは今、外出時には、熊のモーリーに加えて、赤い電子辞書も持ち歩くようになった。おもちゃとしても、教材としても、目いっぱい楽しんでいる様子。このヘビーユースぶりを見ていると、1万円でもすぐに元が取れそうな感じ。
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「黄昏のワルツ」と「リベルタンゴ」

2011/10/12 17:55

来年2月の発表会、ずいずいの弾く曲が決まった。「黄昏のワルツ」と「リベルタンゴ」の2曲。

本人の第一希望は「チャルダッシュ(チャールダーシュ)」だったのだけど、この曲は発表会では大人気で、毎年必ず誰かが弾く。(前回の発表会は、これを弾いた子が2人いた。) 今回も、もう、これを弾くと決めている男の子がいると聞かされて、がっかりするずいずい。ずいずいはこの曲が大好きで、ヴァイオリンを習い始めて間もない頃から、いつかは発表会でこれを弾きたいと言っていたのだ。ちょっと可哀想。でも、人気のある曲って、こうなりがちなんだよね〜。

「どうする? どうしても弾きたいなら、あなたも同じ曲を弾いてもいいんじゃない? ママは反対しないよ」と訊いたら、しばらく考えた後で、「んーーーー。すごく残念だけど、誰かと同じ曲を弾くのはイヤ。その子より下手でも、その子より上手でも、どっちでもイヤな気分になりそうだから」と言う。

気持ちはよく分かるので、「そうだね。聴いている人たちも、どうせなら、今までの発表会で聴いたことのない曲を聴けるほうが楽しいかもしれないし。チャールダーシュは、発表会じゃなくても、いつかどこかで弾く機会があるでしょう、きっと」と言って、他の曲を選ぶことに。

2人で、いくつか候補を決めて、先生に相談した。シュトラウスの「こうもり序曲」は、「うん、いい曲だけど、この譜面はオーケストラ版とほとんど同じアレンジだから、けっこう長くて大変だし、難しい箇所もあるのよね〜。頑張れば出来ないことはないと思うけど、これは次回でもいいかな…」、ショパンの「ノクターン(遺作)」は、「んーーーーー。これ、かな〜り暗いよねぇ……」などと、先生の意見を聞きながら1曲ずつ候補から外していき、最後に残ったのが「黄昏のワルツ」と「リベルタンゴ」だった。

…ということで、練習を開始したずいずい。ずいずいみたいなボーっとした子がタンゴだなんて、大丈夫だろうか? でも、普段の自分っぽくない曲に挑戦してみるのも面白いかも。頑張れ、ずいずい。 ドレスは何色がいいかな? 


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4年生の秋に。

2011/10/11 11:52
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運動会は無事終了。あの学校の運動会はお天気に恵まれないことが多いけど、今年は暑いくらいの晴天だった。

写真は、パン食い競争ならぬ煎餅食い競争で、ずいずいがとってきたもの。「ママにあげる」と言って、持ち帰ってきた。足が遅い上、他の子が間違えてずいずいのコースにセットされていたお煎餅を狙ってピョンピョンしていたので、ずいずいは残っているお煎餅を探してモタつき、余計に遅くなってしまった。で、本人が予想していた通り、最下位。でも、投げやりにならず、頑張って走っていた。

人前で踊ったり歌ったりが大嫌いなずいずいは、去年もおととしも、ダンスの時に、いかにもやる気がなさそうな様子でチンタラと踊っていたのだけど、今年は「下手でも一生懸命やる」という私との約束通り、なかなか熱心に踊っていたように思う。

私は、こういうイベントの時に、つまらなそうな顔をして雰囲気を悪くする人が嫌い。(“苦手”とか“下手”とかいうのは気にならない。問題ナシ。) 大人でも、「俺は最初からこんなプロジェクトには反対だったんだよね〜…」って気持ちがダダモレの人っているけど、団体とか組織とかに所属している以上、そして、そこから自分が抜けだす覚悟がない以上は、“それなりに(雰囲気を壊さない程度には)”やる気を見せるのがマナーってもんじゃないかと思っている。もちろん、個性とか人格を
否定されるほどの“みんなで頑張ろうファシズム”に迎合する必要なんかないけど、人と一緒に過ごす上でのマナーってのはやっぱりないがしろにしちゃいけないと思っている。

そういう意味で、今年の運動会は、去年までのずいずいよりもずっと頑張ったと思う。だから、そのことを何度も褒めてやった。ずいずいは、帰宅後、ビデオをチェックしながら、私が大勢の中からスムーズにずいずいを探し出してレンズをフォーカスさせてることに気づき、「ママ、アタシがどこにいるのか、なんでこんなにすぐに分かるの? 母親のパワーってすごいんだねぇ!」と嬉しそうにしていた。“ママがすぐに自分を見つけ出してくれたこと”だけじゃなく、“今年はちょっと頑張った自分
を、ちゃんと見ててもらえた”…ってことも嬉しかったんだろう。「運動なんて嫌い。イベントは面倒くさい。だから運動会は大嫌い」と常日頃言っているずいずいだけど、苦手で嫌いなことを頑張ったのは偉かった。

連休の間は、先週の社会のテストの点数が悪かったというので復習したり、百人一首をはじめ短歌の勉強が始まるとかで、自分が好きな歴史上の人物の辞世の句を色々と調べてみたりと、勉強もそれなりにやっていたようだ。そして今朝は、「連休明けは学校に行くのがちょっと面倒臭いなぁ…」なんてブツブツ言いながらも、学校に出かけて行った。4年生の秋を、なかなか頑張って過ごしている様子。

実は、私は、小学4年生の10月から、しばらく学校に行けなくなった(行かなくなった)時期がある。去年の11月4日に、そのいきさつを大雑把に書いたので、覚えていらっしゃる方もいるかもしれない。( http://momonga-zuizui.at.webry.info/201011/article_1.html ) 当時の担任が、一部の子たちに皮肉や意地悪を言っていたこと。でも、言われた子たちは幼すぎて、担任に苛められているという事を自覚していなかったこと。そして、そんな担任に、自分はちょっとばかり贔屓や期待をされていたこと。……そんなこんなで、行きたくなくなってしまったのだ。…いま思えば、「(当時優等生扱いされていた自分が)登校拒否をすれば、担任のことが職員会議やPTAで問題になるんじゃないか?」という計算もあったような気がする。いや、“気がする”でなく、“ありました”、確実に。

ずいずいは、あの頃の私と、ちょうど同じ季節を過ごしている。少女期特有の少々きつい物言いとか小さな意地悪や摩擦というのは日常茶飯のようで、学校の帰り道に1人で涙を流すこともたまにあるらしいが(可哀想に思う反面、優しいものばかりで純粋培養されるよりはいいとも思っている)、「それでも学校はイヤじゃない。楽しいこともあるし、好きなお友達もいるから」と言って、今のところは元気に通っている。何よりだと思う。

毎朝、駅に向かって小さくなっていくランドセルを見送りながら、「重い病気や怪我をせず、悪意に遭遇することもなく、心が深く傷つくような出来事もありませんように。誰かの心や体を傷つけることもありませんように。無事に一日を過ごして、『ママただいま!』と元気な笑顔で私のもとに帰ってきますように」と祈っている。
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ヲットは私に感謝するべきだと思う。

2011/10/08 07:48

…というわけで、運動会なのだけど、ギリギリになってからヲットが仕事で来られないということが判明。パパからの、要件のみで短く素っ気ない文面のメールを見て、どよ〜んとした表情で凹むずいずい。

まったくもー。まだ小学4年生の女の子なんだから、「パパは残念ながら行けないけど、しっかり頑張れよ」くらいの言葉を付け足してくれたっていいのに。ずいずいは決して、こういう時にわがままを言うような子ではない。「そっか。じゃあ、仕方ないね…」と、すぐに諦めて、悲しい気持ちや残念な気持ちを自分の中でなんとか消化しようとする。そして、ちょっと優しい言葉をかけてフォローしてやれば、ちゃんとそういう気遣いを受け止めて、元気を出そうと頑張れる子なのだ。

私に背中を向けてTVの天気予報を見ていたずいずい。でも、それはポーズ。本当はけっこう凹んでいて、TVの内容なんか頭に入っていなくて、涙がじわーっと盛り上がってきてるのを必死で隠そうとしてるんだな……ってことが分かった。10年もあの子を育ててきたんだもの、そのくらいのことは分かる。しょうがない、私がフォローするしかない。

私「残念だったね。パパも、お仕事がなければ見に来たかっただろうと思うよ。…でも、お仕事じゃ、しょうがないよね。」

ずいずい「…………そうだね……(←涙混じりの小さな声)」

私「残念だけどさぁ、考えてみれば、大事なお仕事があるのに、娘の運動会だからって強引に休んじゃうような人が父親だったら、ちょっとイヤじゃない?パパのお仕事って、簡単に誰かに代わってもらえるようなものじゃないし。簡単に仕事を休む公務員は税金泥棒って言われちゃうしー。」

ず「……そうかなぁ? よその子のお父さんは、ちょっと無理してでもお休みをとって、都合をつけて、娘の運動会を見に来るものなんじゃないのかなぁ?(←声がちょっと震えている)」


私「そういうお父さんもいるだろうね。でもさ、大事なお仕事を無理矢理休んで、職場の他の人たちに押し付けて、ビデオカメラやデジカメを持って嬉々として娘の運動会にやって来ちゃうような人って、どう? ママは、そういうチャラい男が娘の父親だったら、ちょっとヤなんだよね〜。仕事っつーのはそんなものじゃないでしょー!?って思っちゃうんだよね〜」

ず「……そっか。そうかもね。お仕事を他の人に押し付けて、自分の娘のビデオを撮影するために朝早くから張り切って場所取りしてるような父親じゃ、なんかちょっと……だよね?」

私「ね?」

ず「ねっ♪」

私「日曜日か月曜日、もしもパパが休めるようだったら、どこかに遊びに連れて行ってもらったら!?」

ず「そうだ、それがいいね! どうせ私は運動が苦手で、運動会が晴れ舞台ってわけじゃないんだもん。これが、運動が得意で、リレーの選手かなんかで、運動会はぜひお父さんやお母さんに見てほしい…って子だったら、すごく悲しいだろうけど、幸か不幸か私はそんなんじゃないしね。」

ようやくずいずいの顔が明るくなった。

私「でも、ママも、おじいちゃんもおばあちゃんも見てるんだから、頑張ってね」

ず「うん、分かった。でも、たぶん本当にビリなの…。ごめんね? ガッカリしないでね?」

私「ビリでもいいよ、一生懸命走れば。ママは、1位でもビリでも、運動会の順位なんか気にしないもん。でも、どうせビリだからって、つまらなそーに、だるそーに、チンタラやるのだけはやめてね。そういうの、ママ、嫌いだからね?」

ず「うん、分かった!」



そんなこんなで、ずいずい市場におけるヲットの株価は暴落しないで済んだというわけ。……やれやれ……。ヲットは、私がこんなふうにフォローして父と娘の絆をつないであげていることなんて知らないだろう。本当なら、彼は私に感謝するべきなのだ(キッパリ)。
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仕事っつーのはさぁ…。

2011/10/08 01:35

土曜日はずいずいの運動会なのだけど、金曜の午後になって、ビデオカメラの電池がちゃんと充電できないことに気付いた。買ってからもう何年もたつので、古くなったんだろう。

なので、うちから比較的近いところにある家電量販店(ノ●マ)に電話をして在庫の確認をしてみた。

私「ビクターのビデオカメラのバッテリーで、品番はBN−VF707なんですが、在庫はありますか?」

店員「少々お待ちください……。あ〜、それは生産終了になってまして、メーカーからの取り寄せも出来なくなってますねぇ。」

私「あぁ、そうなんですか…。分かりました。ありがとうございました。」

店員「すいませーん」

困った、生産終了だなんて、もう充電が出来ないってことか…どうしよう…と一瞬凹みそうになったが、もしかしたら在庫があるかもしれないと思い、ソフ●ップに電話をしてみた。…が、無い。しかも、「ソフ●ップ全店で品切れですね〜」なんて言われる。がーーーん。じゃあもう、ビデオカメラを買い換えるしかないってこと?

「…な、わけ、ないじゃん」と、すぐに思い直した。その電池を使ってるビデオカメラが全部使えなくなっちゃうなんて、そんなバカなことをメーカーがやるわけがない…と。10年も20年も昔に買ったものじゃないんだもの。

ケータイでビクターのHPを見て確認してみた。すると、確かにBN−VF707は生産終了になっているが、その代わりに「BN−VF707Lがご使用いただけます。」と書いてある。ほらねー。


そりゃーね、私は、「BN−VF707はありますか?」としか訊かなかったわよ。生産終了と言われた時に、「じゃあ、その代わりに使える電池はありますか?」と、しつこく訊けば、「あ、少々お待ちください……。あ、ありますねぇ…」ってことになったかもしれないわよ。でもさ、この買い控えの時代に、客商売ってものを舐めてない? そんな、一問一答式みたいな仕事じゃダメでしょー。(私は子どもの頃、祖父に、「タバコを持ってきて…と誰かに言われたら、相手の様子を見て、タバコだけじゃなく灰皿も、場合によってはライターも、一緒に持って行くのが仕事というものだ」と教えられたぞ。)細かい商品情報をいちいち暗記しておけとは言わないけど、「よろしければ、代わりに使える電池がメーカーから出ていないかどうかお調べして、折り返しご連絡いたしますが…」くらいは言うのが商売人ってものじゃない?

もう1回、ノ●マとソフ●ップに電話をして、BN−VF707Lがあるかどうか訊いてみた。…ノ●マにはあったわ、まんまと。でも、なんだかイヤになっちゃったので、そこよりもちょっと遠いビッ●カメラまで買いに行った。ふん。

(ノ-"-)ノ~┻━┻
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「最後にもう1回探しに行こう」

2011/10/04 08:49
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日曜日、ずいずいは、3歳の頃からの仲良し、麗子ちゃん(仮名)と、公園に遊びに行った。麗子ちゃんの弟のハッちゃん(仮名)も一緒。

3人は子犬のように公園中を走り回って機嫌よく遊んでいたのだが、閉園の時間になり、アナウンスと音楽が流れ始めた時に、ずいずいが落し物をしたことに気付いた。ずいずいのお気に入りのキャラクター“みつばちバジーちゃん”のストラップから、パンケーキ部分が消えていたのだ。

それは、夏にロイヤルホストが取り扱っていたストラップで、各店30個の限定品。麗子ちゃんのお母さんのあんこさんが、バジーちゃん好きな私たち親子のために、出先で見かけた時にわざわざ確保してくれたもの。

そこの公園は、一角に小さな動物園もある、かなり広い場所。3人は鬼ごっこをしてあちこち走り回っていたから、どこから探したらいいのか見当もつかない。ずいずいは2歳の頃に、この公園でモーリー(熊のぬいぐるみ)を落としたことがあって、その時は幸い見つかったのだけど、ストラップについていたパンケーキは、モーリーよりもずっと小さい。見つけられるとは思えなかった。

「探しても見つからないんじゃない?しょうがないよ」と私は言った。こういう時、ずいずいは、泣いたりわめいたりはしない。でも、“平気そうに見えるけど、心の中ではかなり落ち込んでる…と、身近な人にだけは分かる”というような顔をしていた。スピーカーからは相変わらず、「もうすぐ閉めちゃうから、とっとと帰ってちょーだいねっ!」という旨のアナウンスが流れている。

「よし!最後にもう1回探しに行こう!」と言ったのは、麗子ちゃんだった。どこに落ちているのかまったく分からないのに、いきなり走り出した麗子ちゃんとハっちゃん。もたもたと、それに続くずいずい。見つかるわけがないよなぁ…と思いながらも、ギリギリまで探さなければ諦めがつかないのだろう…と、彼らを見送った。

ところが、ほんの2〜3分で、表情が明るく変わったずいずいが戻ってきた。そして、照れたように、「あったよ…」と言う。麗子ちゃんが走っていったあたりを3人でウロウロしていたら、ずいずいが見つけたのだそう。

帰りのクルマの中で、私が、「麗子ちゃんが『もう1回探そう』と言ってくれたおかげだね」と言ったら、ずいずいは、「うん!生まれて初めて、友情に感動した!」なんて言っていた。麗子ちゃんは、「うひゃひゃひゃひゃ…」と笑った後、「アタシたちずっと前から仲良しだもんね。これからもずっと仲良しでさ、2人とも結婚して子どもが生まれて、その子ども同士も仲良しだったらいいね」と言った。

2人ともかなりマイペースだし、トロくてどんくさい(笑)ところもあるから、学校ではたまに浮いてしまう場面もあると思う。でも、もしも学校でトラブルがあって一時的に孤立するようなことがあったとしても、こういう友達が学校の外に1人いてくれれば、追い詰められ方が少しは違うんじゃないかという気がした。

ところで、この日記を書いていて思い出したのだけれど、3年前の10月、当時麗子ちゃんが通っていた小学校でバザーがあって、私とヲットとずいずいも遊びに行ったことがある。バザーが閉会になる頃、麗子ちゃんは、その日買ったばかりのキーホルダーを側溝に落としてしまった。運悪く、コンクリートの蓋に少しだけ開いていた穴から中に入ってしまったので、それを拾うことは出来ないと思われた。

麗子ちゃんのお父さんは、落ち込んでいる娘に、「お父さんがまた買ってあげるから」と声をかけていたが、麗子ちゃんが「いらない!」と言って拗ねると、「自分で落としたんだから仕方ないだろう!」と怒り、それをきっかけに麗子ちゃんは1人でどこかに走り去ってしまった。「困ったわねぇ…」「可哀想に…」「でもどうしようもないわよねぇ…」などと言いながら、周囲の大人たちは様子を見ているしかなかった。

…が、その間に、ヲットは、小学校の先生を探し出し、バールを借りる交渉をしていたらしい。そして、側溝の蓋をなんとかそれで持ち上げ、麗子ちゃんのキーホルダーを回収することが出来た。戻ってきた麗子ちゃんに、麗子ちゃんのお母さんが、「麗子、ずいずいちゃんのお父さんが拾ってくれたよ。ちゃんと御礼を言いなさい」と言うと、沈んでいた麗子ちゃんの顔がパァっと明るくなり、赤いほっぺをピカピカと光らせて、にんまりと笑った。そして、照れくさそうに、小さな声で、「ありがとうございます…」と言った。

その日の帰り道、ヲットは、「どうせ100円とか200円のものだから、新しいのを買えばいいと大人は思っちゃうんだけどさぁ、そうじゃないんだよ。オレは麗子の気持ちが分かる。あれは、モノに執着して悲しんでいたというより、自分がみんなの目の前で失敗しちゃったこととか、そのことで今日の楽しかった空気がぶち壊しになっちゃったこととかに対して、落ち込んだり腹を立てたりしてたんだよ。だから、新しいモノを買っても気持ちは戻らないんだよ。その失敗を解決しないと心が救われないんだよね」と言った。

麗子ちゃんのお父さんの対応が、特別に冷たかったというわけではない。ああいう場面では、ほとんどの親が、ああいう反応をするんじゃないかと思う。ただ、その時の子どもは、大人が感じるよりもずっと深く悲しんでるんだということを、ほとんどの大人は忘れてしまいがちなだけ。で、麗子ちゃんのように敏感で傷つきやすい子だの、ずいずいのようにやや情緒過多な子だのは、そういうことで、ごっそりとヒットポイントを失ってしまうのだろう。

あれから3年、今、麗子ちゃんは、引っ越しと転校をし、苗字も変わり、お父さんとは別々に暮らしている。引っ越し直後、大人たちは、麗子ちゃんが大きな環境の変化に対応できずに戸惑うんじゃないかとずいぶん心配したのだけど、そんな心配をよそに、麗子ちゃんはあっさりと新しい暮らしに慣れて、むしろ、引っ越し前よりも元気で健康的な女の子になった。麗子ちゃんがずいずいに「もう1回探しに行こう」と言ってくれたのは、あのバザーでの出来事を直接思い出したからというわけではないと思う。でも、あれから3年、いろんな大人や友達に接する中で、「もう1回探しに行こう」と言える強さのようなものが、麗子ちゃんの中には育っているんだなぁ…と感じた。なんだかほっこりした気持ちになった。
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「欲しがっていいのよ。」

2011/09/05 13:35
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2ヵ月近くも日記を書けなかった。その間、楽しいことや嬉しいことも色々あったし、美味しいものも食べたのだけど、気持ちの芯の部分では、「だから、なに?」と、自分にツッコミを入れる自分が常にいて、そういうことのいちいちを記録しておこうというところまでは気持ちが動かなかったから。

心の表面や中間層部分ではそれなりに楽しんでいるのだけど、深層には、5月末に見たあの瓦礫の光景がまだ残っていて、「こんなふうに能天気に楽しんでいちゃダメなんじゃないか?」という後ろめたさのようなものがあったり、「仕事の達成感とか、娘の成績とか、お気に入りの物とか、何を手に入れても、ひとたび何かあれば、一瞬のうちにすべてを失ってしまうんだ」という厭世観のようなものもあったりして。そういうものを、どこかにずっと抱えたまま夏が過ぎていったような気がする。

そんなことを、年上の友人・みつえさん(岩手県陸前高田市「八木澤商店」の会長夫人)に話したら、みつえさんはカラカラと笑って、「大丈夫。そんなの一時的なことよ〜」と言った。「アタシはねぇ、まだまだいろんなことをやろうと目論んでるし、欲しいものもあるのよ。でね、『やりたいなぁ』『欲しいなぁ』って思っていると、なにかのご縁で誰かが現れてくれて、そのために力を貸してくれるの。不思議よねぇ。とりあえず今はね、土蔵を作りたいのよ。この地域の人たち、いろんなものを無くしちゃったけど、でも、そういう人たちが集って、お茶を飲んだりおしゃべりしたり、一緒に何かやったりできるようなスペースがあるといいなぁと思って。蔵を建てるって、技術も必要だし、建材の調達も大変だし、お金もかかるんだけど、何年かかってもいいのよ。『こういうものが欲しい!』って声を出せば、誰かが聞きつけて助けてくれるし、そうやってとにかく手をつけてしまえば、何年かかるか分からないけどいつかは必ず完成するだろうし。そういうふうに“あれが欲しい”“これがやりたい”って考えながら過ごしてるとワクワクするでしょ。そういう方が楽しいじゃない。だから、なにかを欲しがったり、楽しく過ごしたりすることを、後ろめたく思う必要なんかないのよ。欲しがっていいのよ。いま厭世的になっている人たちも、一時的にそうなってるだけだと思う。人は楽しいことのほうへ向かっていくものだから、大丈夫よぉ!」

いつのまにか、あれもこれも無くした被災者に、逆に励まされていた自分。でも、後からよく考えたら、それはそれでいいんだと思った。もちろん、被災地に必要なモノやコトはまだまだ色々あるだろうから、被災地以外の地域からの理解やサポートが必要なのだけど。でも、被災者は“可哀想”なだけじゃないし、色々傷を負ってもなお、心が強くてすこやかな方々はいっぱいいるし…。うまく言えないけど、あちらに住んでいようが、こちらに住んでいようが、“対等”なんだと思った。「対等なんだから、へんなふうに遠慮しあうのは不自然で、あんまり気持ちが良くないことなんだ」とか、「勝手に後ろめたさを感じて、楽しんだり喜んだり消費したりすることに躊躇してるのって、ちょっと違うんだろうな」とも。こちらはこちらで、一生懸命仕事をして、余暇を楽しんで、美味しいものも食べて、人生を楽しみつつ、経済を活性化させていくのがいいのだろう。(もっと早い時期からいろんな人がそう言っていたけど、頭でそう考えるだけじゃなくて、やっと実感・納得できたような気がする。)加えて、私は、被災地の企業が少しでも潤うように、広告宣伝というフィールドで、気持ちを込めた仕事をしていきたいと思う。


●ずいずいは、学校の林間学校で思い出をたくさん作って帰ってきた。(10歳の子ども達なりに、楽しさも、お友達と衝突した時の腹立たしさも、家を離れた淋しさも、色濃く体験してきたようだ。)

●フリーアナウンサーによる朗読セラピー「Swimmy」の朗読ライブに、ずいずいと一緒に出かけた(今夏のライブは、震災復興のためのチャリティーとして開催された)。ずいずいと1〜2年生の頃に同じクラスだったMさんのお母様も出演されていて、八木澤商店のご近所で親戚でもある酔仙酒造の被災と復興のエピソードを偶然にも彼女が朗読したことに不思議なご縁を感じた。

●ずいずいが、かなり自主的に、かつ熱心に、ヴァイオリンの練習をするようになった。7月に新しく買ったヴァイオリンも、1ヶ月半ほどでずいぶん弾きこまれて良く鳴るようになり、ヴァイオリン教室の先生にも褒めていただくことが出来た。難易度の高い曲も弾けるようになってきて、今は弾いてみたい曲がたくさんあるらしく、いつも楽しそうに練習している。

●みつえさんが、震災後はじめて上京してきて、東京で一緒に食事をした。(みつえさんの希望で、“化学調味料を使ってない中華”のレストランを探して行ってみた。)またこんなふうに東京で一緒にごはんを食べられる日が来るなんて…と、感慨深かった。

●乗馬倶楽部に行くたびに、ずいずいがとびきりいい笑顔を見せてくれた。これまでも、決してつまらなそうにしている子ではなかったけれど、“80%”くらいの笑顔しか見ていなかったんだな、私は…と思った。馬に触れている時は、文句無しに100点満点の笑顔だった。

●仕事で手がけた被災地のメーカーさんたちの商品が、どれも、目標数量以上に売れた。「復旧」の時期は義援金や物資などのダイレクトな援助が大切だけれど、「復興」にあたっては、やはり、それぞれの方々の本来の仕事が評価されるのが一番なのだと思う。少しでもお手伝いが出来て良かった。

●なかなか夏休みがとれなかったヲットが、8月の終わりになってようやく連休がとれ、2泊3日でささやかながらも家族で温泉旅行に行くことが出来た。3日間、ずいずいはずっと笑顔で、「美味しい」「嬉しい」「楽しい」を連発していた。帰宅してからも、「旅行、ほんとに楽しかったね」と何度も繰り返していた。

●ずいずいはまた背が伸び、靴もサイズアップして、夏の間に歯が2本抜けた。がんがん食べて、ぐんぐん育っている。


振り返ってみれば、良い夏だった。

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